国鉄50系客車
(栃木県真岡鐵道真岡線で営業中)

◆2026年2月3日(火)撮影
(概要)
 50系客車(50けいきゃくしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が主に地方都市圏の通勤・通学時間帯の普通列車に使用する目的で1977(昭和52)年より設計・製造された一般形客車の系列である。
 1970年代前半(昭和40年代)まで、地方都市圏(特に交流電化線区や非電化幹線)の旅客輸送には1920年代から1960年代にかけて製造された鋼製客車が多数使用されていた。これらの車両は優等列車の電車化・気動車化および12系客車の登場によって転用されたもので、10系以前の客車は登場後しばらくは程度の良い車両が優等列車に使用され、後継車両の増備や置換えで捻出された中堅車や経年車は普通列車にも使用されるようになっていた。
 本形式が開発される20年以上前の昭和30年頃の時点で当時の国鉄は「加減速性能・表定速度・利便性能および運用効率において客車列車は電車や気動車と比較して大きく劣っており、いずれ廃れる輸送方式になる」と判断しており、その後実施された動力近代化計画はそれに基づいて、旅客列車については寝台列車などー部を除いて電車もしくは気動車に置き換えて座席客車を淘汰する方針だったことから、普通列車用の客車の製造については極めて消極的であった。当時の鋼製客車は昭和40年代に電車・気動車へ置き換えることを想定していたことから、製造後30年以上を経ている車両が多く老朽化が顕著になっており、保守上の問題と乗客からの不評を顕在化させていた。このため一部の鉄道管理局では、室内の両端、あるいはすべての座席をロングシートに改造し、つり革を設置することで収容定員の増加が図られていたが、狭いデッキや出入口はそのままであり、乗降の遅滞から運行遅延の原因となっていた。また自動扉をもたないこれらの客車は、走行中でも客用扉を開閉できるため乗客や荷物が転落する危険があり、保安上の問題となっていた。上記の問題を解決するために、新形車両の導入が求められていた。
 輸送改善に際しては、当時行われていた荷物・郵便輸送への配慮と、貨物輸送量の減少で機関車に余剰が発生していたこと、さらに組合側が客車列車の継続を要望していた(余剰人員が発生する電車化・気動車化に反対していた)ことから、動力近代化計画には矛盾するもののやむなく新形式客車を開発する方針が採られた。座席客車の新規製造は、当時でも完全に時流を考慮しないような施策(現在で云う「オワコン」)であったが、客車は動力装置が不要であるため、1両当たりの製造コストが気動車や電車よりも格段に安くなることから、地方部の通勤・通学時間帯に多く運行されていた比較的長編成の客車普通列車の置換え用として、余剰化した電気機関車やディーゼル機関車を有効活用することによって、輸送力増強やサービス改善を低いイニシャルコストで行うために製造された車両群が本系列である。
 製造は全形式とも富士重工業(現・SUBARU)・新潟鐵工所(現・新潟トランシス)の2社が担当した。同時期に設計・製造されたキハ40系気動車・115系1000番台などとは、車体構造やアコモデーションなどで共通点が多い。
Wikipediaより)
50系(オハ50 11・22、オハフ50 33)
1993(平成5)年にJR東日本から譲受。塗装はぶどう色2号の地に赤帯を入れたものに変更されているものの、原形を保つ50系客車が営業運転に供されている唯一例となっている。
2010(平成22)年6月の客車検査の際、白帯が赤帯に変更された。
茂木方が1号車で、号車番号に合わせた車両番号に改番されている。編成内容は以下のとおり。
・1号車 - オハ50 11(旧オハ50 2198)
・2号車 - オハ50 22(旧オハ50 2039)
・3号車 - オハフ50 33(旧オハフ50 2054)

オハ50 11

オハ50 11

オハ50 11

オハ50 22(左)とオハ50 11(右)

オハ50 22

オハ50 22

オハフ50 33

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