オハフ61 2752客車(国鉄60系客車) 戦後間もない1947(昭和22)年2月25日に発生し、日本の鉄道事故史上における死者数第2位の大事故である八高線列車脱線転覆事故で、転覆した事 故列車が構造脆弱な木造客車で編成されていたために死者数を増大させたと考えられ、客車の鋼製化が急務となった。しかし、新規製造の客車を鋼製客車に切り 替えたのは20年前の1927(昭和2)年であったものの、いまだ国鉄保有客車数の6割が木造客車であり、この当時は戦後の混乱期でインフレーションが進 行している状況で、短期間で鋼製客車を大量に製造して配備することは不可能であった。そこで、木造客車の台枠や台車、連結器などを再利用して、車体のみを 鋼製とする改造を行うこととした。これらの鋼体化客車は他の制式鋼製客車などとの区別のために60番台の形式を付されており、このことから後年になって便 宜上、60系客車と呼ばれるようになった。 1949年から1956年までの間に、全国の国鉄工場及び主要な民間車両メーカーのほとんどを総動員して製作がおこなわれ、そのほとんどが三等車もしくは荷物車・合造車として使用された。 (現地案内板より) 車号:オハフ61 2527号 製作月日:昭和23年10月 製作メーカー:国鉄長野工場 走行キロ:4,350,000km(地球約109周) 運用範囲:東北本線、磐越西線、仙山線、日中線等 配属区: 新製〜昭和36年9月:仙台運転区 同年9月〜昭和58年9月:会津若松運転区 同年1月〜現在に至る:郡山貨車区 誕生からの経緯: 戦後、旅客輸送の需要強化に伴って製造された車掌室付き客車の1両であり、後に電気暖房改造等を施工し一般形客車の主流として活躍してきた。同形式は約800両製作され、全国的に運用されているが近年老朽化に伴い随時廃車されている。 昭和59年4月 柴田町長 (省略) |
となりに展示されている電気機関車E71同様、良い状態ではありません。 |