大滝〜及位間は、1904(明治37)年開業時に、大滝側から第一及位(のぞき)、第二及位、第三及位の順番で隧道が建設されました。 第三隧道は、将来の交流電化を前提として設計された新しいトンネルに1962(昭和37)年に切り替えられ、第一、第二は交流電化による営業に伴い1975(昭和50)年に新トンネルに切り替わりました。そのため、三隧道とも前後区間とともに「旧線跡」として残っています。 この日は、「及位〜院内」間にある岩崖隧道を回って、こちらに来たんですが、こちらの方が危険度が格段に大きく、マニアにとってはある意味廃墟だらけのご褒美案件となっていて、先ほどの岩崖隧道区間が初心者向けピクニックみたいに感じられます。もちろん、命の保証はありません(笑)。 結論から言いますと、第一及位>第三及位(そもそもとある事情があって通れない)>第二及位の順番の危険度でした。 |
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「国土地理院の電子地形図25000を掲載」 国土地理院発行地形図の引用について http://www.gsi.go.jp/LAW/2930-meizi.html |
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@第三及位隧道旧線入口 | |
ちょうど、国道13号線と及位トンネルが並行する地点にありますので、すぐに分かります。 |
この保守作業用道路を登ります。 |
上り(大滝)方面に向かいます。 |
反対側の下り(及位)方面。旧線はこの先まもなく現在線と合流します。 |
A第三及位隧道 こちらは1962(昭和37)年に第一〜第三の中でも一番早く切り替えられました。 坑口に近づくと、土砂が天井近くまで積まれ、坑内も同じく土砂が天井近くまで積まれていました。また坑内も、近くの岩崖隧道と同じくH鋼を蛇腹のように内壁に巻き付ける補強がされているので、現役時代に何らかの変形があったものと推測されます。 隣接している国道13号の及位トンネルがありますが、1960(昭和35)年竣工であるこのトンネルは狭隘のため、平成に入ってから拡張工事を行いました。この土砂が積まれた理由がこの拡張工事による崩落変形防止かなにかのためのものなのかは不明です。 |
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左が旧線、右が現在の第三及位トンネルです。 |
第三及位トンネル、全長110m。185.380km〜195.490km地点。 |
こちらが旧線の第三及位隧道。一見すると見失ってしまいそうですが、上部部分がわずかに顔を出しています。 |
天井近くまで土砂が入り込んでいます。どうやら自然のものではなく人為的に埋められたもののようです。 |
この日訪問した及位〜院内間にある岩崖隧道と同じくH鋼が内壁を巻き付けるような補強がなされています。 |
上部にある要石と、とあるサイトで話題になった要石上に刺さっているレール。 |
内部拝見。さすがに不気味すぎて中に入る勇気はありませんでした。 |
おそらく、この日訪問した及位〜院内間にある岩崖隧道と同じく、1960年代に行われた並行している国道の拡張工事の影響で何らかの変形をきたしてしまったのかもしれません。 |
B第一及び第二及位隧道旧線跡入口 | |
入り口は、及位駅から国道13号線を南下し、途中でバイパスを通らずに旧道を右折し、新及位集落でさらに県道35号線に右折して400mほど進み、線路と並行する地点にある保線用道路がそれです。周りに何もないのですぐに見つかるはずです。 |
ちなみにこの先は旧及位集落があって、大滝駅へと続きます。 |
入り口近くにあった排水路ですが、煉瓦造りのアーチ状のなかなかお洒落な作りになっています。 |
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C及位第二隧道 まずは下り(院内)側にある及位第二隧道に行ってみます。第一と同様、交流電化による営業に伴い1975(昭和50)年に新トンネルに切り替えられています。 第一に比べると、比較的状態は良いですが、保守が全くされずに部分的な崩落個所もありますので要注意です。 |
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左が現在のトンネルで、右が目的の旧及位第二隧道です。 |
こちらが現在の第二及位トンネル。 |
下に見えるのは、延命寺敷地内の墓所。 |
上り(大滝)側入り口。一見すると目立った損傷はありません。 |
入り口だけをみると、アーチ上部にある要石もしっかりしています。 |
内部へと入っていきます。落石防止のため、気休め程度の自転車用のヘルメットをかぶってはいましたが、やはり気が休まりません。 |
天井には蒸気機関車が現役だった時代の名残のすすがみられました。 |
やっぱり崩落している場所がありました。 |
さらに進むと側壁が崩れ、内部がむき出しになっている部分がありました。 |
内部が暗くてあまり気づきませんでしたが、よくよく下を見るとバラストとは明らかに違う白いものが散乱していました。どうやら坑内壁面に塗られたモルタルのようなものが剥がれたものと思われます。 |
退避所 |
こちらはモルタルが剥がれ煉瓦がむき出しです。 |
ここが一番の危険個所。下り(院内)側入り口付近で、側壁崩落が進んで石組みが崩れ、煉瓦がむき出しとなっています。 |
同じ場所を天井方向に撮影。天井部分のモルタルが剥がれ、煉瓦がむき出しで非常に危険でした。自転車用ヘルメットでは到底落下衝撃を防ぎきれません。 |
何とか隧道を抜けて一安心ですが、またここを戻る必要があるので細心の注意を払い生きた心地がしませんでした。ちなみに下り(及位)方面はスノーシェードとなっています。 左の白い塊は残雪です。 |
残雪と廃隧道。 |
スノーシェードも役目を終え、完全に風化が進み、骨組みがむき出しとなっています。 |
このスノーシェードの覆いはは木の板張りのようです。なので、風化しやすかったのかもしれません。 |
この先、現在線との合流地点となります。 |
擁壁。その奥に現在のトンネルがあります。 |
現在のトンネルのアーチ部分に銘板が見えました。 |
拡大すると、着手:昭和49年10日、しゅん功昭和50年6月とあります。 |
自然に帰る廃隧道。見とれてしまう風景でした。 |
旧及位集落が見えます。 |
D旧線と現在線との合流地点 | |
下り(及位)方面。この先、現在線と合流します。 |
上り(大滝)方面。左にはCで紹介した第二及位隧道が見えます。 |
ちょうど電車が通過していきました。 |
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E第一及位隧道 第二と同様、交流電化による営業に伴い1975(昭和50)年に新トンネルに切り替えられています。 現況は、第二以上に状態が悪く危険です。出水箇所が複数あり、また出水箇所から煉瓦の崩落があちこち見られ、天井からの落下の危険性がありますので内部へ入るのはお勧めできません。 |
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右が現在のトンネル。左には第一及位隧道があるはずですが、見つかりません。 |
現在の第一及位トンネル。全長318m、183.322km〜183.640km地点です。 |
アーチ部に銘板が見えます。 |
拡大すると、着手:昭和49年8日、しゅん功昭和50年8月とあります。 |
旧線は現在のトンネルそばではなく若干離れていました。 |
ちょうど先ほどの道路に沿って延びています。 |
道路から坑口が見えています。これが最後にして最悪の難関の第一及位隧道です。 |
第一及位隧道、下り(及位)方面入口に到着。事前情報では相当危険な箇所があるとのことで心してかかりました。 |
翼壁左側。かつての石組みも崩れていました。 |
翼壁右側。天井のモルタルが剥落して煉瓦がむき出しになっています。まだこれは序の口です。 |
内部へと入っていきます。右側側壁が崩れています。 |
さらに進むと、モルタル剥離がさらに進み、内部の煉瓦も崩れています。 |
側壁は内部の煉瓦も崩れています。実はこれも序の口です(笑)。 |
こちらも同様です。 |
待避所 |
あちこちに崩れたモルタルや煉瓦が散乱していてヤバい雰囲気です。 |
くどいようですが実はまだ序の口です。 |
キロポストだった物体が落ちていました。 |
碍子に木の杭が付いているこの光景はこの隧道最大の謎です。訪問者のいたずらでしょうか。ちなみにこの碍子は現役時代に電線が通っていたもののようです。 |
まだまだ先を進みますが、上り(大滝)方面へ進むに従って崩落が進行しています。出口はあともう少しですが、ここからが最凶区間となります。 |
煉瓦ごと大きく崩落していました。 |
もうあちこちで、見飽きるくらいでした。 |
ここで地震があって煉瓦が落下すれば気休め程度の自転車用ヘルメットではどうしようもありません。やはり軍隊使用の鉄兜が必須でしょうか。 |
ここがこの隧道最凶部分です。崩落した煉瓦や石が積み重なっています。 |
その天井を見ると、水滴がしたたり落ちる程度ですが出水していました。これから加速度的に崩落が進むものと思われます。 |
なんとか出口に到着です。 |
上り(大滝)方面入口。明治時代の典型的な石積みの造りで、見たところ、翼壁も付け柱も崩れたところはありません。 |
この先さらに旧線は続きます。 |
奥に人家見えてきました。合流地点もまもなくです。 |
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F旧線と現在線との合流地点 | |
さらに進むと、右に現在線が見えてきました。 |
左が現在の及位第一トンネル。右が及位第一隧道。 |
ここで旧線の築堤が崩されています。 |
もしかしたら、かつて橋梁があって、後年撤去されたのかもしれませんが分かりません。 |
この道路は現在線下を通っていきますが、かつて品川駅にあった通称「提灯殺し」の低さです。 |
ちょうど電車が通過していきました。 |
合流地点には踏切があります。 |
旧及位踏切(183.088km地点)です。 |
踏切上より上り(大滝)方面撮影。 |
同様に下り(及位)方面撮影。右側の空き地が旧線跡。 |
この先、及位第一隧道へと繋がります。 |
路線に沿って広がる比較的大きな旧及位集落。江戸時代には宿場町として栄えたと言います。 帰りはまたあの及位第一隧道を戻る気力や勇気が無く、この集落を通って出発地点まで戻りました。 |