旧国鉄八戸線陸奥湊駅住友セメント(現:八戸セメント)専用線跡

2012年10月27日(土)撮影
 かつて陸奥湊駅から現在の八戸セメントまでは専用線が分岐されていました。八戸セメントの前身は、1921(大正10)年6月に操業開始した日の出セメント(株)湊工場で、専用線はそこで生産されたセメント製品を輸送するために敷設され、1928(昭和3)年6月15日に開業しています。長らく貨物輸送が続けられましたが、次第にトラック輸送に変更となり、1986(昭和61)年11月1日で貨物輸送が終了して、専用線は廃止されました。ちなみに後述しますが、専用線の跡は遊歩道や道路に転用されているので、その跡をたどることが容易に出来ます。

 子供の頃、八戸線の沿線に住んでいて、陸奥湊駅周辺は何度も行き来したはずなんですが、なぜか専用線の記憶がほとんどと言っていいくらいないです。陸奥湊駅で下車して歩き回ったりしたことがなかったためかなと思います。唯一覚えているのは、陸奥湊駅がかなり埃っぽくて薄汚れた印象だけです。どうやら輸送されたセメント製品から発生する粉のせいなのかもしれません。

 余談ですが、原料である石灰石は、八戸市松館地区にある住金鉱業株式会社八戸石灰鉱山(通称:八戸キャニオン)で採掘されて輸送されています。現在は、約10kmの長距離地下ベルトコンベアで八戸セメントと八戸港まで輸送されていますが、かつてはこの区間にも専用線が敷設されていました。その調査はまた後ほど。

1975(昭和50)年の航空写真から作成。
@陸奥湊駅構内

上り(八戸)方面
左側の空き地はかつてあった専用線跡。

下り(久慈)方面
右側の空き地はかつてあった専用線跡。

下り方面(東)から上り方面(西)を撮影。かつてあった専用線は、写真左へ曲線を描くように線路が敷設されていました。
A駅南口

かつての路線跡に陸奥湊駅の南口にあたる連絡橋と遊歩道が設置されています。

このように南口周辺は遊歩道として一部整備されています。
B交差点

レンガ模様になっている部分が路線跡で、このまま写真中央左寄りに路線が続いています。ちなみにここからは道路に転用されています。
C遊歩道区間

この区間は遊歩道として整備されています。

この遊歩道には遊具も設置されています。
D遊歩道終了区間

この区間で遊歩道が終了し、道路を挟んで一部砂利道となった跡、また道路に転用されています。
写真左側に八戸セメントの塔状の建物が見えます。
E道路転用区間

路線跡は再び道路に転用されています。
F住友セメント(現:八戸セメント)

終点の八戸セメントの工場です。

写真中央の柵の奥の工場敷地まで路線が続いていました。

敷地内を見ると路線跡がくっきりと残っていました。

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