(上り)鹿ノ谷駅(廃止)←夕張駅(廃止)→(下り) 終点
JR石勝線(夕張支線)
夕張駅(廃止)
(Yūbari)

※2019(平成31)年4月1日付けで夕張支線新夕張駅~夕張駅間 (16.1km) 廃止。

◆2017年5月3日(水)、2019年4月28日(日)撮影
開業:1892(明治25)年11月1日
※1985(昭和60)年10月13日移転
※1990(平成2)年12月26日再移転


所在地:北海道夕張市末広二丁目

キロ程:16.1km(新夕張起点)
駅名由来
アイヌ語の「ユーパロ(鉱泉の湧き出る所)」から。

その他

※参考、引用サイト:Wikipedia

駅名標

駅舎(待合所)
駅の位置は主要産業の変化に合わせて2度移転している。また現在の駅舎は3代目。2代目は3両の貨車を改造して連結したものが使われていた。

上り(新夕張方面)
3両の貨車を改造して連結した2代目駅舎は、ホーム右側にあった。

下り(夕張方面)

駅前(1)

駅前(2)

駅舎(待合所)内(1)

駅舎(待合所)内(2)

駅スタンプ

かつてはこの先2.1km先まで線路が延びていました。

駅に隣接しているのがホテルマウントレースイ。現在の駅舎は主要産業をリゾート観光にするという夕張市の方針に合わせて1990(平成2)年12月26日に移転した(3代目)。

路線跡が残されています。

2代目の夕張駅(1985(昭和60)年10月13日~1990(平成2)10月13日)は、夕張市の中心地である夕張市役所および夕張市民会館裏に移転しました。

2代目の駅跡。かつては夕張鉄道旧夕張本町駅跡地でした。

この先初代の夕張駅までは道路の改良工事のために一部が転用されて不明瞭となります。

初代の夕張駅。白い建物の向かい手前側にあった。
かつては夕張炭鉱の石炭積み出しの駅として栄えたが、炭鉱が閉山し、また市中心部から離れた不便な場所にあったため、1985(昭和60)年10月13日に夕張市役所裏へ移転した。駅舎はそのまま石炭の歴史村の管理事務所として使用されたが、道道の切り替え工事のための支障になったため、2006(平成18)年10月10日より解体され、現在は痕跡は残されてない。

駅前には夕張神社があります。

夕張駅構内跡。かつてはたくさんの側線を有し、貨物列車がひっきりなしと行き来していましたが、現在は空き地と炭鉱閉山後に開設された「炭鉱の歴史村」の敷地となっています。

鉱山跡があちこちに見えます。

「炭鉱の歴史村」。時間の関係もあって一部しか見ることが出来ませんでした。
2019年4月28日(日)撮影

駅舎(待合所)跡
駅名表示はそのままでした。

柵越しより駅構内を撮影(1)

柵越しより駅構内を撮影(2)

柵越しより駅構内を撮影(3)
立入禁止の看板

柵越しより駅構内を撮影(4)
車止め

柵越しより駅構内を撮影(5)
ホーム全景

踏切より駅構内を望遠撮影

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