旧松代藩主・真田家から長野市に寄贈された大名道具を公開、展示している宝物館。 (2006年9月16日(土)撮影) |
真田邸と隣接する松代藩文武学校は、藩士の子弟を教育した学校。 (2006年9月16日(土)撮影) |
真田邸 幕末の1862(文久2)年の参勤交代制度の緩和により、藩主の妻子が国元に帰ることが許された。真田藩九代藩主幸教が江戸より戻った義母お貞の方の隠居所として1864(元治元)年に建てたもの。大名屋敷の面影を伝える、数少ない建物です。 現在改修工事中で、建物を見ることが出来ませんでした(涙)(2006年9月16日(土)現在)。 建物の改修工事はほほ終了していて、現在は9月の一般公開に向けての準備中でした(2010年6月26日(土)現在)。 今回ようやく改修工事が終わり、中にはいることが出来ました(嬉)。(2011年7月16日(土)現在) |
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(2006年9月16日(土)撮影) この時は改修工事中でした。 |
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(2010年6月26日(土)撮影) 改修工事が2009(平成21)年度に終了したものの、この時は9月の一般公開に向けて準備中でした。 |
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(2011年7月16日(土)撮影) ようやく改修工事が終わり、2010年9月18日(土)から一般公開が始まりました。 |
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式台付きの表玄関(1) |
式台付きの表玄関(2) |
奥に進むと「御役所の間」。この先は後に増築された部分で、当初は物置として使用されていたが、後に事務室として使用された。 |
「御役所の間」 |
「御寝所」(1)。主人の寝室にあたる。 |
「御寝所」の天井には花鳥の唐紙が張り付けられている。 |
「御居間」。主人の私的な部屋。 |
「表座敷」。当初は「お祝いの間」と呼ばれ、年中行事や訪問客との対面で使用された部屋と考えられる。庭の眺めが一番よい部屋でもある。 |
「御化粧の間」。藩主の家族の女性のための私的な部屋。 |
「御湯殿」。お風呂場で、お湯が流れるように床に傾斜がつけられています。 |
「御持仏の間」。写真右手のくぼみに位牌が置いてあったと考えられる。 |
「手洗いの間」。主人用のトイレです。 |
釘隠。これは「表座敷」にある手の込んだ造りのもので、縁起物の巾着をかたどったもの。 |
釘隠(2)。これは一般的なシンプルなもの。 |
以下、風景写真 | |
庭内にある御鎮守。棟札から1867(慶応3)年5月に勧請されたことがわかる。 |
旧松代藩の居城、松代城址。これは復元された門。詳しくはこちらを参照→お城のページへ | |
松代大本営とは、太平洋戦争末期、いまの長野市松代町の三つの山(象山・舞鶴山・皆神山)を中心に分散して作られた、本土決戦のための地下軍事施設群のこと。松代大本営の地下壕には、宮城(皇居)、政府の諸官庁の主要部、日本放送協会海外局(ラジオ)などの政府中枢機関がまとめて移転する計画だった。ここはその一つの象山地下壕。 | 松代藩真田家家臣、横田家の旧住宅。敷地内には、寄棟造り、茅葺きの 母屋、隠居部屋、土蔵などがほぼ完全な状態で残され、当時の中級武士の暮らしぶりがわかる。 |
善光寺(その1) (2006年9月16日(土)撮影) |
善光寺(その2) (2006年9月16日(土)撮影) |
善光寺(その3) (2006年9月16日(土)撮影) |