◆JR釜石線(岩手県)◆

◆2010年4月3日(土)、6月12日(土)、9月11日(土)撮影
(概要)
 釜石線(かまいしせん)は、岩手県花巻市の花巻駅と釜石市の釜石駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(地方交通線)である。

 愛称は「銀河ドリームライン釜石線」。これは釜石線の前身である岩手軽便鉄道が、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』のモデルと言われていることに因む。同じく宮沢賢治の『シグナルとシグナレス』は、東北本線と釜石線の信号機を擬人化し、男女に見立てた恋物語である。また、宮沢賢治が作品中にエスペラント語の単語をよく登場させていたことから、各駅にエスペラントによる愛称が付けられている。

(歴史)
(西側:花巻~仙人峠間)
 岩手県内陸部の花巻と沿岸部の釜石を連絡することを目的とした岩手軽便鉄道(軌間762mm)が前身。1913(大正2)年から1915(大正4)年にかけて花巻~仙人峠間が開業した。この時期、西側と東側が部分開業していたため、それぞれ西線、東線と呼ばれていたこともあった。
 仙人峠~大橋間は距離が約4kmに対して標高差が約300mと急峻であり、この間の標高887mの仙人峠を越えなければならなかった。岩手軽便鉄道時代に建設を模索したが、予備調査で莫大な費用がかかることが判明して断念した。代わりに全長3.6kmの索道(ロープウェイ)により貨物・郵便を輸送することとし、旅客は同区間約5.8kmの山道を徒歩連絡とされた。ちなみに、釜石側では大橋~釜石間に釜石鉱山鉄道(後のJR釜石線とは別路線)があった。

 1927(昭和2)年には、ようやく鉄道敷設法別表第8号の2に「岩手県花巻ヨリ遠野ヲ経テ釜石ニ至ル鉄道」が追加され、1929(昭和4)年には現在の釜石線となる路線の着工が決定した。1936(昭和11)年に岩手軽便鉄道は買収、国有化され、釜石線となった。この時に索道も買収されて、国鉄史上唯一の索道営業が行われることになった。1944(昭和19)年、釜石東線の開業により釜石西線(かまいしさいせん)に改称する。

 国有化後、岩手軽便鉄道の軌間762mmを改めて、国鉄標準であった1067mmへの改軌が順次実施された。またこれと平行して仙人峠を越える鉄道の建設が始められた。各種検討の結果、1936(昭和11)年6月に実際に国鉄が着工したのは、足ヶ瀬駅から分岐して足ヶ瀬トンネルで一旦気仙川流域へ出て、上有住駅を経由して土倉峠の下を土倉トンネルで抜けて仙人峠東側斜面を大きく北へ「Ω」(オメガ)字状のカーブを描いて陸中大橋駅へ降りていくルートとなった。改軌工事は1944(昭和19)年に花巻~柏木平間の工事が完成した。また、花巻駅は、国鉄の駅前にあったものが国鉄の駅へ乗り入れるように改められ、似内駅までの区間はこの時に大きく線路を付け替えられている。しかし、この後の改軌工事は太平洋戦争の激化による労働力、資材不足により中断を余儀なくされる。
 戦争後の1946(昭和21)年のアイオン台風により、当時岩手県内陸部と沿岸部を結ぶ唯一の鉄道路線であった山田線が壊滅的な被害を被って長期間不通となり、その代替路線として釜石線が注目された。1948(昭和23)年にGHQから鉄道省に釜石線復旧等の覚書が提出され、釜石線の完成が優先されることになり、1948(昭和23)年に工事が再開された。翌年には柏木平~遠野間の改軌が、1950(昭和25)年には遠野~足ヶ瀬間の改軌が完成し、足ヶ瀬~陸中大橋間が新線で連絡して釜石線が全通した。なおこの際、新線建設ルートから外れた足ヶ瀬~仙人峠間は軌間762mmのまま、仙人峠~陸中大橋間の索道とともに廃止されている。これにより、国有鉄道の特殊狭軌線(軽便鉄道)は全て姿を消した

(東側:仙人峠~大橋間)
 釜石線全通以前のこの区間には別路線で民間鉄道があった。
 1880(明治13)年、日本で3番目の鉄道路線で、官営釜石製鉄所への鉄鉱石運搬を目的に敷設された工部省釜石鉄道が最初であるが、釜石製鉄所の銑鉄不振により僅か3年で銑鉄生産は中断されて、官営釜石鉱山は閉山し、鉄道も廃止された。その後1884(明治17)年に釜石鉱山馬車鉄道(釜石町 - 甲子村間、軌間762mm)として復活し、1911(明治44)年には蒸気運転に切り替えられ、何度も経営母体が変わってその過程で旅客扱いをするようになった。
 さらには並行して国鉄釜石西線(花巻~仙人峠)と接続を目的として釜石東線が1944(昭和19)年10月11日に開通し、1950(昭和25)年に釜石東線と釜石西線が連結して釜石線が全通すると、この路線は旅客扱いが廃止されて鉱石貨物専用線となり、最終的には1965(昭和40)年に廃線となる。
駅名 駅間
営業
キロ
累計
営業
キロ
開業年月日 路線名称

エスペラントに
よる愛称と意味
(漢字表記) (よみ) 1913

1914
1914

1936
1936

1944
1944

1950
花巻駅 はなまき - 0 1890(明治23)年11月1日


便



西



便





西


Ĉielarko
(チェールアルコ:虹)
似内駅 にたない 3.5 3.5 1913(大正2)年12月25日 La Marbordo
(ラ・マールボルド:海岸)
新花巻駅 しんはなまき 2.9 6.4 1985(昭和60)年3月14日 Stelaro
(ステラーロ:星座)
小山田駅 おやまだ 1.9 8.3 1913(大正2)年10月25日 Luna Nokto
(ルーナ・ノクト:月夜)
土沢駅 つちざわ 4.4 12.7 1913(大正2)年10月25日 Brila Rivero
(ブリーラ・リヴェーロ:光る川)
晴山駅 はるやま 3.2 15.9 1914(大正3)年4月16日 Ĉeriz-arboj
(チェリーズ・アルボイ:桜並木)
岩根橋駅 いわねばし 4.8 21.7 1914(大正3)年12月15日

Fervojponto
(フェルヴォイポント:鉄道橋)
宮守駅 みやもり 3.4 25.1 1915(大正4)年11月23日

Galaksia Kajo
(ガラクシーア・カーヨ
:銀河のプラットホーム)
柏木平駅 かしわぎだいら 6.1 31.2 1915(大正4)年7月30日


便





Glanoj
(グラーノイ:どんぐり)
鱒沢駅 ますざわ 2.4 33.6 1915(大正4)年7月30日 Lakta Vojo
(ラクタ・ヴォーヨ:天の川)
荒谷前駅 あらやまえ 2.8 36.4 1924(大正13)年12月16日 Akvorado
(アクヴォラード:水車)
岩手二日町駅 いわてふつかまち 2.9 39.3 1914(大正3)年12月15日 Farmista Domo
(ファルミスタ・ドーモ:農家)
綾織駅 あやおり 1.8 41.1 1914(大正3)年12月15日 Teksilo
(テクシーロ:機織り機)
遠野駅 とおの 4.9 46.0 1914(大正3)年4月18日 Folkloro
(フォルクローロ:民話)
青笹駅 あおざさ 4.3 50.3 1915(大正4)年9月1日 Kapao
(カパーオ:カッパ)
岩手上郷駅 いわてかみごう 3.5 53.8 1914(大正3)年4月18日 Cervodanco
(ツェルヴォダンツォ:鹿踊り)
平倉駅 ひらくら 2.8 56.6 1915(大正4)年11月23日 Monta Dio
(モンタ・ディーオ:山の神)
足ヶ瀬駅 あしがせ 4.6 61.2 1915(大正4)年11月23日 Montopasejo
(モントパセーヨ:峠)
(仙人峠) せんにんとうげ (3.9) (65.1) 1914(大正3)年4月18日
※1950(昭和25)年10月10日廃止
 
上有住駅 かみありす 4.2 65.4 1950(昭和25)年10月10日












Kaverno
(カヴェルノ:洞窟)
(足ヶ瀬より)
陸中大橋駅 りくちゅうおおはし 8.3 73.7 1944(昭和19)年10月11日




Minaĵo
(ミナージョ:鉱石)
洞泉駅 どうせん 5.9 79.6 1945(昭和20)年6月15日 Cervoj
(ツェルヴォイ:鹿)
松倉駅 まつくら 3.6 83.2 1945(昭和20)年6月15日 La Suda Kruco
(ラ・スーダ・クルーツォ
:南十字星)
小佐野駅 こさの 3.3 86.5 1945(昭和20)年6月15日 Verda Vento
(ヴェルダ・ヴェント
:緑の風)
釜石駅 かまいし 3.7 90.2 1939(昭和14)年9月17日 La Oceano
(ラ・オツェアーノ:太洋)
岩手軽便鉄道時代の痕跡

花巻~似内間旧線(花巻~似内間)
北上川橋梁(似内~新花巻間)
旧鱒沢隧道(宮守~柏木平間)
宮守川橋梁(宮守~柏木平間)
達曽部川橋梁(岩根橋~宮守間)
遠野~青笹間旧線(遠野~青笹間)
岩手上郷駅~足ヶ瀬駅旧線(岩手上郷~足ヶ瀬間)
足ヶ瀬駅周辺
旧仙人峠駅(釜石街道仙人峠遠野側口)
陸中大橋駅と釜石鉱山跡(釜石街道仙人峠釜石側口)


工部省鉄道寮釜石鉄道

花巻駅の1番ホーム下にある「停車場中心」と「カマセ0」のペイント。どうやら0キロポストに相当するもののようです。
(2012年12月1日(土)撮影)

花巻駅ホームから撮影した東北本線と釜石線の分岐点。左が東北本線で、右に下っている線路が釜石線。
(2016年12月12日(日)撮影)

青森方面にある跨線橋から撮影した東北本線と釜石線の分岐点。右へ直進しているのが東北本線で、手前に下っている線路が釜石線。
(2016年12月12日(日)撮影)

電車内から撮影した東北本線と釜石線の分岐点。左が東北本線で、右に曲がっている線路が釜石線。
(2016年12月24日(土)撮影)

釜石駅ホームより釜石線と山田線の分岐点を望遠撮影。
左に下がっているのが釜石線で、右に上がっているのが山田線。
(2017年5月20日(土)撮影)

左のホームと反対側から撮影。
左に上がっているのが山田線で、左に下がっているのが釜石線。
(2017年5月20日(土)撮影)


年月日 出来事
1913(大正2)年10月25日 釜石線の前身となる「岩手軽便鉄道」が、花巻~土沢間に開業。
花巻(国有鉄道花巻駅とは別駅)、土沢が駅として新設。似内・矢沢(現在の新花巻駅)・幸田は停留所。
1914(大正3)年4月6日 幸田(現在の小山田駅)が、停留場から駅に昇格。
1914(大正3)年4月16日 土沢~晴山間延伸開業。晴山駅が誕生。
1914(大正3)年4月18日 岩手軽便鉄道の遠野~仙人峠間が貨物線として開業。
貨物扱いの場所として、遠野・上郷(現在の岩手上郷)・仙人峠、給水所として足ヶ瀬が新設。
1914(大正3)年5月15日 遠野~仙人峠間について旅客営業を開始。遠野・上郷・仙人峠が旅客扱いをする駅となる。
1914(大正3)年10月25日 足ヶ瀬が給水所から信号所となり、列車の行き違いができるようになる。
1914(大正3)年12月15日 晴山~岩根橋間延伸開業。岩根橋駅が誕生。
1914(大正3)年12月15日 鱒沢~遠野間延伸開業。鱒沢と綾織が駅として誕生。二日町(現在の岩手二日町駅)は停留場になる。
1915(大正4)年4月10日 停留所として鳥谷ヶ崎が新設。
1915(大正4)年5月1日 停留所として赤川が新設。
1915(大正4)年7月30日 柏木平~鱒沢間が延伸開業。このとき、宇洞と柏木平が駅となる。
1915(大正4)年9月1日 青笹が停留所となる。誕生。
1915(大正4)年11月23日 岩根橋~柏木平間が全通する。宮守・平倉が停留所になる。
足ヶ瀬が信号所から駅になる。幸田が現在の小山田という呼び名の駅になる。
1916(大正5)年2月10日 上郷が岩手上郷と駅名が改称される。
1916(大正5)年2月25日 二日町が停留所から駅となる。
1924(大正13)年12月16日 荒谷前が駅として新設。宇洞が鱒沢(2代目)、鱒沢(初代)が中鱒沢、二日町が岩手二日町と改称される。
1926(大正15)年8月15日 停留所として関口が新設。
1927(昭和2)年12月13日 停留所の赤川が廃止。
1928(昭和3)年6月1日 中鱒沢駅が廃止。
1930(昭和5)年7月16日 貨物のみの扱いをする中鱒沢が新設。
1936(昭和11)年3月25日 平倉が停留所から駅になる。
国有化後
1936(昭和11)年8月1日 釜石線の花巻~仙人峠(64.4km)が買収され国有化される。
貨物のみ扱い中鱒沢が廃止。鳥谷ヶ崎・青笹が停留所から駅になる。
1943(昭和18)年9月20日 花巻~柏木平間の線路の幅が、762mmから1067mmに変更。花巻~似内間で線路の付け替えを実施。鳥谷ヶ崎駅が廃止。
1944(昭和19)年10月11日 釜石東線開業にともない、「釜石西線」と路線名を改称。
釜石東線の釜石~陸中大橋間16.5kmが貨物線として開業。陸中大橋が貨物扱いを始め、洞泉・小佐野が信号場になる。
1945(昭和20)年6月15日 釜石駅~陸中大橋駅間で旅客営業が始まる。それにあたって、松倉駅が新設。信号所の洞泉・小佐野が駅となる。
1946(昭和21)年4月1日 操車場として中妻を新設。
1949(昭和24)年8月1日 操車場として中妻が廃止。
全通以降
1950(昭和25)年10月10日 足ヶ瀬~陸中大橋間12.5kmが延伸開業し全通。このとき上有住駅が新設。足ヶ瀬~仙人峠間が廃止。
遠野~足ヶ瀬駅間の線路の幅が762mmから1067mmに変更。 仙人峠・関口の両駅は廃止。
釜石東線を釜石西線に編入して、釜石~花巻間90.2kmが全通し、現在の「釜石線」になる。
1961(昭和36)年10月1日 小山田駅について、貨物取扱が廃止となる。
1967(昭和42)年 SLの運行が釜石線で終了する。
1972(昭和47)年11月1日 小山田駅が無人化される。
1983(昭和58)年3月10日 綾織駅と松倉駅が無人化される。
1985(昭和60)年3月14日 岩根橋駅が無人化される。
矢沢駅が現在の新花巻駅に移転して、駅名が新花巻に。釜石線から新花巻駅で新幹線に乗り換えることができるようになる。
1986(昭和61)年11月1日 洞泉駅について、交換設備が廃止され無人駅となる。
1987(昭和62)年4月1日 釜石線が東日本旅客鉄道(JR東日本)に継承。JR釜石線になる。
1989(平成元)年7月29日 SL(D51498)が花巻~遠野間を22年ぶりに復活運転する。
1990(平成2)年3月10日 「急行陸中」3往復のうち、2往復に回転リクライニングシートを装備したキハ110系を投入。
盛岡~釜石間約30分スピードアップを実現。
1990(平成2)年7月29日 SL(D51498)が花巻~釜石間、「ロマン銀河鉄道'90」という愛称で、23年ぶりに釜石線全線で運転される。
1991(平成3)年 「急行陸中」の運転終了後に、花巻発釜石行きの「急行銀河ドリーム号」の運行が始まる。
1991(平成3)年3月16日 「急行陸中」が全列車がキハ110系での運転になる。
1992(平成4)年 「急行銀河ドリーム号」の運行が終了となる。
1993(平成5)年4月1日 釜石鉱山株式会社の石灰石鉱山へ続く専用線が上有住にはあったが、JR貨物としての駅は廃止となる。
1993(平成5)年10月1日 釜石線がCTC化に伴い、上有住駅は駅長が廃止され、交換設備を撤去・無人駅に。陸中大橋駅・足ヶ瀬駅・岩手上郷駅・似内駅は駅長が廃止され、無人駅に。換設備撤去。特殊自動閉塞化に伴い、岩手二日町駅は駅長が廃止され、交換設備を撤去・無人駅に。鱒沢駅は駅長が廃止され、無人駅に。土沢駅は、CTC化により当直勤務廃止・土沢駅長廃止・花巻駅長管理下となる。
1994(平成6)年3月30日 普通列車の一部列車について、キハ100形気動車によるワンマン運転が開始される。
1995(平成7)年4月1日 釜石線営業所が釜石駅内に発足。釜石線に「銀河ドリームライン釜石線」の愛称名がつく。
1999(平成11)年4月1日 花巻~釜石間、第二種鉄道事業(日本貨物鉄道)廃止
2000(平成12)年10月10日 釜石線全線開通50周年
2001(平成13)年12月1日 花巻地区の高校生などの区間利用客などに配慮して、「急行陸中5号」が快速に格下げ。愛称が「快速はまゆり」となる。このとき、「快速はまゆり」と全ての「急行陸中」に指定席が1両設けられるようになる。
2002(平成14)年12月1日 「急行陸中」が全列車「快速はまゆり」となる。
2004(平成16)年11月 臨時急行「陸中」が宮古~仙台間を、釜石線経由で運転。
2007(平成19)年8月11日 「釜石よいさ号」が、盛岡~釜石間、キハ52系国鉄色車両(2両)で運転。
2007(平成19)年8月31日 この日から9月2日まで、花巻~釜石間、小牛田運輸区の「風っこ」を使用した臨時快速「風っこイーハトーブ号」が運転。
2009(平成21)年3月20日 この日から3月22日まで、盛岡~釜石間、八戸運輸区の「きらきらみちのく」を使用した臨時快速「きらきらみちのく釜石号」が運転。
2009(平成21)年9月22日・23日 24系寝台車両4両+電源車1両をDE10で牽引する臨時快速「銀河ドリーム号」が、盛岡~釜石間で運転。

wikipediaより参照

TOP旅の記録路線各駅巡礼写真のページ>JR釜石線(岩手県)