開業:1897(明治30)年2月25日 所在地:福島県いわき市勿来町関田寺下49-2 キロ程:183.2km(日暮里起点) |
駅名由来 勿来関(なこそのせき)は、古代から歌枕となっている関所の1つ。江戸時代の終わり頃からは「奥州三関」の1つに数えられている。所在地が分かっていないうえ、その存在自体を疑う説もある。 元々この地は江戸時代には磐城平藩の関田村という名称であったが、明治時代に近隣の村との合併により窪田村となり、1897(明治30)年2月25日に日本鉄道海岸線(現・JR常磐線)に「勿来駅」が開設されると、その駅名にならって1925(大正14)年5月1日には石城郡窪田村が町制を施行する際に改称して勿来町になり、「勿来」という地名が初めて生まれた。 「勿来」とは「な来(こ)そ」すなわち「来るな」を意味しており、蝦夷の南下を防ぐ意味を持っていたという説がある。 その他 いわき市内の(旧)勿来市の中心駅である。 平安時代から戦国時代までは、現在の勿来地区は岩城氏の領土の南端であった。戦国時代には、勿来関を境にして北側(現在の勿来地区)が岩城氏、南側が佐竹氏の領土であった。 江戸時代には、勿来関を境にして北側が磐城平藩、南側が水戸藩の領土であった。 ※参考、引用サイト:Wikipedia |
駅名標(1) 駅名標(2) |
駅舎(待合所) |
上り(日暮里方面) |
下り(岩沼方面) |
駅前(1) |
駅前(2) |
駅舎(待合所)内(1) |
駅舎(待合所)内(2) |
観光案内板 |
駅前広場には「勿来関」を思わせる門が建っていました。 |
奥州での「前九年の役」「後三年の役」に武勇で名を馳せた源義家の銅像。後三年の役の後に勿来関に立ち寄った際に、道にたくさんの桜の花びらが吹雪いていたのを見て「吹く風を勿来の関と思へども道もせに散る山桜かな」(千載和歌集)と一首詠んだことにちなみます。 |
駅スタンプ |