開業:1931(昭和6)年12月1日 廃止:1973(昭和48)年9月9日 所在地:北海道美唄市南美唄町 キロ程:3.0km(美唄起点) |
駅名由来 アイヌ語の「ピパイ(pipa-i)」〔カラス貝・川〕、「ピパオマナイ(pipa-oma-nay)」〔カラス貝・ある・川〕、あるいは「ピパオイ(pipa-o-i)」〔カラス貝・多い・所〕のいずれかから転訛したとされる。 当駅開設時点での所在自治体名は上記の語を和名として意訳した「沼貝村」であり、自治体名が「美唄(当時は美唄町)」となったのは1926(大正15)年のことである。 その他 ※参考、引用サイト:Wikipedia |
三井美唄炭鉱の石炭輸送線として敷設された函館本線の支線の終点駅として開設。当初は貨物駅であったが、当炭鉱の殷賑と共に周辺人口が増加して南美唄市街が発展し、旅客の取扱いを行う一般駅となった。昭和30年代後半の石炭産業斜陽化の波を受けて同炭鉱が閉山し、優良坑のみを受け継いだ三井関連会社による中小規模の炭鉱運営となると、多くの人口がこの地から流出、またバスや車の発達などもあって旅客営業を取りやめ貨物駅に戻った。さらにその炭鉱も閉山すると、扱う貨物がなくなった当路線は廃止となり、廃駅となった。
当駅から炭鉱選炭施設までの1.2km区間は、三井美唄炭鉱専用線(三美鉱業専用線)が接続していた。 |
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上り(美唄方面) 駅舎は北側(写真左)、美唄駅に向かって右側に位置し構内中心より若干東寄りの南美唄中央通りに近い位置にあった。 |
下り(終点) |
駅前にはかつて児童数3千人を擁して道内一のマンモス校と言われた美唄市立三井美唄小学校があったが、1979年3月31日限りでかつて分離した美唄市立三井南小学校(現・美唄市立南美唄小学校)側へ統合し廃校となった。跡地は南美唄公園として整備されている。 |
終点付近は私有地となっていますが、右側に現役時代の擁壁らしき物が見えます。 |
駅東には南美唄地区の中心街である南美唄中央通りが南北に走る。 |