JR奥羽本線4駅連続スイッチバックの遺構
板谷駅
(Itaya)

◆2015年5月17日(日)撮影
開業:1899(明治32)年5月15日

所在地:山形県米沢市大字板谷582

キロ程:21.2km(福島起点)

※参考、引用サイト:Wikipedia
 前回の2013年9月には全国有数の秘境駅と言われる赤岩駅を探索しましたが、今回は板谷駅→峠駅→大沢駅に行ってきました。この赤岩、板谷、峠、大沢駅は、山形新幹線の開業前は4駅連続スイッチバックで有名でしたが、新幹線と在来線直通運転のための改軌工事が施され、4駅ともスイッチバックが廃止されました。
 板谷駅の特徴としては、
  • 止まる電車本数が極端に少ない(上下それぞれ6本)。
  • 福島市と米沢市を結ぶ重要道路である国道13号(万世大路)からすぐ近くなので、ほかの3駅に比べると自動車での訪問が楽である。
  • 旧米沢街道の宿場町であったため周辺に民家が比較的ある。
と、4駅の中では一番訪問しやすい駅となっています。

1976(昭和51)年当時のスイッチバック設備が健在だった頃の板谷駅周辺の空中写真。
拡大写真は、こちら(新しいウィンドウで開きます)(国土変遷アーカイブス)を参照。

右上の空中写真に加筆。

福島から国道13号の東栗子トンネルを抜けて山形県に入ると、左に板谷駅に向かう道路が分岐しています。

この道路が板谷駅への連絡道路となります。

駅付近です。赤岩駅や峠駅に比べると民家が多いです。江戸時代の米沢街道の宿場町だった名残でしょうか?

このお店にはスイッチバック時代の写真が展示されていました。

現在の駅までの道のりの案内図。左が現在の駅で、右が旧駅。
なぜか「スノーヒェット」の表記。

現在の駅は入り口から300mほど歩きます。

途中にはスノーシェルターがあり、そこを通ります。

ちなみに柱は廃レールを使用しています。

先に現在の駅が見えてきました。

駅名標(1)

駅名標(2)旧国鉄様式

駅名標(2)

駅舎(待合所)

上り(福島方面)

下り(青森方面)

「22.4パーミル」を示す勾配標。

「駅中心」の表示。おそらく「福島より21.350km」地点であることを示している。

左は、現在の入り口通路で、旧駅へと続きます。中心の線路は本線です。

左写真と同じ場所で福島方面を望遠撮影してみました。
緩やかな傾斜になっているのがわかります。

この付近の傾斜はなんと「22パーミル」。蒸気機関車時代では20パーミルが限界だったことからもこの区間の難所ぶりがよくわかります。

E3系新幹線「つばさ」がちょうど通過していました。この区間では新幹線でも徐行運転を強いられます。

現在の駅を後にして、今度は旧駅を訪問しています。

本線方面。先ほど通ったスノーシェルターが見えます。

引き込み線はここで終了です。

駅名標は風雨に晒されて字の判別が難しくなっています。

こちらはおそらく観光名所板だったと思われます。

こちらは完全に剥げています。

かつての駅舎。

現在は地元の集会所として使用されているそうです。

駅舎にあった建物財産標。「昭和60年3月19日」の表記がありますので、現役で使用されたのは5年程度だったことがわかります。

この先終点まで行こうと思いましたが草木が生い茂っていたのでここからの接近は断念しました。

板谷駅の近くにはジークライト本社工場・板谷鉱山があり、かつては製品を貨物で輸送していました。そのため積込設備が現在でも残されているとのことですが、草木が生い茂っていたことと調査不足で特定できませんでした。
ここは駅舎横にある留置線。

旧駅前にある「殉職碑」。1947(昭和22)年に福島~米沢間の直流電化工事が進められていた最中に工事用車両のトラブルに遭遇した際、工事区長中沢氏は大惨事を未然に防いだが本人は亡くなられたことが記されています。

ジークライト本社工場・板谷鉱山。ゼオライト(沸石)を産出し、かつては鉄道による貨物輸送が行われていました。

左の築堤はかつての加速線跡。右には鉱山が見えます。

築堤を登ってみました。鉱山に向かって架線柱が続き、加速線跡が残されていましたが、途中でため池のようなもので分断されていました。

貨車への積込施設の一部でしょうか、不明です。

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