東北本線
旧線区間(浅虫温泉〜野内)

◆2018年11月24日(土)撮影
 1891(明治24)年開業時のこの区間は、1968(昭和43)年に線形改良工事により現在の路線に変更となった。この新線切替にともない、浅虫温泉駅側の旧線の大半は昭和50年代に国道として転用されたため、旧線の痕跡はほとんど残されていない。

電子地形図(H30)を使用

「この地図は、国土地理院発行の2.5万分の1地形図浅虫(昭和22年発行)を使用したものである。」
国土地理院発行地形図の引用について
http://www.gsi.go.jp/LAW/2930-meizi.html
@旧浦島隧道(野内駅側)

写真左側の下に隧道があるはずですが、会社私有地のため立入りが出来ないので隧道を確認出来ませんでした。

後方に見える白い円状の建物はガスタンク。
A旧浦島隧道(浅虫温泉駅側)

地図上ではここに隧道入口があるはずですが、どうやら埋められているようです。

かつての国道である県道の左側に旧線が続きます。
B分岐点

この先で現在の路線と旧線が合流しますが、私有地のため立入りは出来ませんでした。
C分岐点

左は現在の路線で、右は旧線跡。

この区間は旧線の痕跡が残る数少ない場所です。

旧線はこの先、国道に転用されています。
D

右側の盛り上がった部分が旧線で、この先は国道に転用されています。

中央に見えるのは旧線の擁壁。この地点は国道建設の時に旧線は崩されているようです。
E善知鳥(うとう)トンネル
現在の国道の善知鳥トンネルは、東北本線の栗坂隧道を転用したもので、拡張改修されています。脇(山側)にあるのはかつての旧国道の善知鳥前隧道(1933(昭和8)年開通)と反対側(海側)には文化年間(1804〜1818年)に開削されたその前の旧旧道。
海側から
旧旧道:文化年間(1804〜1818年)〜1933(昭和8)年
現在の国道:1980(昭和55)年以降の善知鳥トンネル。東北本線の栗坂隧道を転用したもの。
旧道:1933(昭和8)年〜1980(昭和55)年の善知鳥前隧道。

野内側。左が大正時代まで使われていた旧旧道で、右が旧国道の善知鳥前隧道(1933(昭和8)年開通)、中央が現在の国道の善知鳥トンネル(1980(昭和55)年3月開通)。

こちらは善知鳥前隧道へ続く旧道(1933(昭和8)年〜1980(昭和55)年)。

旧道はそのまま現在の国道と併走しています。

善知鳥前隧道の野内側はロックシェードに覆われています。

この隧道には下水道管が埋設されているようで、そのためこの隧道が撤去されていない理由なのかもしれません。

海側は江戸時代から使われている旧旧道です。写真左側にみえる擁壁はおそらく旧旧道のもので、その位置まで道路があったのか、波にさらわれて動いたのか不明です。

==以下、現地案内板==
有多宇末井之梯(うとうまいのかけはし)
久栗坂と浅虫の境になっているトンネルの辺りを「善知鳥前」と呼んでいる。ここの突出した先端を「善知鳥崎」という。
吾妻鏡(東鑑とも書く)にも「外ヶ浜」と糠部の間にある有多宇末井之梯」と記録されているように、ここが津軽と南部の境であったようである。また、津軽一統志に「鳥頭前梯外ノ浜に有り、東鑑有多宇末井梯、いま搭前かけはし」とある。古くから「うとう」と呼ばれていた。
吾妻鏡によると、文治5年(1189)に平泉藤原氏の残党、大河兼任等が鎌倉軍に対して最後の防戦地にしたところであると記している。800余年前のことであるから古戦場である。
兼任等は主家再興の夢を破られたものの、反乱後の津軽、南部の歴史に大きな変動がみれられるようになった。
それは、幕府が藤崎安東氏に外三郡(奥法(おくのり)・江流末(えるま)・馬(うま)の承認や、岩館(平賀郡)に曽我氏を地頭代職として派遣した。また、南部光行を甲斐の国から糠部へまわして中央集権化が次第に進められるようになった。
なお、善知鳥前は「往来嶮岨の地」であった。「怪岩波に洗はるる山下の小徑に梯を掛け、恐怖戦慄しつつ辛うじて通過した」と記録に残されている。越後(現:新潟県)の親不知、子不知とともに二大険路といわれた。
文化年間、わずかに岩中を開削されたが、明治9年(1876)、明治天皇の東北巡幸の機会によってトンネルが開通した。史跡として重要な地である。

浅虫温泉側。左が旧道の善知鳥前隧道、中央が現在の善知鳥トンネル、右が旧旧道。

旧道の善知鳥前隧道。

浅虫温泉側の善知鳥前隧道。

「善知鳥前隧道、昭和8年3月竣工」とあります。

内部は外見上崩落も無くきれいでした。

右が旧旧道。この先に明治天皇の東北巡幸の記念に建てられた「明治天皇御野立」の碑がありますが、この先崩落して立ち入り禁止となっていました。雪がなければなんとか通ることが出来たと思いますが、雪で足元が滑って海にそのまま落下はシャレになりませんので、やめておきました。
F

この地点から国道に転用された旧線と現在の国道が分岐します。左側の空き地が旧線。

道路右側が旧線のようです。
G浅虫川にかかる橋梁

浅虫川にかかる橋梁です。現在の橋梁の手前に写真ではわかりづらいですが旧線の橋台が残されています。

拡大望遠撮影。確かに旧線時代の橋台です。

浅虫温泉駅

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