8620形蒸気機関車 8620形は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道院が製造した、日本で初めて本格的に量産された国産旅客列車牽引用テンダー式蒸気機関車。「ハチロク」と愛称され、国鉄蒸気機関車の末期まで全国で使用された。明治末期に急行列車用として各国から輸入された8700形・8800形・8850形などを参考に、日本の蒸気機関車国産化技術の確立を目的として設計、製造された。当時としても、あえて最高の性能を狙わずに、汎用性を追求し、将来輸送量が増加した際には地方線区に転用することを考慮して設計された。大正時代の標準型として1914(大正3)年から1929(昭和4)年の間に672両(8620〜88651。ただし、百位への繰り上がりは万位に表示され、数字的には連続していない。)が製造された。 最初は東海道本線、山陽本線などの幹線を中心に配置されたが、より高性能な形式が投入されるにつれて幹線からローカル線へと活躍の場を移していき、最後は地方線の客車、貨物または入換用として1974(昭和49)年まで使用された。その後JR九州で1両(58654号機)動態保存され、「SLあそBOY」として運用されていたが、2005(平成17)年老朽化のため運転を停止した。 (wikipediaを一部引用) (48640について) この48640号車は1973(昭和48)年五能線を最後に運用が終了し、その後長らく青森県鰺ヶ沢町役場裏に静態保存されていたが、NPO法人「五能線活性化倶楽部」の働きかけで2011(平成23)年11月13日〜14日にかけてトレーラー陸送によって現在の弘南鉄道新里駅へ移転された。 今後は同会によって機関車の整備が行われて、保存展示されることになっている。 履歴 1921-9 汽車製造大阪工場 製番519 1921-9-21使用開始 配属 仙台局 1931-3-1現在 会津若松 1955-8-1現在 盛岡 1962-2秋田 1965-2-1現在 秋田 移動時期不明 弘前 1972-3-31現在 弘前 1973-6-22廃車 弘前 2011-9-17保存場所移転のためお別れ式 2011-11-13弘南鉄道新里駅横に移転 |
炭水車(テンダー)はリベット接合の見られないもので、機関車に比べ比較的新しいもののようです。 |
運転室内部 |
炭水車(テンダー)の石炭取出口が見えます。 |
ホーム側に面した部分の腐食が激しいです。日本海近くにある鰺ヶ沢町役場に静態保存されていたため、こちら側に潮風が吹きつけ、塩害による腐食が進行したと思われます。 |
新旧車両の2ショット。 |