開業:1940(昭和15)年9月15日 廃止:1956(昭和31)年10月20日 所在地:北海道砂川市空知太 キロ程:366.5km(函館起点) |
駅名由来 その他 1892(明治25)年2月1日~1898(明治31)年7月16日までの間、ほぼ同じ位置に空知太駅が存在していた。 本線を砂川駅まで延伸した北海道炭礦鉄道は、引き続き空知川上流の炭田開発の意図を持って、当初計画では空知川を渡河して対岸の滝川側にあった空知太駅逓所(現・滝川市新町三丁目2)近くまで延伸して当駅を設け、また空知川手前から赤平方面へ分岐線を敷設する予定であったが、小道すらほとんど無い原生の沼沢地帯の軟弱な地盤による難工事の連続と資金難から、渡船の船着場や対岸の駅逓所とも離れた空知川手前の辺鄙な場所へ延伸しただけで終え、当駅を設けた。その後、北海道官設鉄道が滝川方から延伸して空知川を渡って接続し、北海道炭礦鉄道との協議によって砂川駅を共同使用駅とする契約の際に廃駅となった。廃止後は北海道炭礦鉄道と北海道官設鉄道の分界点として空知太または空知川の名前が残った。 その後、戦時下の石炭輸送力増強のため1940(昭和15)年に再び設けられ、戦後も石炭増産体制を支えたが、複線化により役割を終えた。その後引き続き保線事務所の線路班が置かれて仮乗降場として使用されたが、自然消滅的に廃止となった。 ※参考、引用サイト:Wikipedia |
信号場跡地入口はこちら。滝田側(北側)の道路からです。 |
現在は作業用道路として利用されているようです。 |
立入禁止の標識はなかったのでそのまま進みました。 後述しますが、ここで自動車を降りて徒歩での移動がお勧めです。 |
道路幅は狭く、軽自動車でも正直怖かったです。また、右側に見える藪や小枝が車体を容赦なく擦ったので大変でした。 |
ここで行き止まり。自動車が旋回できる広さがあって安心しました。 |
信号場が現役時代の遺構でしょうか。 |
跡地には信号設備が残されています。 |
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上り(函館方面) |
下り(旭川方面) |