東北本線は単線だったが、太平洋戦争勃発により、北海道からの石炭などの戦略物資の輸送力増強が必要となり、列車の行き換えの出来る交換設備を持った信号場が作られた。この信号場はその一つ。 1967(昭和42)年に複線化により役目を終えて廃止された。 場所は並行して走る国道4号線笹目子トンネルから小繋側に1km向かったところにあり、近くには「笹目子集落」が存在する。 国土変遷アーカイブ空中写真閲覧システム(http://archive.gsi.go.jp/airphoto/) 1977/09/24撮影葛巻(cto-77-2_c2_7.jpg)より 参考サイト http://www5f.biglobe.ne.jp/~switchback/takimi.htm |
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小繋川の護岸部分。石を積み上げた年代物。信号場時代のものか?写真中央部は今の線路。 (2011年4月16日撮影) |
小繋(盛岡、上り)に向かって撮影。 作業用道路になっている部分は引き込み用の線路跡。 (2011年4月16日撮影) |
トンネル横には、引き込み線用のトンネルがあり、2000年代の中頃までトンネル内を行き来できたそうですが、現在は埋められています。 (2011年5月3日撮影) |
。 土の中からのぞいているコンクリートは、かつてのトンネルの擁壁でしょうか。 (2011年5月3日撮影) |
24パーミルの勾配。ここまでは下り坂で、この地点からは1000mで24m下がる下り坂であることを示しています。 つまりずっと下り坂と言うことです。 (2011年4月16日撮影) |
こちらは23.8パーミルの勾配。ここまでは下り坂で、この地点からは1000mで23.8m下がる下り坂であることを示しています。 つまりずっと下り坂と言うことです。 (2011年4月16日撮影) |
590キロの距離標。 (2011年4月16日撮影) |
作業用道路を下り(北)方向に進んでいくと、行き止まりにぶつかり、左手に空き地が広がっています。1948(昭和23)年撮影の米軍空中写真を見ると、ここには信号場の駅舎があったものと推測されます。 (2011年5月3日撮影) |