C61 20蒸気機関車
運用中

◆2011年11月19日(土)撮影
C61形蒸気機関車
 太平洋戦争中に戦時物資の輸送用としてD51形、D52形などの貨物用機関車が優先して大量製造されたが、終戦により貨物輸送が激減し貨物機関車が大量に残り余剰となっていた。一方、旅客用機関車が極度に不足する事態となった。そのため旅客用機関車の製造が急務となっていたが、戦後の物資不足や占領軍の方針によって困難を極めた。そこで、苦肉の策として、D51形のボイラー部分を転用し、新造したC57形の足回りを組み合わせて、新たに設計製造されたのがC61形蒸気機関車である。

 1947(昭和22)年から1949(昭和24)年にかけて33両が「改造」名目で製造され、東北本線、常磐線、奥羽本線(秋田駅〜青森駅間)、鹿児島本線という地方幹線に配属、東北と東京を結んだ夜行特急「はくつる」など旅客列車を中心に多くの列車を牽引した。

 その後の電化により活躍の場を失い、最後の運用地は九州の日豊本線だが、動態保存のために2号機が1972(昭和47)年に梅小路機関区に転属。残る5両も1974(昭和49)年の宮崎電化までに大半が運用を離脱し、最後の1両(18号機)も1974(昭和49)年に運用を外れ、1975(昭和50)年1月に用途廃止された。

C61 20号機
 D51 1094のボイラーを流用し、1949(昭和24)年8月1日に三菱重工業三原製作所にて製造番号 659として落成した。完成後は、青森機関区や仙台機関区に配属され、東北本線の当時の花形特急「はつかり」や「はくつる」などの牽引を担うなど活躍した。東北本線電化後は、九州の宮崎機関区に移動し、最終的に1973(昭和48)年8月28日に同機関区での運用を終えて廃車となった。新製から廃車までの走行距離は2,869,889kmにも及んだ。

 廃車後は国鉄から無償譲渡され、群馬県伊勢崎市の華蔵寺公園遊園地で長らく静態保存されていたが、2010(平成22)年に復元されることとなり、2011(平成23)年に復元が完了した。

 復元後は、各地のイベントに参加し、今回は2012(平成24)年4月1日から6月30日まで開催される、いわてディスティネーションキャンペーンのプレイベントとして2011(平成23)年11月19日に「SLがんばろう岩手号」として一ノ関〜北上間の下り線で運転された。

 ちなみにこの時にけん引していた旧型客車5両は「スハフ32 2357」、「スハフ42 2173」、「スハフ42 2234」、「オハ47 2261」および「オハ47 2266」で、1938年12月から1955年4月に製造された歴史的価値の高い車両で現在、JR 東日本では高崎支社のみ保有している車両。

諸元
長さ 20.375m 幅 2.936m
高さ 3.98m 動輪直径 1.75m
機関車重量 78.8t 炭水車重量 42.0t
石炭搭載量 6.2t 水タンク容量 15.4m3
最高速度 74km/h

車両履歴
1949年 7月 三菱重工改造
1949年 8月 青森機関区
1950年 1月 仙台機関区
1966年12月 青森機関区
1971年 9月 宮崎機関区
1973年 8月 廃車
1974年 1月 伊勢崎市 華蔵寺公園展示
2010年 1月 復元工事開始
2011年 3月 車籍復活

平泉〜前沢間の割と知られた撮影地から撮影。

金ヶ崎駅付近

折り返しの北上駅で機回しと点検のために待機中。

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