戸沢藩船番所 江戸時代、戸沢藩では領内を十二郷に分け代官を置いた。そのうち古口郷では代官所と同時に船番所を設けました。最上川は大阪から北海道を結ぶ北前船の日本海航路で栄えた酒田に通じ、古来より水運で栄えました。この古口は戸沢藩の西の玄関口であるため、ここで荷物の出入りの監視や人の往来の監視を行いました。 明治時代に戸沢藩が廃藩置県によってなくなると同時に船番所は廃止となりますが、古口の川港の立場はしばらく続きます。しかし、大正時代にはいると鉄道(陸羽西線)の開通によって物流は次第に鉄道に切り替わり、水運は衰退しました。 現在の建物はかつての船番所跡から東に位置し、2006(平成18)年にリニューアルしたもので、最上川船下りの待合所やお土産品屋などが入居しています。 |
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