JR磐越西線 | (上り) | 広田駅 | ←会津若松駅→ | (下り) | 堂島駅 | ||
JR只見線 | (始点) | 七日市駅 |
開業:1899(明治32)年7月15日 (磐越西線(当時は岩越鉄道線)の駅として) 1917(大正6)年5月21日に若松駅より改称。 所在地:福島県会津若松市駅前町1-1 キロ程:64.6km(郡山起点)、0.0km(会津若松起点) |
駅名由来 かつてこの地は「黒川」と呼ばれ、黒川城を中心にした芦名氏の城下町として栄えたが、戦国時代に入封した蒲生氏郷によって「若松」と改名される。出身地の日野城(中野城)に近い馬見岡綿向神社(現在の滋賀県蒲生郡日野町村井にある神社、蒲生氏の氏神)の参道周辺にあった「若松の杜」に由来し、同じく領土であった松坂の「松」という一文字もこの松に由来すると言われている。その後の江戸時代には会津藩の城下町として繁栄した。 その他 ※参考、引用サイト:Wikipedia |
◆2011年4月24日(日)撮影 | |
駅名標(只見線) 駅名標(磐越西線・只見線)(1) 駅名標(磐越西線・只見線)(2) |
駅舎(待合所) |
只見線:下り(小出方面) |
磐越西線:上り(郡山方面)、下り(新津方面) |
駅前(1) (2017年10月8日(日)撮影) |
駅前(2) (2017年10月8日(日)撮影) |
駅舎(待合所)内(1) (2017年10月8日(日)撮影) |
駅舎(待合所)内(2) (2017年10月8日(日)撮影) |
只見線のゼロキロポスト。 3・4番線の間、ホーム連絡用陸橋下にあります。 |
磐越西線のゼロキロポスト。 2番線ホーム下のペイントと3番線ホーム下にポストがあります。磐越西線の起点は郡山駅で、郡山駅にもゼロキロポストがありますが、この会津若松駅にもあります。会津若松駅でスイッチバックするためだと思われます。 (2017年10月8日(日)撮影) |
1番ホームにあるレトロ調の駅名標。磐越西線を走る「SLばんえつ物語」に因んで設置されたものらしい。 |
磐越西線はこの会津若松駅でスイッチバックします。これは現在の磐越西線が郡山から会津若松まで開通したとき、新潟方面へ延伸するに当たって、当初の計画では喜多方経由だったのが資金難から、会津坂下町経由と変更となりました。しかし、今度は地元の反対で、結局当初の喜多方経由に落ち着いたという経緯があったためと言われています。 (2017年10月8日(日)撮影) |
白虎隊士の像 |
2000年12月に磐越西線SL運行記念として駅前に設置された蒸気機関車の動輪。C57 117(第一動輪)だそうです。 |
会津若松オフレールステーション(1) (2017年10月8日(日)撮影) |
会津若松オフレールステーション(2) 敷地の一部は駐車場として活用されています。 (2017年10月8日(日)撮影) |
駅スタンプ (2017年10月8日(日)) |
入場券 (2017年10月8日(日)) |
会津若松運輸区扇形庫および転車台 竣工時期は、1941(昭和16)年の只見線の部分開業前の1940(昭和15)年3月だそうです。 (2017年10月8日(日)撮影) |
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望遠撮影(1) |
望遠撮影(2) SLばんえつ物語とキハ40系気動車の車庫として現役です。 |
転車台。現在は、磐越西線会津若松〜新潟間で運行されている「SLばんえつ物語」で使われています。 |
望遠撮影(3) |
かつて構内を通る通路がありましたが現在は封鎖されています。 |
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どうやら東日本大震災で扇形庫が損傷して以来そのまま封鎖されているようです。 |
◆2003年9月13日(土)撮影 | |
白虎隊の銅像 |
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