◆塩竃市(宮城県)◆

塩竈市(しおがまし)は、宮城県のほぼ中央に位置する市である。港町および陸奥国一ノ宮・鹽竈神社の門前町として発展している。マグロ水揚げ高は全国一位。
当地に関わる表記は、各機関・施設により「鹽竈」「塩竈」「塩釜」と書き分けられるが、全て「しおがま」と読む(参照)。人口56,383人(推計人口、2011年1月1日現在)
Wikipediaより)

2010年12月24日(金)撮影
鹽竃神社(しおがまじんじゃ)
 鹽竈神社は、宮城県塩竈市にある神社で、陸奥国の一宮である。全国にある鹽竈神社(塩竈神社、塩釜神社とも表記する)の総本社。
 創建時期は不明であるが、820(弘仁11)年に撰進された『弘仁式』の『主税式』では「鹽竈神を祭る料壹萬束」と記載され、祭祀料10,000束を国家から受けており、これが正史における鹽竈神社の初見と言われている。
 中世においては奥州藤原氏をはじめ、鎌倉時代以降は留守氏などの歴代の領主から崇拝され庇護を受けて発展した。近世に入り仙台藩伊達家がよせた崇敬は特に厚く、伊達氏が当地を治めた江戸時代以降から明治時代に至るまで、歴代仙台藩主は「大神主」として祭事を司ると共に社領・太刀・神馬などを寄進した。
 明治時代に、式内社の志波彦神社(しわひこじんじゃ)が境内に遷座し、現在は正式名称を志波彦神社鹽竈神社とし一つの法人となっている。
 鹽竃神社は別宮に塩土老翁神・左宮に武甕槌神・右宮に経津主神の御三神を祀る。
志波彦神社(しわひこじんじゃ)
 もともと宮城郡岩切村(仙台市宮城野区岩切)の冠川の畔に鎮座され、「冠川明神」とも呼ばれた。創建時期は不明であるが、平安時代の神社名簿「延喜式神名帳」に収められている陸奥国百社の名神大社として、かなりの格式を有した神社であった。
 しかし、中世以降衰微の一途を辿り、江戸時代には冠川明神・志波道上宮と呼ばれる小祠となっていた。
 明治時代には明治政府による神社の格付けが行われ、「国幣中社」に指定された。しかし、境内も狭く祭祀を行うのに不便であったことから、1874(明治7)年に12月24日に塩竃神社の別宮本殿として現在地に遷座された。現社殿は国費により造営され、1938(昭和13)年に竣工したものである。ちなみにこの国費での造営は日本国内で最後のものとなった。
塩竈神社博物館
塩竈神社の境内に1965(昭和40)年に建設された博物館で、塩竈神社の宝物を中心に、伊達家による奉納の品々や、漁業関係資料が展示されています。

博物館の中には入りませんでしたが、入口には捕鯨で使われた捕鯨銃がありました。


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