(概要) 京浜東北線(けいひんとうほくせん)は、埼玉県さいたま市大宮区の大宮駅から、東京都千代田区の東京駅を経由して神奈川県横浜市西区の横浜駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)が運行する電車線の運転系統の通称である。大宮駅〜東京駅間は東北本線の、東京駅〜横浜駅間は東海道本線の一部である。 運行形態は横浜駅〜磯子駅〜大船駅間の根岸線と一体であり、合わせて京浜東北・根岸線と呼ばれる場合もある。 (歴史) 1914(大正3)年12月20日に、東京駅から高島町駅(廃駅)まで東海道本線の電車線が京浜線として運行を開始したのがはじまり。その後、現在の大宮駅〜横浜駅間の営業を開始したのは1932(昭和7)年9月1日のことであった。 |
ゼロキロポスト(2011年2月19日(土)東京駅3番線ホーム撮影) |
駒込駅〜田端駅間にある京浜東北線(左)と山手線(右)との分岐点(1)。 (2019年12月30日(月)撮影) |
駒込駅〜田端駅間にある京浜東北線(左)と山手線(右)との分岐点(2)。 (2019年12月30日(月)撮影) |
駅名 | 駅間 営業 キロ |
累計営業 キロ |
所在地 | 開業日 | ||||
(漢字表記) | (よみ) | 大宮 から |
東京 から |
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大宮駅 | おおみや | - | 0 | 30.3 | 埼 玉 県 |
さ い た ま 市 |
大 宮 区 |
1885(明治18)年3月16日 |
さいたま新都心駅 | さいたましんとしん | 1.6 | 1.6 | 28.7 | 2000(平成12)年4月1日 | |||
与野駅 | よの | 1.1 | 2.7 | 27.6 | 浦 和 区 |
1912(大正元)年11月1日 | ||
北浦和駅 | きたうらわ | 1.6 | 4.3 | 26.0 | 1936(昭和11)年9月1日 | |||
浦和駅 | うらわ | 1.8 | 6.1 | 24.2 | 1883(明治16)年7月28日 | |||
南浦和駅 | みなみうらわ | 1.7 | 7.8 | 22.5 | 南 区 |
1961(昭和36)年7月1日 | ||
蕨駅 | わらび | 2.8 | 10.6 | 19.7 | 蕨 市 |
1893(明治26)年7月1日 | ||
西川口駅 | にしかわぐち | 1.9 | 12.5 | 17.8 | 川 口 市 |
1954(昭和29)年9月1日 | ||
川口駅 | かわぐち | 2.0 | 14.5 | 15.8 | 1910(明治43)年9月10日 | |||
赤羽駅 | あかばね | 2.6 | 17.1 | 13.2 | 東 京 都 |
北 区 |
1885(明治18)年3月1日 | |
東十条駅 | ひがしじゅうじょう | 1.8 | 18.9 | 11.4 | 1931(昭和6)年8月1日 | |||
王子駅 | おうじ | 1.5 | 20.4 | 9.9 | 1883(明治16)年7月28日 | |||
上中里駅 | かみなかざと | 1.1 | 21.5 | 8.8 | 1933(昭和8)年7月1日 | |||
田端駅 | たばた | 1.7 | 23.2 | 7.1 | 1896(明治29)年4月1日 | |||
西日暮里駅 | にしにっぽり | 0.8 | 24.0 | 6.3 | 荒 川 区 |
1971(昭和46)年4月20日 | ||
日暮里駅 | にっぽり | 0.5 | 24.5 | 5.8 | 1905(明治38)年4月1日 | |||
鶯谷駅 | うぐいすだに | 1.1 | 25.6 | 4.7 | 台 東 区 |
1912(明治45)年7月11日 | ||
上野駅 | うえの | 1.1 | 26.7 | 3.6 | 1883(明治16)年7月28日 | |||
御徒町駅 | おかちまち | 0.6 | 27.3 | 3.0 | 1925(大正14)年11月1日 | |||
秋葉原駅 | あきはばら | 1.0 | 28.3 | 2.0 | 千 代 田 区 |
1890(明治23)年11月1日 | ||
神田駅 | かんだ | 0.7 | 29.0 | 1.3 | 1919(大正8)年3月1日 | |||
東京駅 | とうきょう | 1.3 | 30.3 | 0.0 | 1914(大正3)年12月20日 | |||
有楽町駅 | ゆうらくちょう | 0.8 | 31.1 | 0.8 | 1910(明治43)年6月25日 | |||
新橋駅 | しんばし | 1.1 | 32.2 | 1.9 | 港 区 |
1909(明治42)年12月16日 | ||
浜松町駅 | はままつちょう | 1.2 | 33.4 | 3.1 | 1909(明治42)年12月16日 | |||
田町駅 | たまち | 1.5 | 34.9 | 4.6 | 1909(明治42)年12月16日 | |||
品川駅 | しながわ | 2.2 | 37.1 | 6.8 | 1872(明治5)年6月12日 (旧暦:明治5年5月7日) |
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大井町駅 | おおいまち | 2.4 | 39.5 | 9.2 | 品 川 区 |
1914(大正3)年12月20日 | ||
大森駅 | おおもり | 2.2 | 41.7 | 11.4 | 大 田 区 |
1876(明治9)年6月12日 | ||
蒲田駅 | かまた | 3.0 | 44.7 | 14.4 | 1904(明治37)年4月11日 | |||
川崎駅 | かわさき | 3.8 | 48.5 | 18.2 | 神 奈 川 県 |
川崎市 川崎区 |
1872(明治5)年7月10日 (旧暦:明治5年6月5日) |
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鶴見駅 | つるみ | 3.5 | 52.0 | 21.7 | 横 浜 市 |
鶴 見 区 |
1872(明治5)年10月15日 (旧暦:明治5年9月12日) |
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新子安駅 | しんこやす | 3.1 | 55.1 | 24.8 | 神 奈 川 区 |
1943(昭和18)年11月1日 | ||
東神奈川駅 | ひがしかながわ | 2.2 | 57.3 | 27.0 | 1908(明治41)年9月23日 | |||
横浜駅 | よこはま | 1.8 | 59.1 | 28.8 | 西 区 |
1915(大正4)年8月15日 |
年表 | |
1914(大正3)年12月20日 | 東京駅から高島町駅(廃駅)まで東海道本線の電車線が京浜線として運行を開始。 |
当時は内閣鉄道院において最も長い電車による運転区間であったこともあり、1両の半分ではあるが二等客室(現在のグリーン席に相当)を有した車両(二・三等合造車)を連結していた。また、京浜電車とも称されていた。 東京駅の開設とともに京浜線電車の運行が開始されたが、準備不足により開業日早々に来賓を乗せた下り電車が途中で立ち往生するトラブルを引き起こした。仙石貢鉄道院総裁は翌12月21日の新聞各紙に謝罪広告を掲載したほか、その後もトラブルが起こっていたため電車の運行を一旦中断し、半年余り入念な試運転を行って運行を再開させた。 | |
1914(大正3)年12月26日 | 運行休止。京浜線専用駅の大井町駅・高島町駅営業休止。 |
1915(大正4)年5月10日 | 運行再開。大井町駅・高島町駅も営業再開。 |
1915(大正4)年8月15日 | 横浜駅が移転(現在の高島町辺り)し、高島町駅をそれに統合して廃止。 |
1915(大正4)年12月30日 | 運行区間を桜木町駅まで延伸。 |
1928(昭和3)年2月1日 | 東北本線田端駅〜赤羽駅間の電車線(複線)が完成。京浜線電車の運行区間を赤羽駅まで延伸。 |
1925年11月1日に開業した東北本線の電車線である東京駅〜田端駅間(山手線が環状運行で使用)に乗り入れ、また田端駅〜赤羽駅間は東北本線列車線(複線)に添う形で建設された電車線(複線)を増設することによって運転区間が延伸された。王子駅・赤羽駅周辺の築堤はこの時に建設されたものである(赤羽駅の築堤はその後の連続立体交差化工事により取り壊され、現存しない)。 現在のような京浜東北線の運行形態が始まる以前より、東北本線列車線(田端駅、王子駅経由)の上野駅〜大宮駅間には、三等車のみで区間運行する列車が複数設定されていた。 | |
1932(昭和7)年9月1日 | 東北本線列車線の赤羽駅〜大宮駅間を直流電化し、これに乗り入れる形で大宮駅まで運行区間を延伸。 大宮駅まで延伸した当初は現在と逆に東北・京浜線とアナウンスされていたようであるが、1956年11月19日から京浜東北線に改められた。ただし、1932年9月時点で「京浜東北線」という名称は登場しているようである。一説によると、東京西南地区の乗務員が「田舎くさい名前」だと嫌って、東京以南では相変わらず「京浜線」の名前を使用し続けたといわれている。実際、東京以南では1970年前後まで「京浜線」とアナウンスする駅が多かった(現在でも発車標などではスペースの都合上「京浜線」や「京浜」と表示される場合がある)。 |
1938(昭和13)年9月3日 | 戦時輸送への移行に伴い二等車を廃止。 |
1945(昭和20)年4月15日 | 蒲田電車区が空襲により被災し、焼失。一時的に蒸気列車による運転を実施。 |
1945(昭和20)年5月29日 | 横浜大空襲により東神奈川電車区が被災、焼失。 |
1949(昭和24)年9月15日 | 婦人子供専用車を設定(進駐軍用車両の後部半室を転用)。 |
1951(昭和26)年4月24日 | 当時終点であった桜木町駅構内にて工事ミスにより差し掛かったモハ63形2両が焼失し、106名が死亡する桜木町事故が発生。 |
1951(昭和26)年12月 | 進駐軍用車両の設定を廃止し、二等室に転用。 |
1952(昭和27)年3月15日 | 二等車を正式に再設定。 |
1956(昭和31)年11月19日 | 田端駅〜田町駅間の山手線・京浜東北線との分離運転開始。 全区間に方向別複々線を採用。東京都心部の電車区間内の複々線で貨客分離を除けば中央線の御茶ノ水駅〜中野駅間とこの区間のみが完成していたに過ぎない。 このうち、品川駅〜東京駅間は戦前の京浜線急行電車計画によりすでにホームや高架橋の一部などが完成しており(対米戦の開始により未成に終わった)、分離以前は東北線・高崎線・常磐線の一部列車が朝夕ラッシュ時に上野駅から新橋駅まで、常磐線の国電(現行の常磐線快速電車、当時は各駅停車で運転)が上野駅から有楽町駅まで、それぞれこの複々線のうち工事完了区間を利用して乗り入れていた。 |
1957(昭和32)年6月30日 | 二等車を廃止。 |
1964(昭和39)年5月19日 | 根岸線桜木町駅〜磯子駅間が開業し、同線と直通運転を開始。横浜駅〜桜木町駅間が東海道本線から根岸線に編入される。 |
1965(昭和40)年10月 | 103系の運用開始。 |
1968(昭和43)年10月1日 | 大宮駅〜赤羽駅間が東北本線列車と分離。 いわゆる「通勤五方面作戦」の一環で貨物列車・長距離列車・近距離電車との分離が実施されたことによる。 |
1970(昭和45)年11月 | 101系が中央線快速などからの転入開始。 |
1971(昭和46)年4月19日 | 72系などの旧形電車の運行終了。 |
1974(昭和49)年5月 | 山手線に引き続きATC対応103系冷房車を投入。1978年6月までに101系は南武線などに転用され撤退、103系初期型は横浜線や青梅線の新性能化などに転用された。 |
1981(昭和56)年12月6日 | 大宮駅〜蒲田駅間で自動列車制御装置 (ATC) 使用開始。 |
1984(昭和59)年1月29日 | 蒲田駅〜横浜駅間と根岸線でATC使用開始。 |
1988(昭和63)年2月13日 | 都心部(田端駅〜田町駅間)で日中の快速運転を開始。 |
1989(平成元)年10月27日 | 205系を導入。 |
1992(平成4)年5月7日 | 901系(後に209系へ称号変更)の運用開始。 |
1993(平成5)年2月15日 | 209系0番台車(量産車)の運用開始。 |
1995(平成7)年5月24日 | 209系に6扉車を連結開始。 |
1996(平成8)年2月 | 埼京線恵比寿駅延伸開業用車両捻出のため205系の運行終了。 |
1998(平成10)年3月 | 103系の運行終了。 |
1998(平成10)年7月4日 | 東京圏輸送管理システム (ATOS) 使用開始。 |
2001(平成13)年1月5日 | 209系500番台車の運行開始。 |
2002(平成14)年7月14日 | 快速電車の浜松町駅停車開始。 |
2003(平成15)年12月21日 | 南浦和駅〜鶴見駅間でデジタルATC (D-ATC) 使用開始。 |
2007(平成19)年12月22日 | E233系の運用開始。 |
2009(平成21)年8月14日 | デジタルATC (D-ATC) を大宮駅〜南浦和駅間および鶴見駅〜横浜駅間、直通先の根岸線に拡大導入。これにより、全区間デジタルATC方式となった。 |
2010(平成22)年1月24日 | 京浜東北線・根岸線での209系0番台の運行終了。翌25日からE233系1000番台に統一。 |
2010(平成22)年4月19日 | 平日朝の7時30分から9時30分までに東京駅に到着する南行、品川駅に到着する北行の電車に女性専用車両を設定。 |