D51形蒸気機関車 D51形蒸気機関車は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が設計製造した、単式2気筒で過熱式のテンダー式蒸気機関車である。主に貨物輸送のために 用いられ、太平洋戦争中に大量生産されたこともあって、その所属両数は総数1,115両に達しており、ディーゼル機関車や電気機関車などを含めた日本の機 関車1形式の両数では最大を記録した。「デゴイチ」(「デコイチ」とも)の愛称は有名で、日本の蒸気機関車の代名詞にもなった。
D51 498号機 D51 498は、1940(昭和15)年11月24日に鉄道省鷹取工場にて落成し、鷹取から近い岡山機関区に新製配置された。後に吹田(1951年8月〜)→平(1953年12月〜)→長岡第一(1963年10月〜)→直江津(1965年4月〜、配置替えではなく貸し渡し)→新津(1966年3月〜)→坂町(1972年3月〜)と各機関区を転々としていた。 1972(昭和47)年10月に鉄道100周年記念で八高線にて運転されたイベント列車の牽引を最後に運用から外れた。なお、配置は坂町機関区のままで、高崎第一機関区には貸し渡しとされている。 その後、同年12月1日に車籍抹消となったが、同日に群馬県利根郡月夜野町(現在のみなかみ町)に貸与されることが決定し、4日後の5日に上越線後閑駅前(構内脇)にて静態保存された。 国鉄分割民営化後の1987(昭和62)年10月、JR東日本では「地域密着」をテーマに「蒸気機関車を復活して走らせよう」との動きが持ち上がり、関東地方に保存されているさまざまな静態保存機をリストアップし調査した結果、交通博物館に保存されていたC57 135とこのD51 498が一番良く整備され、保存状態の良い機関車であることが判明した。JR東日本は、蒸気機関車の代名詞的存在であり、最もポピュラーな「デゴイチ」を走らせることが、地域密着を図るうえで最も効果的であると判断し、当機の復元が決定した。 1988(昭和63)年3月に後閑駅の静態保存場所から復線し、DD51形ディーゼル機関車に牽引され深夜、高崎運転所へ回送、6月に大宮工場へ分解のうえ陸送し、動態復元に向けた大掛かりな復元工事を11月25日までに完了した。その後、動態保存機として車籍が復活され、同日付で正式に高崎運転所に配属となっている。 その後、様々なイベント列車として運行されているが、2008(平成20)年12月、陸羽東線で運行を予定していた「SL湯けむり号」の試運転に向けて小牛田運輸区にて火入れを行った際に、ボイラーの空焚きを起こし火室を破損し、修理には最大1年半かかる見込みと報道されたものの、約半分の9ヶ月で修理が完了した。 (wikipediaを一部引用) |
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2012年6月2日(土)撮影(宮守駅〜柏木平駅間 通称:めがね橋) |
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2012年6月3日(日)撮影(土沢駅〜晴山駅間) |
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2012年6月17日(日)撮影(土沢駅〜晴山駅間) |
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2012年6月17日(日)撮影(新花巻駅〜似内駅間) |