<概要> 3500系・3600系電車は、1993年から1997年度にかけて長野電鉄が帝都高速度交通営団(以下営団、現在の東京地下鉄(以下東京メトロ))から購入した通勤形電車。廃車となった日比谷線の営団3000系を譲受・改造した車両である。 もともとの営団3000系は、営団地下鉄で初めて相互乗り入れを行うことから、東武鉄道・東京急行電鉄との3者で規格を協議の上で設計・製造が行われた(合意は1957(昭和32)年)。基本的には高性能車である丸ノ内線300形を発展させた車両とし、相互直通運転を行うことから地上線と地下鉄線両方の性能を満足させるような車両とした。 営団3000系の運用開始は1961(昭和36)年3月28日の日比谷線開業時からであり、1994(平成6)年7月23日に引退している。 従来、営団の車両は検修時を考慮して単車(1両)での走行を基本としていたが、本形式より2両を1単位(ユニット構成)として、将来の増結時には中間車を連結していく方式を採用した。落成当初は2両編成だが、その後4両・6両・8両編成へと増結されて増え続ける輸送需要に対処した。当初は各形式を個別で呼称しており、これらを「3000系」と呼称するようになったのは、千代田線6000系誕生以降である。 車体長18,000mm、車体幅2,790mmの両開き片側3扉構造は丸ノ内線車両と同じ形態だが、軌間1,067mm、さらに架空電車線方式であるため車高を高くしている。扉・窓配置はdD3D3D1(先頭車)で、同じ18m車でも丸ノ内線や都営浅草線の車両とは異なり、編成全体で見て客扉が等間隔になる配置である。 特徴としては超多段抵抗制御器(バーニア制御)と発電ブレーキを採用し、ほとんどショックのない滑らかな高加減速性能(起動加速度・減速度ともに4.0km/h/s)を実現した。特に起動加速度4.0km/h/sは、日比谷線直通に運用されていた東急7000系とともに、関東の電車においては現在に至るまで最大の値である。車体は当時としては斬新なデザインで、「クジラ」、特に「マッコウクジラ」という愛称もあった。 (wikipediaより) |
(長野電鉄屋代線 松代駅にて2011年7月16日(土)撮影)(1) |
(長野電鉄屋代線 松代駅にて2011年7月16日(土)撮影)(2) |