開業:1901(明治34)年12月5日 廃止:1969(昭和44)年10月1日 所在地:北海道旭川市神居古潭 キロ程:406.1km(函館起点) |
駅名由来 アイヌ語のカムイコタン(神の住む場所)の音意訳である。 その他 ※参考、引用サイト:Wikipedia |
駅名標 |
駅舎(待合所) |
上り(函館方面) |
下り(旭川方面) |
駅へは石狩川に架かる吊り橋「神居大橋」をわたります。神居古潭駅開業の1901(明治34)年に初めて橋が架けられ、現在の橋は1938年のもの。 |
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この神居古潭峡谷では様々な岩石を見ることが出来ます。 |
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この地点は、石狩川の川幅が急速に狭まる地で、昔から船の難所として知られていました。 |
各種変成岩からなる『神居古潭変成岩類』 が見られる神居古潭構造帯として地質学的にも珍しい場所で、また風光明媚な景色が楽しめる観光地としても有名です。 |
蒸気機関車3両(29638、C57 201、D51 6)が静態保存されています。 |
駅舎が見えてきました。 |
駅舎内は、サイクリングロードの休憩所として整備されていますが、訪問時は内部に入ることは出来ませんでした。 |
当時の駅名標と名所案内板がそのまま残されています。 |
名所案内板 |
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旧神居古潭駅舎 旭川市指定文化財 明治23年、北海道の内陸開発の拠点として旭川村が設置され、明治31年7月16日には空知太(現在の滝川)から旭川まで鉄道が開通した。 当駅は、明治34年12月3日に神居古潭簡易停車場として設置、明治36年5月15日に神居古潭駅となった。 この駅舎および便所は、明治43年に建設された。その後、大正末期から昭和初期にかけて1度ないし2度の増改築が行われたと推定されるが、建設当初の遺構はよく残されている。 昭和44年9月30日、函館本線の納内から伊納駅間がトンネル化されたことにより、神居古潭駅は廃駅となったが、明治期の数少ない駅舎建築として貴重であることから、平成元年に廃駅時の姿形をもとに復元を行った。 建物は、典型的な小規模駅舎建築であると同時に、明治期における西洋建築意匠導入時の特徴を残す数少ない現存例であり、道央、道北の鉄道発展史を考える上でも貴重な例である。 平成3年3月15日指定 |
駅舎隣にはトイレもあります。 |
蒸気機関車の動輪(C57 130)が展示されています。 |
刻印が見て取れます。 |
C57130の刻印を確認できます。 |
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神居古潭トンネル。安全のためにコンクリートの覆いがなされています。 |
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廃線区間には2つのトンネルがあります。 |
この周辺にヒグマが出没するという看板が出ていました。 |
当地の厳しい冬の気候のためか、ホームや柵が傾いたりなどの劣化が進んでいます。 |
廃線跡はサイクリングロードとして、廃線翌年の1970(昭和45)年に整備されました。 旭川方面にある春志内信号場跡へ進みますが、2010(平成22)年の落石事故から通行止めになっているので、行ける所まで行ってみようと思います。 |
のどかな廃線跡。 |
現役時代の電柱が残されています。 「工カ自10 昭23」の銘板がはめ込まれていました。 |
ここで終了。2010年からすでに14年が経ち、もはや復旧は叶わないようです。 |