(概要) 南部鉄道は、東北本線千曳駅(後に野辺地駅に延伸)と七戸町を結んだ路線である。廃止時の営業キロは20.9km(野辺地〜七戸駅間)。 (歴史) 明治時代に全線開通した東北本線は直線的に敷設したため、かつての街道筋の宿場町を通らないことがあった。そこで東北本線から外れた宿場町では、会社を立ち上げて小私鉄を敷設して東北本線までつなげようという気運が高まった。 南部縦貫鉄道もそのうちの一つであるが設立は遅く、1953(昭和28)年にようやく沿線自治体が資金を拠出して、東北本線の千曳駅とかつての奥州街道の宿場町五戸を結ぶことを目的として南部縦貫鉄道が設立された。免許を取得して工事を開始したが、まもなく資金が尽き工事が中断した。しかしこの頃、下北半島の産業を振興する目的で国策会社「むつ製鉄」が設立され、沿線の天間林村から南部縦貫鉄道で砂鉄輸送を行う構想が持ち上がった。そこで、むつ製鉄の事業主体である東北開発会社が南部縦貫鉄道に出資し、1962(昭和37)年10月10日に開通にこぎ着けた。 しかし、輸入鉄鉱石の価格下落により1965(昭和40)年にむつ製鉄の計画が頓挫、天間林からの砂鉄輸送はほとんど行われないまま中止され、収入の4割を失う痛手を被った。さらに、並行道路にはすでに路線バスが走っていたうえ、この頃からモータリゼーション時代の突入によって旅客収入は見込めず、1966(昭和41)年5月には会社更生法の適用を申請することになり、以後「更生会社」の肩書きを持つ鉄道会社となる。鉄道事業だけでは経営が成り立たないため、自治体から清掃事業や給食調理を受託し、その収益で存続してきた。 1968(昭和43)年には東北本線が複線化にあわせて行った線形改良工事が野辺地〜千曳間で行われ、南部縦貫鉄道との乗り入れ駅である千曳駅が移転することになった。そこで南部縦貫鉄道はこの旧線区間の一部を無償で借り受け、千曳駅を西千曳駅として、野辺地駅までの延長開業を行った。この延長開業の目的は、そもそもこの路線は貨物輸送を目的としたもので、旅客についてはさほど考慮していなかったためである。つまり、寒村で旅客収入が見込めない千曳駅よりは、下北半島への玄関口として大湊線を有し人口も集中している野辺地駅での旅客収入を期待したものである。その後は、沿線の農産物を輸送する貨物輸送で一時は収入の半分以上を占めていたが、1984(昭和59)年の国鉄合理化により野辺地駅での貨物扱いが廃止され、同社での貨物輸送も廃止された。 その後は、東北新幹線とのアクセス鉄道としての方向に活路を見いだそうとした。東北新幹線の青森延伸には「フル規格」と「ミニ新幹線」方式での建設案があった。「フル規格」方式は新幹線専用線路を敷設する方式、「ミニ新幹線」は従来の東北新幹線を改良して使用する方式で、「フル規格」で延伸された場合、同社のルート上の七戸に新幹線駅が設置される予定となり、この七戸駅へ乗り入れして、七戸から野辺地を経て東北本線とアクセス、さらに下北半島へはJR大湊線を使って中心都市であるむつ市までのアクセスが可能となる。同社はこのフル規格に望みを託すことになる。 しかし、新幹線建設計画はいっこうに進まず、西千曳〜野辺地間の借用区間を日本国有鉄道清算事業団からの買い取りまたは返還を要請されるにいたってに力尽き、1997(平成9)年5月6日に休止の扱いとなった。ちなみに買い取りの場合の価格は5,100万円で、さらに今後数年間で同社の鉄道車両や施設の維持費として4億円がかかる見込まれていて、赤字路線ではとうていまかないきれる金額ではなかった。ところが、全国的にも珍しいレールバス路線であったために全国各地からファンが殺到し、いったん決まった「廃止」を撤回して「休止」扱いとした。 その後、沿線自治体によって旧国鉄用地を500万円での買い取りで決着し、新幹線についても、1999(平成11)年にようやくフル規格での青森延伸建設が決定したが、開業予定は2010(平成22)年とされた。その間の休止中に荒廃した鉄道施設の復旧が予想以上に困難であったことから復活を断念し、2002(平成14)年8月1日に正式に廃線となった。 廃止後、鉄道設備は2003年秋頃より順次撤去が進み、旧七戸駅構内以外では撤去が完了している。旧七戸駅構内は駅舎を含め鉄道設備が残され、駅舎2階が運営会社の本社として、駅1階は倉庫として利用している。レールバスについては現在でも保存がされ、またレールバスが運行できるように600mほど線路が残され、年1〜2回体験乗車などのイベントが開催されている。 |
南部縦貫鉄道廃止時の路線図 |
@七戸駅〜七戸川橋梁 | A中野駅〜後平駅 |
B西千曳駅 | C西千曳駅〜野辺地駅 |
駅名 | 駅間 営業 キロ |
累計 営業 キロ |
所在地 | 開業日 | ||
(漢字表記) | (よみ) | |||||
野辺地駅 | のへじ | - | 0.0 | 青 森 県 |
野辺地町 | 1962(昭和37)年10月20日 |
西千曳駅 | にしちびき | 5.6 | 5.6 | 東北町 | 1962(昭和37)年10月20日 | |
後平駅 | うしろたい | 3.4 | 9.0 | 天間林村 | 1963(昭和38)年4月1日 | |
坪駅 | つぼ | 1.5 | 10.5 | 1962(昭和37)年10月20日 | ||
坪川駅 | つぼがわ | 1.1 | 11.6 | 1963(昭和38)年4月1日 | ||
道ノ上駅 | みちのかみ | 1.9 | 13.5 | 1962(昭和37)年10月20日 | ||
天間林駅 | てんまばやし | 1.0 | 14.5 | 1962(昭和37)年10月20日 | ||
中野駅 | なかの | 1.1 | 15.6 | 1962(昭和37)年10月20日 | ||
営農大学校前駅 | えいのうだいがっこう | 1.6 | 17.2 | 七戸町 | 1962(昭和37)年10月20日 | |
盛田牧場前駅 | もりたぼくじょうまえ | 1.2 | 18.4 | 1964(昭和39)年4月11日 | ||
七戸駅 | しちのへ | 2.5 | 20.9 | 1962(昭和37)年10月20日 |
1953(昭和28)年12月23日 | 南部縦貫鉄道設立 |
1962(昭和37)年10月20日 | 千曳〜七戸間開業 |
1963(昭和38)年4月1日 | 後平駅、坪川駅開業 |
1964(昭和39)年4月11日 | 盛田牧場前駅開業 |
1966(昭和41)年5月 | 南部縦貫鉄道が会社更生法適用を申請(1984年(昭和59年)に更生計画終了) |
1968(昭和43)年5月16日 | 十勝沖地震で全線不通に |
1968(昭和43)年8月5日 | 国鉄東北本線の線路付け替えに伴い、廃止区間を借用し野辺地 - 千曳(名称を西千曳に変更)間を延長し、全線復旧・運行再開 |
1984(昭和59)年2月1日 | 貨物営業廃止 |
1997(平成9)年5月6日 | 全線休止 |
2002(平成14)年8月1日 | 全線廃止 |