◆鶴岡市(山形県)◆

◆2020年7月4日(土)、5日(日)撮影◆
 鶴岡市(つるおかし)は、山形県の庄内地方南部に位置する人口約12万人の都市である。2005年の市町村合併により県内人口が第2位となり、市の面積は東北地方で最も広く全国第7位となった。
 鶴ヶ岡城周辺の中心市街地は江戸時代には鶴岡藩(通称:庄内藩)の城下町として栄えた。郊外には庄内米やだだちゃ豆の農地が広がり、出羽三山神社には東北地方で唯一、皇族(蜂子皇子)の墓がある。
 総人口は122,311人(推計人口、2020年6月1日)。
Wikipediaより)
致道博物館
 致道博物館(ちどうはくぶつかん)は、山形県鶴岡市にある山形県の登録博物館である。名称は旧庄内藩の藩校「致道館」に由来し、同藩校で使用されていた文物や用具に加え庄内地方の民俗資料が収蔵・展示されている。運営は公益財団法人致道博物館。また近隣の歴史的建造物も敷地内に移設保存している
Wikipediaより)
・赤門
 田安徳川家の姫君が酒井家に輿入れした際に建てられた門で、江戸中屋敷から移築し、御隠殿の門にしたと伝わります。乳金具(釘隠)などの金物類は古い形式をとどめています。1892(明治25)年、台風で破損したために修復しましたが、2004(平成16)年8月の台風で破損、古材をできる限り用いて当初の姿に再建しています。
(現地案内板より)

敷地内より撮影

敷地外より撮影
旧鶴岡警察署庁舎
 高橋兼吉の設計になる木造二階・入母屋造の建造物。1884(明治17)年竣工、1957(昭和32)年に当地へ移築。2009(平成21)年に国の重要文化財に指定。平成25年から29年にかけて解体修復工事がおこなわれていて、将来の公開をして保存活用をする予定である。

取調室。ここと後述のバルコニーだけ撮影可能でした。

上段には取調官、下段には取り調べされる被疑者が座りました。

取調室のガラス。写真中央部にゆがみがありますが、これは明治時代に作られた古いガラスの証拠です。当時は均一な厚さの板ガラスを作る技術が未熟だったため、このように歪みや気泡ができました。現在では技術が進歩し、逆にこのような古い板ガラスを作る技術が失われてしまっています。

バルコニーからの眺め(1)
旧西田川郡役所の裏に見える森は鶴ヶ岡城址。

バルコニーからの眺め(2)
中央の建物は東北公益文科大学大学院。

バルコニーからの眺め(3)
旧西田川郡役所。

バルコニーからの眺め(4)
赤門。
・御隠殿
 御隠殿(ごいんでん)は1863(文久3)年に庄内藩江戸柳原および下谷の御殿を解体・移築したもので、致仕・帰郷した九代藩主酒井忠発が隠居所とした。現在は玄関と奥の座敷(関雎堂)が残り、関雎堂からは酒井氏庭園を望むことができる。致道館の文物や酒井氏ゆかりの文化財(庄内竿など)を展示。
Wikipediaより)

御隠殿の赤松
松は千代木として屋敷内によく植えられた。この松は見事な姿で、樹齢250年以上前と見られる。明治20年代に当地鶴岡の内川端にあった田中写真館(大泉橋付近)の松を譲り受けて移植したものと伝えられている。
(現地案内板より)
・旧渋谷家住宅
 鶴岡市田麦俣の多層民家を移築したもので、一重三階寄棟造茅葺き。1822(文政5)年に建てられ、1965(昭和40)年に当地へ移築。国の重要文化財に指定。寄棟造の建物に蚕室を設けるため、妻の部分の屋根を切り上げた独特の形状(かぶと造)を成す。茅葺屋根の防虫を目的とした火焚き(囲炉裏に火を入れ、煙で燻す作業)が毎年1月から3月頃までの期間で行われている(開始日・終了日はその年によって異なる)
Wikipediaより)
・酒井氏庭園
 御隠殿の北面に造られた築山泉水庭。国の名勝に指定。築庭年代は不明。典型的な書院庭園とされる。
Wikipediaより)
・民具の蔵(旧御隠殿土蔵)
 この土蔵は江戸時代末期に御隠殿に付属して建てられました。明治時代以降は、旧藩主酒井家伝来の武具や調度品類を収納していました。敷地内には幾つも土蔵がありましたが、現存するのはこの一棟のみです。致道博物館の展示室拡張のため、1956(昭和31)年に「民具の蔵」と改称、現在は庄内地方の民俗資料を展示しています。
(現地案内板より)
・重要有形民俗文化財所蔵庫
 当館で収蔵している民具のうち、8件5,350点が国の重要有形民俗文化財に指定されています。いずれも庄内地方の生活や仕事の用具ですが、すでに失われた習俗や用具も多く、生活文化の特色や変遷を今に伝える貴重な資料群となっています。この建物では7件3,550件を収蔵。
(現地案内板より)
・旧西田川郡役所
 棟梁・高橋兼吉と石井竹次郎の設計になる木造二階・両翼一階建、二階屋根上に時計台を有する建造物。1881(明治14)年竣工、1972(昭和47)年に当地へ移築。国の重要文化財に指定。明治天皇の東北巡幸の際に宿舎となった。
Wikipediaより)
・美術展覧会場
 長期間の展示ができない文化財(旧庄内藩主酒井家伝来品や博物館収蔵品)などを特別展示するほか、多様な分野の企画展を行っています。
(現地案内板より)

今回訪問の目的は、「重要文化財 短刀 銘 吉光(名物 信濃藤四郎)」の展示があったためでした。
旧致道館
 この致道館は、藩校としての遺跡をよく留めている全国有数のもので、しかも、戦災を受けることもなく存することは、日本の史跡としてまことに貴重であるものであるとし、昭和26年6月9日、国の指定を受けたものです。
 藩校を創立したのは、庄内藩九代の藩主酒井忠徳で、士道が乱れ華美を好み横暴をきわめる弊風を刷新するのは教育にありと、大宝寺の地(現駅前通り・日吉町)に、文化2年(1805年)学問所を創設したのがはじまりです。
 その後、文化13年(1816年)十代藩主酒井忠器は、政教一致をはかるため、居城に近い三の曲輪内の現在地に移し、藩の政務を処理する会所と学校とを合わせた珍しい仕組みとして整備しました。致道館の教育方針は徂徠学を本旨とし、画一的な講釈を好まず各人の能力に応じた少人数を対象とする個別的な指導法をとったために、多くの小教場を必要とし、数多くの室が設けられたのです。
 明治維新により、明治6年(1873年)廃校となった後は、苗秀学校、鶴岡県庁、鶴岡警察署等に使用され、さらに、明倫学校、朝賜小学校等の校舎と変遷し、昭和40年から復元工事に着手、同47年から一般に公開されております。
 なお、致道館とは、論語の一節「君子学ンデ以テ其ノ道ヲ致ス」から名づけられたものです。
(現地案内板より)

現地案内板

表御門

表御門の瓦には藩主酒井家の家紋である「方喰紋」が見えます。

孔子を祀る聖廟。

講堂

講堂内部

御居間。藩主昇校の際の間。

江戸時代の読書机には藩主酒井家の家紋である「方喰紋」が見えます。

講堂から見えた建物は、隣接する荘銀タクト鶴岡(鶴岡市文化会館)。

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