開業:1897(明治30)年11月16日 廃止:1899(明治32)年4月17日 (官報による。実際は1899年5月10日まで貨物取扱駅として存続) 所在地:茨城県那珂郡額田村(廃止時) キロ程:?km(上菅谷起点) |
駅名由来 その他 久慈川駅は久慈川橋梁工事が終わるまで、久慈川南岸に設けられた仮の駅で、橋梁完成後には役目をはたして廃止となった。 水戸駅と太田駅(現:常陸太田駅)を結ぶ目的で設立された太田鉄道は、1897(明治30)年には水戸駅~久慈川駅まで開業したが、久慈川を流れる橋梁建設が難航し、1899(明治32)年に橋梁が完成し、久慈川駅~太田駅が延伸開業した。しかし、この橋梁建設をはじめとする鉄道建設工事によって経営難に陥り、1901(明治34)年に水戸鉄道(現在の常磐線を運営した会社とは別)へ譲渡し、太田鉄道は解散した。 ※参考、引用サイト:Wikipedia |
左側から歩道橋、幸久橋、鉄道橋。幸久橋は1935(昭和10)年9月に完成した橋で、橋脚の破損などの老朽化によって2013(平成25)年10月17日より通行止めとなり、訪問時には上部構造物が撤去されていました。橋脚部分も2020(令和2)年度には解体工事が始まるそうです。 |
こちらがJR水郡線の久慈川橋梁。 |
橋脚脇には初代の橋脚跡が残されています。 |
現在の橋梁は2代目とのこと。 |
上り(上菅谷方面) |
下り(常陸太田方面) 奥には久慈川があります。おそらく駅は久慈川南岸ギリギリの所にあったものと思われます。 |