東北本線
旧線区間(野内〜青森)

◆2017年4月16日(日)、2018年4月14日(土)撮影
 青森市内の東北本線、正確には野内駅〜青森駅間では2回の路線変更が行われている。

 1.1891(明治24)年開業時〜1926(大正15)年の旧旧線。
 2.1926(大正15)年〜1968(昭和43)年の旧線。
 3.1968(昭和43)年〜の現在の路線。

(旧旧線時代)
 1891(明治24)年に開業した今の東北本線は、青森駅から「旧線路通り」を通って、現在の平和公園の東側の堤川手前で緑地遊歩道に合流していた。
 1893(明治26)年開業の浦町駅は現在の平和公園通りと旧線路通りの交差点やや東側に相当する地区にあった。ちなみに浦町駅は、青森駅が当時の青森市市街地を越えてやや西に片寄っていたため、市街地東部住民の利便をはかるために設けられたといわれている。

(旧線時代)
 1908(明治41)に開設された青函連絡船による貨物輸送量増大に対応するために、青森操車場の建設が1923(大正12)年に始まり、1926(大正15)年10月25日に完成により路線変更となった。同時に浦町駅は、南側(現在の平和公園敷地)に移設された。
 また、青森市では線路跡地を道路として整備するために鉄道省と交渉を行い、青森駅付近から浦町駅旧構内以西の線路跡の払い下げについて同年10月29日付で認可を受け(『東奥日報』大正15年11月2日)、現在の「旧線路通り」にあたる道が誕生した。

(現在の路線)
 その後、青森市区域の拡大により南側への路線変更が検討されるようになった。そして、1968(昭和43)年7月21日に東北本線のルート変更に伴い現在の路線となり、浦町駅は隣の浪打駅とともに廃止された。旧線の大部分は緑地遊歩道になっている。

電子地形図(H30)を使用
青線:1891(明治24)年開業時〜1926(大正15)年の旧旧線。
赤線:1926(大正15)年〜1968(昭和43)年の旧線。
緑線:1968(昭和43)年〜の現在の路線

「この地図は、国土地理院発行の2.5万分の1地形図(青森西部)(昭和22年発行)+青森東部(昭和23年発行)+浅虫(昭和22年発行)を使用したものである。」
国土地理院発行地形図の引用について
http://www.gsi.go.jp/LAW/2930-meizi.html

中央の青森東部部分が、未だに旧旧線時代の路線のままである。
@青森駅周辺

青森駅舎。今回の出発地点。
A旧線路通り(旧旧線)

旧線路通り。2車線の一方通行の道路です。

東北電力電柱のプレートを見ると「旧鉄幹線」の名称がありました。

旧線路通りはこの先平和公園まで続きます。

かつての鉄道路線らしい直線の道路です。
B初代浦町駅
浦町駅は現在の平和公園通りと旧線路通りの交差点やや東側に相当する地区にあった。

左右が平和通りで、ここまでが旧線路通り。初代浦町駅は写真奥のあたりです。

左下から右上が平和公園通り。左が旧線路通りの終点。

この付近が初代浦町駅があったとされる場所。痕跡はありませんでした。

旧線はここの丁字路でいったん途切れます。
C2代目浦町駅
現在の平和公園。ちなみに浦町駅は、太平洋戦争中には避難場所として使われ、1945(昭和20)年7月28日の青森大空襲により、駅前の鉄道官舎など、当時の駅周辺にあった多くの建物が焼失。駅にも飛び火しかけたが、当時の駅員が類焼を必死に食い止め駅そのものは無事であった。そのことから、1977(昭和52)年には跡地が青森市により「平和公園」として整備された。

平和公園入り口

反対側も旧線から転用された公園となっています。かつてのサヤエンドウの型をした浦町駅敷地を道路が分断する形となっています。

中央にある信号付近に浦町駅舎があったものと思われます。

平和公園の碑

浦町駅には鉄道官舎があった名残で、今でも職員や家族が住むJRアパートが建っています。
D旧線跡(平和公園→旧青森操車場間)

平和公園から旧青森操車場まで進んでみます。右が旧線跡で、緑地遊歩道となっています。

旧線跡の緑地遊歩道。

緑地遊歩道はここで途切れ、ここからは空き地となっています。

反対側の緑地遊歩道の終点。

この先空き地が続きます。

さらに進むと旧青森操車場が見えてきます。ちょうど貨物列車のコンテナが通り過ぎていくのが見えます。

この空き地の一部は駐車場として使用されています。
E現在の路線との合流点

旧青森操車場。最盛期には「東北三大操車場」の一つと称されましたが、貨物輸送の衰退により、国鉄民営化直前の1986年11月1日に青森信号場に降格されました。

旧線跡と現在の路線の分岐点。

左の空き地が旧線跡、右が現在の路線。かつての操車場の規模の大きさがわかります。

「東京より739.5km地点」を示すキロポスト。ちなみに線路を挟んで写真奥に見えるのは、旧青森操車場の跡地を活用して2003年に開園した青い森セントラルパーク。
F旧線跡(平和公園→堤川)

平和公園に隣接する、旧線上にある公益財団法人鉄道弘済会青森保育所。

この先再び緑地遊歩道が続きます。Bで途切れた旧旧線はこの左側付近で合流します。

堤川に到着。
G堤川に架かる橋梁

かつて鉄道橋梁が通っていましたが、現在は歩道橋となっています。

現在はその痕跡をみることは出来ません。橋自体は新しいものに架け直されても橋台は転用する事例が多いのですが、こちら側と対岸の橋台を見ても、痕跡らしいものはありませんでした。

この先、旧線跡は続きますが、この日は時間の関係でここで終了。
以下、2018年4月14日(土)撮影。
G堤川に架かる橋梁

ちょうど一年ぶりに探索を再開。奥に橋が見えます。

この先は遊歩道として整備されています。
H

遊歩道が続きます。
I国道4号との合流点

この区間から、旧線跡は国道4号の道路として利用されています。

左が旧線跡で、右が国道4号線。
J歩道橋

歩道橋より青森駅方面を撮影。左側2車線の道路が旧線跡と思われます。

反対側の野内駅方面を撮影。

野内駅側を拡大撮影。左手が旧国道4号、右手が現在の国道4号で、かつての路線跡です。中央の空き地は旧浪打駅舎で駅構内は奥の茶色い歩道橋まで続いていました。
K旧浪打駅跡

右の空き地に駅舎が建っていたものと思われます。

奥に見えるのは現在の国道4号で、手前が旧道です。

駅前(1)
奥へと続く道は旧国道4号。

駅前(2)
L分岐点

旧線跡は左に分岐していきます。
M

この先も旧線跡は遊歩道として整備されています。

唐突に現れた遊具みたいなもの。
N赤川の橋

赤川の橋です。

橋台部分などを見て回りましたが、旧線時代の名残はありませんでした。
O橋梁

小川の橋です。

橋台部分を見ると、なにやら旧線時代の雰囲気が残されています。

もっと近づいてみたところ、レンガ積みの橋台を発見。間違いなく旧線時代の遺構です。
P橋梁

橋梁です。

橋台部分などを見て回りましたが、旧線時代の名残はありませんでした。
Q

右手に現在の路線(青い森鉄道)が見えはじめ、新旧路線の合流点がまもなくです。
R新旧路線合流点

左手の空き地がかつての路線、右手が現在の路線(青い森鉄道)です。

もっと近づいてみました。左と右とでは高低差がありますが、おそらく右手の新線を敷設するときに盛り土をしたようです。

ちょうど列車が通り過ぎていきました。

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