JR函館本線 (上り) 上幌向駅 岩見沢駅 (下り) 峰延駅
JR室蘭本線 志文駅 終点
JR函館本線・室蘭本線
岩見沢駅
(Iwamizawa)

◆2017年5月3日(水)撮影
開業:1884(明治17)年8月15日

所在地:北海道岩見沢市有明町南1-1

キロ程:326.9km(函館起点)、211.0km(長万部起点)
駅名由来
開拓者が休泊所で浴(ゆあみ)をして疲れを癒した事にちなみ、付近が「浴澤」(ゆあみさわ)と称されるようになる。これが転訛し「岩見澤」(いわみざわ)になったとされる。北海道の市町村としては珍しい和名由来の自治体名である。

その他
北海道内でもっとも古い幌内鉄道の主要駅として開業した古い歴史を持ち、現在の函館本線や室蘭本線に加え、かつては幌内線や万字線(ともに廃線)が乗り入れ、鉄道の一大拠点であった。そのため、最盛期には増大する貨物輸送に対応するために東日本最大の操車場が存在した。現在でも広大な駅の敷地を有し、その痕跡を見ることが出来る。

※参考、引用サイト:Wikipedia

駅名標

駅舎(待合所)南口
2007年開業の4代目駅舎。


駅舎(待合所)北口

函館本線:上り(函館方面)
室蘭本線:上り(長万部方面)

函館本線:下り(旭川方面)
室蘭本線:下り(終点)

駅前(1)南口

駅前(2)南口

駅前(1)北口

駅前(2)北口

駅舎(待合所)内(1)

駅舎(待合所)内(2)

ホーム上にある乗り換え案内板(函館本線)

ホーム上にある乗り換え案内板(室蘭本線、石勝線)

駅舎は新しくなりましたが、3・4番線ホームの上屋は昔のままです。

3・4番ホームに設置されている、木彫りの「ばんばの像」。ばんえい競馬(岩見沢競馬場では2006年に終了)をPRする目的で1980年に製作・設置されたもの。

跨線橋も昔のままで、古レールが建材として使用されています。「KRUPP GERMANY 1890 HTT」の刻印が読み取れます。以下、現地案内板より。
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本レールは、北海道開拓使から幌内鉄道を払い下げられた北海道炭鉱鉄道会社(1889年~1906年)が、1890年(明治23年)にドイツのクルップ社に発注したもので、現存する貴重なものです。今は本来のレールの役割を終え、昭和24年からこの場所で余生を送っています。

駅スタンプ

駅構内にある岩見沢運転所。

転車台。一見すると現在でも使用できそうな状態です。

岩見沢駅北口にある岩見沢レールセンター。

現在でも、JR北海道で使われているレールのすべてを製造しています。

五稜星のマークは旧北海道炭礦鉄道の社章。

1898年9月着工し、翌1899年8月に完成した建物で、現在では、その希少性から、近代化産業遺産および準鉄道記念物の指定を受けている。

岩見沢操車場の敷地内は広大で、かつての貨物輸送の多さを偲ばせます。

現在の室蘭本線は、旧岩見沢操車場を通り、上幌向駅手前で分岐する距離の長い経路をとっていますが、かつて、岩見沢駅~志文駅間の貨物輸送量増大による線路容量不足を解消するために1961(昭和36)年に増線された貨物線で、こちらが元々の本線(旅客線)でした。しかし、旅客線は、旧国道12号と踏切で交差していたため、自動車の渋滞が多発して問題となり、また線路が市街地を分断するという問題があった。一方の貨物線は市街地を抜けて農地で国道12号を立体交差するため、自動車交通の妨げになっていなかった。そのためこれらの問題を解消するため、1994(平成6)年には休止状態になっていた貨物線を復活させ、旅客線を廃止し、現在の経路となった。現在では旅客線の線路は撤去され、跡地の一部は室蘭本線跡地緑地に整備されている。

かつての本線は車両庫となって行き止まりとなってます。

こちらは操車場時代の名残。

かつては何本もの線路が敷かれて、たくさんの貨物が係留されていたんでしょう。

レールを見てみると、1959年のレールで、貨物輸送全盛期の頃のものとわかります。

旧線跡は、広場として整備されています。

こちらは反対の岩見沢駅側。路線跡がそのまま空き地として残されています。

「工事名 室蘭本線跡地 緑地園路広場整備」の杭が立てられています。

鉄道風のモニュメントが設置されています。

現在の函館本線と室蘭本線の分岐点は、上幌向駅側にあります。

踏切付近で分岐します。

「第14号線踏切」といいます。

踏切から撮影。左が函館本線、右の高架が室蘭本線。

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