◆戸沢村(山形県)◆

 戸沢村(とざわむら)は、山形県の北部にある人口約6千人の村。日本における国民健康保険発祥の地である。
 戸沢村は、最上川とともにあった村であった。 戸沢村が最初に歴史に登場するのは、延喜式の兵部省「諸国駅伝馬条」である。多賀城から庄内地方を経由して日本海沿岸を秋田城へ向かう官道に、「佐藝(さぎ)駅駅馬四疋、船十隻」の記述が出てくる。この駅亭は水駅と思われ、現在の津谷地内の最上川と鮭川の合流地点付近にあったと推定されている。(鮭川村真木新田という説もある) 古くから庄内地方と最上地方を結ぶ水運の要であったが、俳人松尾芭蕉が『板敷山』と称した、最上峡の厳しい地形にさえぎられ、道路の開削はできなかった。江戸時代には、現在の村の中心である古口集落に新庄藩の船番所が置かれ、舟の往来の監視を行っていた。明治時代に、難工事の末に「磐根街道」(現国道47号)と呼ばれる道路が開削され、大正時代に陸羽西線が開通し、舟運の歴史に幕を閉じた。現在は、川下りでは日本最大の規模である「最上川舟下り」を中心に、草薙温泉、道の駅とざわなどの観光業が中心の村である。
 人口は4,978人(推計人口、2013年9月1日)。

◆2013年10月12日(土)撮影◆
戸沢藩船番所
 江戸時代、戸沢藩では領内を十二郷に分け代官を置いた。そのうち古口郷では代官所と同時に船番所を設けました。最上川は大阪から北海道を結ぶ北前船の日本海航路で栄えた酒田に通じ、古来より水運で栄えました。この古口は戸沢藩の西の玄関口であるため、ここで荷物の出入りの監視や人の往来の監視を行いました。
 明治時代に戸沢藩が廃藩置県によってなくなると同時に船番所は廃止となりますが、古口の川港の立場はしばらく続きます。しかし、大正時代にはいると鉄道(陸羽西線)の開通によって物流は次第に鉄道に切り替わり、水運は衰退しました。
 現在の建物はかつての船番所跡から東に位置し、2006(平成18)年にリニューアルしたもので、最上川船下りの待合所やお土産品屋などが入居しています。

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