◆JR八戸線(青森県・岩手県)◆

◆2009年7月18日(土)〜20日(月)撮影

キハ40系気動車(2009年7月20日久慈駅にて撮影)
私は高等学校卒業まで八戸線沿線に住んでいて、八戸市に遊びに行くため、通学のためなどに使い、いろんな思い出の詰まった路線であります。今回の巡礼旅は、親元への里帰りを兼ねて行いました。

走っている車両はキハ40系。馬力の弱い車体として有名で、ちょっとした加速や上り道ではディーゼルエンジンが全開でいかにも苦しい音を出す車台でした。でも、この音を聞くと、昔を思い出します。

八戸駅2番線ホーム下にあるJR八戸線のゼロキロ標。
(2012年10月27日(土)撮影)

東北本線(左側直通)と八戸線(右側へそれる)の分岐点。
(2015年12月5日(土)撮影)

愛称 駅名 駅間
営業
キロ
累計
営業
キロ
所在地 開業年月日
(漢字表記) (よみ)
うみねこ
レール
八戸市内線
八戸駅 はちのへ - 0.0

八戸市 1891(明治24)年9月1日
(東北本線の駅として)
(貨)八戸貨物駅 はちのへかもつ - 1.7 1970(昭和45)年10月1日
長苗代駅 ながなわしろ 3.4 3.4 1934(昭和9)年6月1日
本八戸駅 ほんはちのへ 2.1 5.5 1894(明治27)年1月4日
小中野駅 こなかの 1.8 7.3 1934(昭和9)年6月1日
陸奥湊駅 むつみなと 1.7 9.0 1926(大正15)年7月11日
白銀駅 しろがね 1.3 10.3 1934(昭和9)年6月1日
鮫駅 さめ 1.5 11.8 1924(大正13)年11月10日
  (臨)プレイピア白浜駅
(廃止)
ぷれいぴあ
しらはま
4.4 16.2 開業:1995(昭和61)年8月1日
廃止:2012(平成24)年3月17日
陸奥白浜駅 むつしらはま 1.3 17.5 1961(昭和36)年4月15日
種差海岸駅 たねさしかいがん 2.1 19.6 1924(大正13)年11月10日
大久喜駅 おおくき 2.2 21.8 1956(昭和31)年12月10日
金浜駅 かねはま 3.0 24.8 1956(昭和31)年12月10日
大蛇駅 おおじゃ 1.0 25.8 三戸郡
階上町
1956(昭和31)年12月10日
階上駅 はしかみ 1.7 27.5 1924(大正13)年11月10日
角の浜駅 かどのはま 2.0 29.5

九戸郡
洋野町
1954(昭和29)年8月5日
平内駅 ひらない 2.6 32.1 1959(昭和34)年2月5日
種市駅 たねいち 2.1 34.2 1924(大正13)年11月10日
玉川駅 たまやま 3.9 38.1 1954(昭和29)年8月5日
宿戸駅 しゅくのへ 1.9 40.0 1954(昭和29)年8月5日
陸中八木駅 りくちゅうやぎ 3.1 43.1 1925(大正14)年11月1日
有家駅 うげ 2.7 45.8 1961(昭和36)年12月25日
陸中中野駅 りくちゅうなかの 2.6 48.4 1930(昭和5)年3月27日
侍浜駅 さむらいはま 6.0 54.4 久慈市 1930(昭和5)年3月27日
陸中夏井駅 りくちゅうなつい 7.3 61.7 1930(昭和5)年3月27日
久慈駅 くじ 3.2 64.9 1930(昭和5)年3月27日
貨物支線・専用線
貨物支線 湊駅(廃止) みなと 2.7
(本八戸から)
- 青森県
八戸市
1894(明治27)年10月1日
廃止:1985(昭和60)年3月14日
専用線(陸奥湊駅〜住友セメント(現:八戸セメント)(廃止) 1928(昭和3)年6月15日
廃止:1986(昭和61)年11月1日

(概要)
 八戸線(はちのへせん)は、青森県八戸市の八戸駅から岩手県久慈市の久慈駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(地方交通線)である。 八戸駅〜鮫駅間には、うみねこレール八戸市内線という愛称が付けられている。

(歴史)
 日本鉄道により1891(明治24)年に開業した本線(後の東北本線)が、八戸の中心市街から離れてしまったことから、1894(明治27)年に尻内から分岐して八ノ戸を結ぶ支線を敷設したのが始まりである。同年中に八ノ戸から湊へ延伸され、この状態で日本鉄道は1906年に公布された鉄道国有法により1907(明治40)年11月1日に買収され官設鉄道に編入後、1909(明治42)年に八ノ戸線と命名され、1924(大正13)年に八戸線と改称された。1924(大正13)年より、八戸(現:本八戸)から分岐して種市への延伸工事が行なわれ、翌年には陸中八木、1930(昭和5)年に久慈まで延長されて八戸線が全通した。

 八戸〜久慈の経路設定にあたっては、当時の陸軍より岩手県大野付近が鉄鋼の原材料供給地であること、有事の際の鉄道破壊を懸念し、海岸線より内陸の大野付近を通過することが望ましいと主張していたが、結局海岸線を通過するルートとなった。

 1975(昭和50)年に当線の実質的延長線である久慈線が普代まで開業したが、こちらは国鉄再建法の施行により特定地方交通線に指定され、1984(昭和59)年に第三セクターの三陸鉄道へ転換されている。

 陸中八木駅にはJR線における最後の腕木式信号機があったが、2005(平成17)年6月28日に色灯化され廃止された。タブレット閉塞式を用いて運転していたが、本八戸〜久慈間で軌道回路検知式化の工事が進められ、2005(平成17)年10月には同区間の特殊自動閉塞化が完成し、2005(平成17)年12月のダイヤ改正時にCTC化された。

年表
1893(明治26)年3月21日 尻内(現在の八戸)〜湊間の支線敷設を閣議決定・認可
1894(明治27)年1月4日 日本鉄道が尻内(現在の八戸)〜八ノ戸(現在の本八戸)を開業。八ノ戸駅を新設
1894(明治27)年10月1日 八ノ戸〜湊を延伸開業。湊駅を新設
1906(明治39)年11月1日 鉄道国有法により日本鉄道が買収・国有化され官設鉄道の路線となる
1907(明治40)年11月1日 八ノ戸駅を八戸駅(初代)に改称
1909(明治42)年10月12日 国有鉄道線路名称設定により八ノ戸線となる
1924(大正13)年11月10日 八戸〜種市を延伸開業。鮫・種差・階上・種市の各駅を新設。八戸線に線名を改称(尻内〜種市・八戸〜湊)
1925(大正14)年11月1日 種市〜陸中八木を延伸開業。陸中八木駅を新設
1926(大正15)年7月11日 陸奥湊駅を新設
1930(昭和5)年3月27日 陸中八木〜久慈を延伸開業し八戸線が全通。陸中中野・侍浜・陸中夏井・久慈の各駅を新設
1934(昭和9)年6月1日 長苗代・小中野・白銀の各駅を新設
1944(昭和19)年4月1日 八戸〜湊の旅客営業を休止
1954(昭和29)8月5日 角の浜・玉川・宿戸の各駅を新設
1956(昭和31)年11月19日? 大久喜、金浜、大蛇の各仮乗降場を新設
1956(昭和31)年12月10日 大久喜・金浜・大蛇の仮乗降場を駅に改める
1959(昭和34)年2月5日 平内駅を新設
1961(昭和36)年4月15日 陸奥白浜駅を新設
1961(昭和36)年12月25日 有家駅を新設
1961(昭和36)年12月 〜 久慈市・野田村・種市町・普代村が830万円の鉄道債券を引き受け、久慈〜盛岡間の直通列車(準急)の運行開始
1966(昭和41)年3月25日 青森県営専用線(後の八戸臨海鉄道)の分岐点として北八戸信号場を新設
1970(昭和45)年10月1日? 青森県営専用線が八戸貨物駅へ延長されたため北八戸信号場を廃止
1971(昭和46)年2月1日 八戸駅を本八戸駅に改称
1971(昭和46)年4月1日 尻内駅を八戸駅(2代)に改称
1972(昭和47)年10月28日 C58239によるSLさよなら列車運転
1975(昭和50)年7月20日 久慈線の久慈〜普代が開業
1977(昭和52)年7月 長苗代〜陸奥湊間高架化
1982(昭和57)年11月15日 鮫〜久慈の貨物営業を廃止
1984(昭和59)年2月1日 陸奥湊〜鮫の貨物営業を廃止
1984(昭和59)年4月1日 久慈線を廃止、三陸鉄道に転換
1985(昭和60)年3月14日 本八戸〜湊を廃止
1986(昭和61)年8月1日 プレイピア白浜臨時乗降場を新設
1986(昭和61)年11月1日 本八戸〜陸奥湊の貨物営業を廃止
1987(昭和62)年4月1日 国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道(第1種・八戸〜久慈)、日本貨物鉄道(第2種・八戸〜本八戸)が承継、プレイピア白浜臨時乗降場を臨時駅に改める
1993(平成5)年12月1日 ダイヤ改正により、全列車が気動車での運転
2002(平成14)年12月1日 種差駅を種差海岸駅に改称
2003(平成15)年4月1日 SLうみねこ号運転
2004(平成16)年10月16日 種市駅・侍浜駅での列車交換廃止、交換設備撤去、侍浜駅無人化
2005(平成17)年7月6日 階上〜久慈間特殊自動閉塞化
2005(平成17)年10月 本八戸〜階上間特殊自動閉塞化
2005(平成17)年12月10日 CTC化、小中野・白銀・階上・陸中八木の各駅を無人化
wikipediaより参照)

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