4号戦車は、第二次世界大戦のドイツ装甲軍団の「働く軍馬」として活躍した。 ドイツ国防軍の戦車で思い浮かべるのはたいていは、大きくて後期モデルであるティーガーやパンター戦車である。 しかし、一番生産された戦車はこの4号戦車である。1939~1945年の間に製造された全戦闘車両の約28%を占める。 4号戦車は常に改良されていった。当博物館で見ることの出来るG型ははじめて長砲身の7.5cm対戦車砲40 L/43を搭載したことでそれ以前の形式とは区別される。 それ以前の形式は、歩兵のような「ソフトターゲット」に有効な短砲身砲を搭載していた。1942年から4号戦車は敵戦車と戦うために使用することが決定された。そのため、目を引く特徴ある長砲身を持つ強力な対戦車砲が求められた。 さらに、4号戦車の車台は例えばフンメル自走砲や4号駆逐戦車など多数の兵器システムの基礎となった。 また、4号戦車は第二次世界大戦の全期間を通して生産された唯一の戦車である。 当博物館で見ることの出来るこの戦車は、ザクセン州プラウエンで1942年に製造され、その後北アフリカに船送され、トブルクで陸揚げされたわずか数日後に戦闘によって劇場内で故障のため放置され、その後イギリス軍に捕獲されたものである。 |