JR釜石線
花巻〜似内駅旧線

◆2011年8月20日(土)撮影
釜石線の始発駅である花巻駅と似内駅の間はかつて、現在の北へ曲線を描く路線とは違い、南へ曲線を描く路線であった。
1936(昭和11)年に岩手軽便鉄道が国有化され「鉄道省釜石線」となった後、岩手軽便鉄道の軌間762mmを改めて、国鉄標準であった1067mmへの改軌が順次実施された。この区間では、花巻駅は、国鉄の駅前にあったものが国鉄の駅へ乗り入れるように改められ、似内駅までの区間はこの時に大きく線路を付け替えられ、鳥谷ヶ崎駅が廃止された。この工事は1943(昭和18)年9月20日に完了している。
大正5年の地形図(抜粋)

「この地図は、国土地理院発行の5万分の1地形図(花巻)(大正5)を使用したものである。」
国土地理院発行地形図の引用について http://www.gsi.go.jp/LAW/2930-meizi.html
平成20年の地形図(抜粋)

「この地図は、国土地理院発行の5万分の1地形図(花巻)(平成20)を使用したものである。」
国土地理院発行地形図の引用について http://www.gsi.go.jp/LAW/2930-meizi.html
地形図との比較。この区間の路線が大きく変わっているのがわかります。

@〜F(図1)
@花巻駅
現在の釜石線は、花巻駅に直接乗り入れしていたが、切替前はこのあたりに別に花巻駅があった。
現在、駅敷地は、NAHANプラザとグランシェールホテルが建ち並びます。

JR花巻駅。岩手軽便鉄道の花巻駅はこの左手にあった。

跡地に立つ石碑。

現在は、ホテルが建っています。
A花巻駅〜旧鳥谷ヶ崎駅間

明確な路盤跡が残っていないので古い地形図を見た上でのあくまでも推測ですが、この道路の右隣の現在建物が建っているところが路盤跡で、中心の白い建物にむかって急カーブしていたものと思われます。
B旧鳥谷ヶ崎(とやがさき)駅

鳥谷ヶ崎駅跡を示す石碑。
ちなみに路線跡はこの建物の裏を通っていました。

石碑の脇には年代物の建物が建っていますが、駅の関連の建物なんでしょうか。1943(昭和18)年の駅廃止の後に新築された建物にしては、結構な年代もののような気がします。それとも隣接していた旧稗貫農学校か旧稗貫郡役所の関連施設だったんでしょうか。興味は尽きません。

花巻市役所がすぐそばにあります。
C旧稗貫農学校跡
稗貫郡立稗貫農学校は岩手県立花巻農学校を経て岩手県立花巻農業高等学校となり現在に至ります。かつて宮沢賢治が教諭として勤務したのは稗貫農学校から花巻農学校時代(1921(大正10)年12月〜1926(大正15)年3月)。現在この地には総合花巻病院が建っています。

稗貫農学校跡に立つ石碑。

現地の石碑より当時の建物写真。

路線跡に立って撮影。写真右が稗貫農学校(現在は総合花巻病院)、ななめ右奥が稗貫郡役場(現在は岩手県花巻地区合同庁舎)。
D花巻城跡(鳥谷ヶ崎神社)
この周辺にはかつて花巻城があり、路線は、城の二の丸と三の丸を分断するように敷かれていました。
現在は、城の本丸部分が「鳥谷ヶ崎神社」となっています。

石垣跡。

花巻城全景。

似内に向かって撮影。ここから、後述する後川(当時は瀬川)まで急勾配です。当時の非力な蒸気機関車でこの傾斜を登るのが無理だろうと思ったんですが、現地の案内板によれば、やはりここに川を渡る高い鉄橋があったそうです。ちょうど写真中央の分岐する脇道あたりからだと思われます。

左写真を今度は花巻方向に撮影。
E瀬川の鉄橋跡
現在は後川と呼ばれる瀬川に架かっていた鉄橋。

現在の瀬川。ちょうど写真上を左から右に鉄橋が走っていたと思われます。

現在は後川(うしろがわ)と呼ばれています。

似内に向かって撮影。この頭上を手前から奥まで鉄橋が通っていました。

左の写真と同じ位置から、今度花巻駅に向かって撮影。
写真中心部に盛り上がっている部分があります。

右上の写真から接近してみました。
どうやら鉄橋の土台跡と思われます。ちょうどこの盛り上がったところと写真中心やや右手にある建物の頭上を鉄塔が走っていたものと思われます。

鉄塔跡に立っている石碑。

現地の石碑より当時の鉄塔。

後川を渡って、似内側の岸から似内方面を撮影。
頭上をこの先写真奥へとまっすぐに路線が通っていました。
F小舟渡八幡宮とバス停「イギリス海岸」付近
この地点から似内駅までの路線跡はそのまま県道に転用されています

路線跡の傍らに小舟渡八幡宮があります。

すぐ近くのバス停「イギリス海岸」。これも宮沢賢治由来の地名。

傍らに宮沢賢治をイメージしたバス停の待合所 「白鳥の停車場」があります。

G〜L(図2)
Gイギリス海岸展望場
イギリス海岸を展望できる駐車場を完備した施設。路線跡はこの脇を通ります。
H北上川との接近地点
ちょうどこの地点は路線と北上川が一番接近する地点です。花巻駅方向撮影。
I釜石自動車道との交叉地点
この地点は、釜石自動車道が建設されたため、路線跡をそのまま転用した県道も、この自動車道に交叉する形となってしまいました。そのため道筋が変わり、路線跡も若干変わっています。

J似内駅近辺
地点Iをさらに似内駅方向に進むと県道と脇道との分岐点に到着。この脇道が路線跡で、一番路線跡に近い形を残しています。
K旧線と新線の合流地点
この地点には第7似内踏切場があります。

旧線と新線はこの踏切の釜石側にあり、写真中心の線路と建物の間のスペースが路線跡。

写真右にあるのは現在の似内駅で、写真中央にある道が旧線の路線跡。
L似内駅
未確認ですが、似内駅は新線切替の時に若干移動していると思われます。

現在の似内駅。無人駅です。

駅名標

現在の釜石線は、前身の「岩手軽便鉄道」が宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の舞台であることにちなみ、各駅にこのようなエスペラント表記の駅名標が設置されています。ちなみに似内は「La Marbordo(ラ・マールボルド:海岸)」で、もちろんイギリス海岸から来ています。

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