開業:1912(大正元)年11月5日 所在地:北海道中川郡音威子府村字音威子府509番地 キロ程:129.3km(旭川起点) |
駅名由来 アイヌ語の「オトイネㇷ゚(o-toyne-p)」に由来し、「川口のにごっている川」あるいは「川尻(を歩くと)・泥んこである・もの(川)」の意とされる。うち、前者は音威子府川が天塩川に合流する地点が泥で濁っていたことからの命名とされる。 その他 天北線(1989(平成元)年5月1日廃止)が接続していた。JRの特急列車の停車駅の中では、最も人口の少ない自治体に位置する。 ※参考、引用サイト:Wikipedia |
駅名標(1) 駅名標(2) |
駅舎(待合所) この駅には2日間で、前日に駅舎訪問、翌日の旧神路信号場訪問のために早朝の一番列車に乗り、その後駅そばを食べるためと、計3回訪れました。 |
上り(旭川方面) |
下り(稚内方面) |
駅前(1) |
駅前(2) |
駅舎(待合所)内(1) |
駅舎(待合所)内(2) |
駅舎(待合所)内(3) ここの駅そば「常盤軒」は有名です。午前10時に開店し、売り切れ次第閉店。訪問したこの日の10時前には行列が出来る盛況ぶりでした。 |
黒いそばが特徴です。そばを皮ごと製粉して麺を作っているためだそうです。 |
名所案内板 |
跨線橋。古レールが使用されています。 |
こちらは1910年八幡製作所製の古レール。 |
「CAMMELL・S STEEL.W.1901.SEC505 H T T K」の刻印が確認出来、1901年製のイギリスチャーリーズ・キャンメル社の北海道炭礦鉄道向け(H T T K)に製造された古レールとわかります。 |
写真左側にはかつてたくさんの側線と転車台がありました。 このホーム上屋にも古レールが使われています |
「OH TENNESSEE 6040 ASCE 1922 工」 の刻印が確認出来、1922年製のアメリカのUSスチール・テネシー社で製造された古レールとわかります。 |
「OH TENNESSEE 6040 ASCE 1923 工」 の刻印が確認出来、1923年製のアメリカのUSスチール・テネシー社で製造された古レールとわかります。 |
駅舎内には天北線資料室のコーナーがあります。 |
天北線資料室(1) 計画から天北線全線開通まで。 |
天北線資料室(2) 最盛期の記述。 |
天北線資料室(3) そして廃止へ。 |
天北線資料室(4) 全盛期の音威子府駅の模型。たくさんの側線を有していたことがわかります。 |
駅スタンプ |
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跨線橋より下り(稚内方面)を撮影。写真中央信号の右側にある藪がかつての天北線の線路跡。 |
車窓より撮影。駅からしばらくの区間、現在でも線路跡が残っていています。これは橋梁跡。 |
訪問時はまだ早春の時期で、草がまだ生えていないため線路跡が鮮明でした。 |
この線路跡はいずれ調査したいと考えています。 |