泰緬鉄道C56 31蒸気機関車
(靖国神社遊就館に静態保存)

◆2009年8月15日(土)撮影
 この機関車は1936(昭和11)年日本車輌で製造され、石川県七尾機関区を走行していた機関車である。太平洋戦争において90両が南方に徴用されたが、タイで活躍し、この31号機は、泰緬(たいめん)鉄道の開通式に参加した機関車である。
 戦後は、タイ国有鉄道で使用され、1977(昭和52)年に引退することになったが、泰緬鉄道建設に関係した南方軍野戦鉄道隊関係者が拠金してタイ国有鉄道から譲り受け、1979(昭和54)年、靖国神社に奉納された。

<奉納趣旨>
 泰緬鉄道建設の苦闘と戦争の悲惨さを視つめ
戦後も黙々として泰緬沿線の地域開発に活躍したC56型機関車90輛の代表として31号機を奉納し関係殉難者の慰霊と永久平和を祈念するものです。
   昭和54年(1979)8月   泰緬鉄道関係各部隊 及一般協力者一同

泰緬鉄道
 「泰」はタイ、「緬」はビルマのことで、タイとビルマをつなぐ鉄道である。
 太平洋戦争中の1942(昭和17)年6月、日本軍はインド・ビルマ進攻作戦の陸上補給を目的にタイのノンプラドックからビルマのタンビザヤの最短距離(415km)の区間で鉄道建設を開始した。
 工事は日本の国鉄規格を基本にして、鉄道第五連隊と鉄道第九連隊を中心に連合軍捕虜や現地住民など約17万人が従事し、悪条件にもかかわらず、軍事上必要不可欠であったため迅速に工事が行われ、1年3ヶ月という驚異的な早さで、1943(昭和18)年10月に開通した。
 この区間は、かつてイギリス軍が建設を構想していたが険しい地形と過酷な熱帯気候などの悪条件のため断念していた。日本による敷設作業は上記条件により困難を極め、また食料不足による栄養失調と熱帯地方特有の伝染病であるコレラやマラリアにかかってたくさんの死者数を出し、戦後大きな問題になった。
 戦後は必要性の低さに加え、メンテナンスの難しさにより、現在では泰緬(タイ・ミャンマー)両国は国境付近の鉄道を取り払い、ミャンマー側では全線とタイ側では国境から3分の2にあたる区間が廃止となった。タイ側の一部はダムに沈んでいる。

C56型蒸気機関車について
 愛称はシゴロク、またはポニー。輸送需要の大きくない地方のローカル線に使用されたタンク車のC12の改造で、長距離運転が出来るように石炭と水を積んだ炭水車(テンダー)を後ろに引く形になっている。1935(昭和10)〜1939(昭和14)年に計165両製造された。日高本線・米坂線・小海線・飯山線・大糸線・越後線・七尾線・三江北線・木次線・小松島線・妻線・宮之城線・山野線などの北海道や九州などの路線で使用された。小型ながら長距離を走ることができ、また保守が容易であったことから、戦時中に軍に供出させられ、90両がタイやミャンマーに渡った。このうち、2両が1979(昭和47)年に日本に戻り、44号機は大井川鉄道へ、31号機は靖国神社の遊就館に静態保存されている。
諸元(wikipediaより)
動力方式 蒸気
製造所 日立製作所、三菱重工業、川崎車輛、汽車製造、日本車輌製造
製造日 1935年 - 1942年
総製造数 165両
軸配置(ホワイト式) 2-6-0
軸配置(アメリカ式) モーガル
軸配置(日本式) 1C
軌間 1,067mm
動輪径 1,400mm
全長 14,325mm
全高 3,900mm
最大軸重 10.61t(第3動輪)
動軸重 31.76 t
含炭水車重量 65.53t
燃料種別 石炭
燃料容量 5.00t
水容量 10.0m3
ボイラ 過熱式
ボイラ圧力 14.0kg/cm2
火格子面積 1.30m2
大煙管寸法本数 127mm×3,200mm×16本
小煙管寸法本数 45mm×3,200mm×68本
煙管伝熱面積 54.4m2
火室伝熱面積 7.4m2
全蒸発伝熱面積 74.2m2
過熱器形式 シュミット式
過熱伝熱面積 19.8m2
気筒数 単式2気筒
気筒寸法 400 mm×610 mm
弁装置 ワルシャート式
出力 1,097馬力
定格出力 592 PS
引張力 8,290kg
粘着係数 7,940 kg
単独ブレーキ 空気ブレーキ
列車ブレーキ 自動空気ブレーキ

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