開業:1904(明治37)年1月20日 所在地:福島県喜多方市字町田下 キロ程:81.2km(郡山起点) |
駅名由来 飯豊連峰を間近に仰ぐこの地は、山々に囲まれた地勢と会津盆地の北部にあることから、藩政時代には「北方(きたかた)」と呼ばれていました。出羽(山形)や越後(新潟)への街道筋にあたり、周辺村落の物資の集散地となっていき、やがて地場産の物品を原料とした手工業が発展していきました。 飯豊山麓の良質な木材と、盆地の気候条件が製作に好適であった漆工芸をはじめ、会津米と飯豊の伏流水を利用した酒造業、味噌や醤油などの酒造業、会津桐の木目の美しさを生かした桐工芸などが盛んになり、「北方」は、会津藩内有すうの商工業都市として賑わいました。 明治八年、五つの村を合併して町制を施行した際、「北方」という名は、喜び多い町という意味の「喜多方」と改められました。 この地名の由来を受けて、明治三七年(一九〇四)一月二〇日、岩越鉄道(現在の磐越西線)が当地に開通した時、喜多方駅が開業しました。(現地案内板より) その他 1984(昭和59)年3月31日までは日中線が存在し、当駅から分岐をしていた。 ※参考、引用サイト:Wikipedia |
駅名標(1) 駅名標(2) 国鉄時代のものと思われます。「会津村松」は旧日中線の駅で、「塩川」は磐越西線3つ先の駅。途中の駅が通過列車が多いため省略したのかもしれないです。 |
駅舎(待合所) |
上り(郡山方面) |
下り(新津方面) |
駅前(1) |
駅前(2) |
駅舎(待合所)内(1) |
駅舎(待合所)内(2) |
駅名由来板 |