開業:1925(大正14)年7月20日 所在地:北海道天塩郡幌延町1条南1丁目 キロ程:199.4km(旭川起点) |
駅名由来 アイヌ語で「大きい・野の出っ張り=川の湾曲」を意味する「ポロヌタプ(poro-nutap)」、あるいは「大きい・野原」を意味する「ポロヌプ(poro-nup)」に由来すると考えられる。 前者は、幕末・明治の探検家松浦武四郎の『丁巳日誌』に記載があり、1887(明治20)年の図においても、現市街地南方の天塩川が湾曲していた地を「ホロノタフ」としている。後者については由来がはっきりしないが、明治時代の地図に天塩川が海岸目前で南方に流路を変える地点に「ポロヌプ」と書かれているという。 このいずれかに「幌延(ほろのぶ)」の漢字が当てられ、さらに「ほろのべ」と転訛したとされる。なお1959(昭和34)年の字名改正までは、現在の浜里地区に「ホロノブ」の字名があった。 その他 かつては、1987(昭和62)年3月30日廃止の羽幌線の終着駅であった。 ※参考、引用サイト:Wikipedia |
駅名標 |
駅舎(待合所) |
上り(旭川方面) |
下り(稚内方面) |
駅前(1) |
駅前(2) |
駅舎(待合所)内(1) |
駅舎(待合所)内(2) |
名所案内板 |
駅スタンプ |
跨線橋には古レールが使われています。 |
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古レールのうちの一本には「UNION 1903 I.R.J」の刻印を見ることが出来、1903年のドイツのウニオン社製のものと思われます。ちなみに「I.R.J」は官設鉄道の英語略。 |
コンテナが山積みにされていましたが、小規模なオフレールステーション的なコンテナ基地があるようです。 |
現在は側線扱いとなっている3番線ホームですが、かつては1987年に廃止された羽幌線の乗り場でした。 |
構内連絡跨線橋より下り(稚内方面)撮影。左の行き止まりになっている線路付近には、踏切手前まで宗谷本線の線路と並行して、踏切の先で大きく左に湾曲する羽幌線の線路が延びていました。 |
駅舎の反対側にある稚内機関区幌延機関車注泊(?)所の看板。ここには1937(昭和12)年3月10日~1956(昭和31)年4月1日まで稚内機関区幌延支区が設置されていましたが、支区廃止後も機関車が常駐していたようです。ちなみに稚内機関区自体は1974(昭和49)年に廃止になったようです。 |