◆JR水郡線(茨城県・福島県)◆

◆2013年2月10日(日)、2015年5月16日(土)、2018年9月16日(日)、2019年6月22日(土)、2020年6月21日(日)、2020年9月21日(月)撮影
(概要)
 水郡線(すいぐんせん)は、茨城県水戸市の水戸駅から福島県郡山市の安積永盛駅までと、茨城県那珂市の上菅谷駅で分岐して茨城県常陸太田市の常陸太田駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(地方交通線)である。奥久慈清流ラインという愛称が付けられている。

(歴史)
 水郡線は、1892(明治25)年7月に水戸〜太田(常陸太田市)間に軌道敷設の許可が「太田馬車鉄道」に下りたのがはじまり。当時は会社の名前のとおり「馬車鉄道」として敷設計画が立てられ、現在の国道349号線(旧道)に沿ったルートが計画された。その後、「太田馬車鉄道」は「太田鉄道」と改称され、動力も蒸気へと変更して鉄道敷設工事が開始された。1897(明治30)年11月に水戸〜久慈川(後に廃駅)間が開業し、その後久慈川に架橋して延伸、1899(明治32)年4月には太田まで全線が開業した。
 しかし太田鉄道の経営は思わしくなく、1901(明治34)年には太田鉄道の債務不履行に業を煮やした十五銀行が、差し押さえを実行。株主間の裁判による紛争を経て十五銀行が新たに水戸鉄道を設立、太田鉄道の設備と営業を買収し鉄道経営は水戸鉄道に移ることとなり、太田鉄道は全線開業からわずか2年で解散。ちなみに水戸鉄道は、明治22年に現在の水戸線を開業した水戸鉄道とは別会社で、後に安田財閥に営業権が移ることになる。
 1915(大正4)年12月、水戸鉄道は上菅谷から分岐して大宮(常陸大宮市)に至る路線の敷設を申請したが、この区間は国有すべきとの意見があるなどの紆余曲折があったものの、1916(大正5)年3月に水戸鉄道に対し上菅谷〜大宮間の免許状が交付され、水戸鉄道は1918(大正7)年6月にまず上菅谷〜瓜連間を、同年10月に瓜連〜常陸大宮間を開業させた。
 水戸〜常陸大宮間を水戸鉄道が営業する一方で、常陸大宮以北は国が建設することになった。1919(大正8)年に水戸〜郡山間を結ぶ鉄道敷設要望が高まり、国会で予算が計上された事による。常陸大宮と郡山を結ぶ計画のこの鉄道は、「大郡線」と名付けられ、1922(大正11)年12月の常陸大宮〜山方宿間開業を皮切りに、路線を北へと延伸していった。そして、大郡線が常陸大子まで開通した1927(昭和2)年12月、政府は、水戸〜郡山間を国有鉄道として一貫経営するため、水戸鉄道の買収を実施し、現在の「水郡線」という名称を与えられる。この1927(昭和2)年には郡山側からの工事も始まり、1929(昭和4)年に笹川(現在の安積永盛)〜谷田川間まで開業した郡山側の路線には「水郡北線」の名称が与えられ、それに合わせ、水戸側の路線も「水郡線」から「水郡南線」に改称された。その後、北線、南線共に部分開業を繰り返し、1934(昭和9)年12月に磐城棚倉〜川東間が延伸開業し、水戸〜郡山間が全通するにいたる。

水郡線のゼロキロポスト(1)
(2016年8月11日(木)撮影)

水郡線のゼロキロポスト(2)
水戸駅2番ホーム下にあります。
(2016年8月11日(木)撮影)

常磐線と水郡線の分岐点。左が水郡線、右が常磐線。
(2016年8月11日(木)水戸駅ホーム上より撮影)

水郡線支線のゼロキロポスト
(2020年6月21日(日)上菅谷駅ホーム上より撮影)

本線(左)と支線(右)の分岐点。
(2020年6月21日(日)上菅谷駅上り方面にある踏切より撮影)

東北本線と水郡線との分岐点付近にある踏切。
(2015年5月16日(土)撮影)

分岐点。左が水郡線、右が東北本線。
(2015年5月16日(土)撮影)
本線
駅名・信号場名 駅間
営業
キロ
累計
営業
キロ
所在地 開業日
(漢字表記) (よみ)
水戸駅みと - 0.0

水戸市 1889(明治22)年1月16日
※旧水戸鉄道(現水戸線)の駅として
常陸青柳駅ひたちあおやぎ 1.9 1.9 ひたちなか市 1897(明治30)年11月16日
常陸津田駅ひたちつだ 2.2 4.1 1935(昭和10)年9月1日
後台駅ごだい 2.4 6.5 那珂市 1935(昭和10)年9月1日
下菅谷駅しもすがや 1.3 7.8 1897(明治30)年11月16日
中菅谷駅なかすがや 1.2 9.0 1897(明治30)年11月16日
上菅谷駅(→支線へ)かみすがや 1.1 10.1 1897(明治30)年11月16日
常陸鴻巣駅ひたちこうのす 3.3 13.4 1918(大正7)年6月12日
常陸中里駅(廃止) ひたちなかさと - 15.7 1935(昭和10)年9月1日
廃止:1941(昭和16)年8月1日
瓜連駅うりづら 3.3 16.7 1918(大正7)年6月12日
静駅しず 1.4 18.1 1919(大正8)年2月1日
常陸村田駅(廃止) ひたちむらた - 20.4 1935(昭和10)年9月1日
廃止:1944(昭和19)年11月11日
常陸大宮駅ひたちおおみや 5.3 23.4 常陸大宮市 1918(大正7)年10月23日
玉川村駅たまがわむら 5.4 28.8 1922(大正11)年12月10日
野上原駅のがみはら 3.7 32.5 1956(昭和31)年11月19日
山方宿駅やまがたじゅく 2.7 35.2 1922(大正11)年12月10日
中舟生駅なかふにゅう 2.7 37.9 1956(昭和31)年11月19日
下小川駅しもおがわ 2.8 40.7 1925(大正14)年8月15日
西金駅さいがね 3.4 44.1 久慈郡
大子町
1926(大正15)年3月21日
上小川駅かみおがわ 3.2 47.3 1925(大正14)年8月15日
袋田駅ふくろだ 4.5 51.8 1927(昭和2)年3月10日
常陸大子駅ひたちだいご 3.8 55.6 1927(昭和2)年3月10日
下野宮駅しものみや 6.4 62.0 1930(昭和5)年4月16日
矢祭山駅やまつりやま 4.9 66.9

東白川郡
矢祭町
1937(昭和12)年3月27日
東館駅ひがしだて 4.1 71.0 1930(昭和5)年4月16日
南石井駅みなみいしい 2.8 73.8 1957(昭和32)年8月1日
磐城石井駅いわきいしい 1.1 74.9 1931(昭和6)年10月10日
磐城塙駅いわきはなわ 6.4 81.3 東白川郡
塙町
1931(昭和6)年10月10日
近津駅ちかつ 5.1 86.4 東白川郡
棚倉町
1932(昭和7)年11月11日
中豊駅なかとよ 2.4 88.8 1958(昭和33)年2月1日
磐城棚倉駅いわきたなくら 1.7 90.5 1916(大正5)年11月29日
※白棚鉄道の駅として
磐城浅川駅いわきあさかわ 6.5 97.0 石川郡
浅川町
1934(昭和9)年12月4日
里白石駅さとしらいし 3.0 100.0 1934(昭和9)年12月4日
磐城石川駅いわきいしかわ 5.3 105.3 石川郡
石川町
1934(昭和9)年12月4日
野木沢駅のぎさわ 4.8 110.1 1934(昭和9)年12月4日
川辺沖駅かわべおき 2.5 112.6 石川郡
玉川村
1959(昭和34)年6月1日
泉郷駅いずみごう 2.7 115.3 1934(昭和9)年12月4日
川東駅かわひがし 6.9 122.2 須賀川市 1931(昭和6)年10月30日
小塩江駅おしおえ 3.8 126.0 1952(昭和27)年5月1日
谷田川駅やたがわ 2.9 128.9 郡山市 1929(昭和4)年5月10日
磐城守山駅いわきもりやま 3.2 132.1 1929(昭和4)年5月10日
安積永盛駅あさかながもり 5.4 137.5 1909(明治42)年10月18日
※東北本線の駅として
常陸太田支線
上菅谷駅かみすがや - 0.0

那珂市 1897(明治30)年11月16日
南酒出駅みなみさかいで 2.5 2.5 1935(昭和10)年9月1日
額田駅ぬかだ 1.1 3.6 1897(明治30)年11月16日
久慈川駅(廃止) くじがわ - ? 1897(明治30)年11月16日
廃止:1899(明治32)年5月11日
河合駅かわい 3.1 6.7 常陸太田市 1899(明治32)年9月7日
谷河原駅やがわら 1.5 8.2 1935(昭和10)年9月1日
常陸太田駅ひたちおおた 1.3 9.5 1899(明治32)年4月1日

年表
太田鉄道→水戸鉄道(2代)
1897(明治30)年11月16日 太田鉄道の水戸〜久慈川間が開業、青柳・下菅谷・上菅谷・額田・久慈川の各駅を新設。太田地域の商人による共同出資で設立。その後水戸藩出身の代議士・小山田信蔵が経営に携わり一時は日本鉄道との合併を画策するも頓挫。工事も久慈川を渡る橋梁の工事に着手できず、却って経営の不振を招いた。
1899(明治32)年4月1日 久慈川〜太田間を延伸開業、太田駅を新設
1899(明治32)年4月17日 久慈川駅を一般駅から貨物駅に変更
1899(明治32)年5月11日 (貨)年久慈川駅を廃止
1899(明治32)年9月7日 河合駅を新設
1901(明治34)年10月21日 太田鉄道が水戸鉄道(2代)年に事業を譲渡。太田鉄道の債務不履行に業を煮やした十五銀行が、差し押さえを実行。株主間の裁判による紛争を経て十五銀行が新たに水戸鉄道を設立、太田鉄道の設備と営業を買収した。その後、水戸鉄道は安田財閥に営業権が移る。
1918(大正7)年6月12日 上菅谷〜瓜連間が延伸開業、常陸鴻巣・瓜連の各駅を新設
1918(大正7)年10月23日 瓜連〜常陸大宮間を延伸開業、常陸大宮駅を新設
1919(大正8)年2月1日 静駅を新設
大郡線→水郡線→水郡南線
1922(大正11)年12月10日 大郡線の常陸大宮〜山方宿間が開業、玉川村・山方宿の各駅を新設
1925(大正14)年8月15日 山方宿〜上小川間を延伸開業、上小川駅を新設
1926(大正15)年3月21日 西金駅を新設
1927(昭和2)年3月10日 上小川〜常陸大子間を延伸開業、袋田・常陸大子の各駅を新設
1927(昭和2)年12月1日 水戸鉄道が買収され国有化。大郡線を編入して水戸〜常陸大子間および上菅谷〜常陸太田間を水郡線とする。青柳駅を常陸青柳駅に、太田駅を常陸太田駅に改称
1929(昭和4)年5月10日 水郡北線開業に伴い水郡線を水郡南線に線名改称
1930(昭和5)年4月16日 常陸大子〜東館間を延伸開業、下野宮・東館の各駅を新設
1931(昭和6)年10月10日 東館〜磐城塙間を延伸開業、磐城石井・磐城塙の各駅を新設
1932(昭和7)年4月2日 矢祭山仮乗降場を新設
1932(昭和7)年11月11日 磐城塙〜磐城棚倉間を延伸開業、近津・磐城棚倉の各駅を新設(白棚鉄道の既設駅に乗り入れ)
水郡北線
1929(昭和4)年5月10日 水郡北線として笹川〜谷田川間を開業、磐城守山・谷田川の各駅を新設
1931(昭和6)年10月30日 谷田川〜川東間を延伸開業、川東駅を新設、笹川駅を安積永盛駅に改称
全通後
1934(昭和9)年12月4日 磐城棚倉〜川東間を延伸開業し全通。水郡南線・水郡北線をあわせて水郡線と改称、磐城浅川・里白石・磐城石川・野木沢・泉郷の各駅を新設
1935(昭和10)年9月1日 常陸津田・後台・中菅谷・常陸中里・常陸村田・常陸酒出・佐竹の各駅を新設
1937(昭和12)年3月27日 矢祭山仮乗降場を仮停車場に改める
1939(昭和14)年11月15日 矢祭山仮停車場を駅に改める
1941(昭和16)年8月10日 常陸中里・常陸村田の各駅を休止
1952(昭和27)年5月1日 小塩江駅を新設
1953(昭和28)年2月1日 常陸酒出駅を南酒出駅に改称
1954(昭和29)年10月21日 佐竹駅を谷河原駅に改称
1956(昭和31)年11月19日 野上原・中舟生の各駅を新設
1957(昭和32)年8月1日 南石井駅を新設
1958(昭和33)年2月1日 中豊駅を新設
1959(昭和34)年6月1日 川辺沖駅を新設
1982(昭和57)年10月1日 上菅谷〜常陸太田間の貨物営業を廃止
1983(昭和58)年6月1日 全線でCTC使用開始
1987(昭和62)年4月1日 水戸〜安積永盛間の貨物営業を廃止、国鉄分割民営化に伴い東日本旅客鉄道が承継
1992(平成4)年3月14日 キハ110系運行開始。ワンマン運転開始
2007(平成19)年1月19日 キハE130系運行開始
2007(平成19)年9月12日 キハ110系運用終了。翌9月13日より全列車がキハE130系での運用に
2011(平成23)年3月11日 東北地方太平洋沖地震の影響で線路などの施設が被害を受け、全線不通となる。
2011(平成23)年4月11日 常陸青柳〜安積永盛間、上菅谷〜常陸太田間で運行再開。
2011(平成23)年4月15日 水戸〜常陸青柳間で運行再開。那珂川新橋梁供用開始。
2011(平成23)年7月16日 水郡線利用促進会議などにより愛称が「奥久慈清流ライン」に決まる。
wikipedia茨城県立歴史館(歴史館だよりNo.98)より参照
TOP旅の記録路線各駅巡礼写真のページ>JR水郡線(茨城県・福島県)