かつて夕張線は追分~夕張の区間の本線と、紅葉山(現在の新夕張)~登川の区間の登川支線(全長7.6km)がありました。 追分~夕張間は夕張炭田の石炭運搬を目的として1892(明治25)年11月1日に北海道炭礦鉄道夕張支線として開通し、1906(明治39)年に国有化された。1907(明治40)年5月16日には紅葉山(現在の新夕張)から分岐して楓までを結ぶ貨物線が開業、さらに1911(明治44)年12月に楓~登川間が三井鉱山の専用線として開業し、1916(大正5)年7月11日に専用鉄道を国有化し、全長7.6kmの登川支線となった。楓駅と登川駅にはそれぞれ炭鉱があり、石炭輸送で活況を呈したが、戦後のエネルギー革命による石炭から石油への転換により炭鉱は次々と閉山していき、石炭輸送もなくなり、いつ廃止になるともわからない赤字ローカル線となっていった。 このとき、道央(札幌)と道東(帯広)を最短距離で結ぶ路線として石勝線が敷設されることになり、1981(昭和56)年10月1日に開業となった。夕張線の追分~紅葉山(現在の新夕張)は線路改良工事を行った上で石勝線の一部となり、紅葉山駅は新夕張駅となって夕張までの区間は石勝線の夕張支線となりました。一方の登川支線は石勝線の新線区間と並行することと利用者の減少によって、楓駅を石勝線上に移転させた上で同年7月1日に廃止となりました。 |
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「この地図は、国土地理院発行の2.5万分の1地形図(紅葉山)(昭和51年発行)を使用したものである。」 国土地理院発行地形図の引用について http://www.gsi.go.jp/LAW/2930-meizi.html |
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「国土地理院の電子地形図25000を掲載(2019年)」 国土地理院発行地形図の引用について http://www.gsi.go.jp/LAW/2930-meizi.html |
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「国土地理院の電子地形図25000を掲載(2019年)」 国土地理院発行地形図の引用について http://www.gsi.go.jp/LAW/2930-meizi.html |
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①分岐点と廃隧道 | |
登川側 |
重厚な煉瓦造りですが、上部にヒビが入っています。 |
隧道脇には路線跡がありますが、隧道は1914(大正4)年に廃止されて、その後はこの路線が使用されていたとのことです。 |
千歳側 |
隧道脇には小さな滝が流れていました。そのためこの付近はぬかるんでいます。 |
この先を進むと現在の路線との合流点となりますが、ぬかるみが激しいので進むのを断念しました。 |
② | |
登川方面。この先が旧紅葉山駅構内。 |
千歳方面。奥には先ほどの廃隧道があります。 |
傍らに鉄道関連の物かは不明ですが、煉瓦造りの残骸がありました。 |
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③旧紅葉山駅 (2017年5月3日(水)撮影) |
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かつては夕張線の紅葉山駅でしたが、石勝線の開通によって、追分~当駅間のほとんどは路盤強化工事を行ってそのままの路線を使用しましたが、一部では経路変更が行われ、10mほど離れた高台へと移転して「新夕張駅」となりました。 |
新夕張駅のふもと、つまり紅葉山駅の跡。駅構内跡地には道の駅が建設されました。 |
紅葉山駅の痕跡は残されていませんでした。 |
新夕張駅への階段の途中から撮影。紅葉山駅の駅舎は右側にありました。 |
ちょうど、左側にある建物の右側の空き地が紅葉山駅の駅舎があったところです。 |
新夕張駅ホームより。右側にお寺が見えますが、その前に紅葉山駅がありました。 |
紅葉山駅跡は、北側が道の駅として整備されていますが、南側の駅舎があった場所は、開発されず空き地のままとなっています。 |
道の駅内には、夕張鉄道と登山支線の展示がされていました。中央の「登川-紅葉山」のサポは、旧夕張線登山支線のもの。 |
④ (2017年5月3日(水)撮影) |
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登川側を撮影。中央に見える盛り上がったものが路線の築堤跡。 |
反対側の千歳側を撮影。こちらは痕跡が残っていませんでした。 |
⑤紅楓(こうふ)橋 | |
夕張川に架かる紅楓(こうふ)橋です。 |
北側に鉄道橋が架かっていました。 |
登川側には築堤跡が部分的に残されていました。 |
千歳側には橋台が残されていました。 |
拡大すると橋台がよくわかります。 |
千歳側を撮影。右側が路線跡です。 |
登川側を撮影。左側が路線跡。 |
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⑥道路との交差地点 | |
登川側を撮影。左右に分岐する道路の真ん中が路線跡。この付近に踏切があったものと考えられます。 |
千歳側を撮影。 |
⑦ホロカクルキ川橋梁跡 | |
コンクリート製の橋台跡が残されていました。 |
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⑧ | |
この先、路線跡が不明瞭となります。 |
中央部分を左右に路線跡が通っています。 |
こちらは若干路線跡らしき段差が見えます。 |
反対側は不明瞭です。 |
⑨道東自動車道との交差地点 | |
さらに進むと道東自動車道との交差地点となります。 |
この交差地点で路線跡は分断されます。 |
道東自動車道を越えても路線跡は不明瞭となります。自動車道建設でこの付近の地形も変わっているようです。 |
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⑩ | |
この付近で再び路線跡が見えてきました。道路より一段高い右上が路線跡。 |
この先路線跡は徐々に高くなっていきます。 |
⑪ | |
一段高い左上が路線跡。 |
路線跡。 |
登川側を撮影。この先明瞭な路線跡が続きます。 |
鉄道路線らしい緩やかな曲線区間が続きます。 |
のどかなローカル線の雰囲気が残されています。 |
見えづらいですが、国道が見えます。この先の区間は国道と並走し、一部転用されています。 |
⑫ | |
この先路線跡は国道を並走します。右側が路線跡です。 |
久留喜橋。左側が路線跡です。 |
⑬国道転用地点か? | |
桂橋。上を通る高架は道東自動車道。中央に見える盛り上がった所は路線跡でしょうか。当時の空中写真と比較しても、国道が線形改良工事で北側が現在の南寄りに移っているので、この改良工事でも路線跡が取り払われたか、この地点から路線跡が国道に転用された可能性があります。 |
この先も明確な路線跡は確認出来ないか、そもそも国道に転用されたのかもしれません。 |
「国土地理院の電子地形図25000を掲載(2019年)」 国土地理院発行地形図の引用について http://www.gsi.go.jp/LAW/2930-meizi.html |
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⑭石勝線との交差地点 | |
⑮楓駅(2代目) | |
※楓駅について 楓駅は初代から3代目まで2回移転しています。 初代:1907(明治40)年5月16日に夕張線紅葉山(現:新夕張)~楓間開業にともない楓貨物取扱所として新設され、1909(明治42)年7月10日に旅客扱い開始し、楓駅に改称される。最盛期には近隣の北炭楓鉱から産出される石炭の積み出しで繁栄したが、エネルギー革命による石油への転換のため1967(昭和42)年1月に楓鉱の合理化による石炭積出し廃止に伴い、駅を紅葉山寄りの本線上に移転し、初代駅が廃止される。ちなみに楓鉱は1987(昭和62)年まで操業していました。 2代目:1967(昭和42)年1月に従来のスイッチバックを解消し、紅葉山寄りの本線上に移転する。つまり今までは登川駅まで行くためにはスイッチバックが必要であった。駅舎から一段高い所にある板張りの単式ホーム1面1線の構造になる。国鉄末期の経営合理化のため、赤字路線となっていた登川支線は1981(昭和56)年7月1日に廃線となり駅も廃止。 3代目:石勝線建設時より同地には停車場の設置が計画されており、1981年10月1日の石勝線開業にあたっては、先立って廃止された夕張線登川支線にあった楓駅(初代・2代目)および登川駅の代替として、楓駅として開業した。「楓駅」としては登川支線にあった初代・2代目に続く3代目に当たる。2004(平成16)年 3月13日:旅客営業廃止。同時に楓信号場となり、駅舎は同年10月に撤去される。 |
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⑯楓駅(初代) | |
現在は北海道物産センター夕張店となっています。 |
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⑰楓駅(3代目)→楓信号場 | |
信号場周辺(1) |
信号場周辺(2) |
中央にある空き地に楓駅の駅舎(3代目)がありました。 |
駅ホームだった3番線は現在も側線として、保線用車両の留置等に使用されている。 |
上り(千歳方面) ※跨線橋より撮影 |
下り(新得方面) ※跨線橋より撮影 |
信号場建物 ※跨線橋より撮影 |
この先路線跡は続きます。右の赤い橋桁は石勝線のものです。 |
⑱バス停「登川」停留所跡周辺 | |
この先にはバスの転回所があり、かつては登川支線廃止の代替として設定された夕張鉄道(夕鉄バス)登川線「登川」停留所が設置されていたが、2017(平成28)年9月30日をもって廃止された。 |
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⑲ | |
⑳滝沢川橋梁(仮称)跡 | |
この付近で明確な路線跡を見ることが出来る場所に到着。滝沢川の看板が目印です。 |
手前が路線跡の橋台。その先に見えるのがかつての登川炭鉱時代の生活道路です。この橋台は道東自動車道建設のために大型車両が通れるように仮橋梁の橋台として再活用されたとのことです。 |
明治時代の鉄道構造物に多用された重厚な煉瓦造りの橋台です。 |
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この先、路線が続きますが、その跡は不明瞭となります。 |
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㉑登川駅跡 | |
先を進むと、比較的広い平坦地が現れ、この地がかつての登川駅構内となります。現在は一部が道東自動車道の管理用地となっています。 |
登川駅は1916(大正5)年築の大きな木造駅舎で、晩年まで(1981(昭和56)年7月11日廃止直前の同年5月25日)有人駅であり、登川炭鉱から産出される石炭や木材の積み出し線を有し活況を呈していたという。今では人家もほぼ無い状態だが、北炭登川炭鉱の施設・炭鉱住宅があった。 |
左側に駅舎があったようです。 |
登川支線の終点です。小山が印象的でした。 |
この先、林道が続きます。 |