東北本線
旧線区間(平泉〜前沢)

◆2014年3月2日(日)撮影
 この区間は、1960年代に東北本線各所で行われた輸送力増加を目的とした全線複線化および線路改良工事に伴い経路変更されたもので、距離が長くなり急カーブとなるために鉄道輸送の上からも難があった従来の山を迂回する経路から、現在の鵜ノ木トンネルを抜ける短絡路に変更し、1966(昭和41)年3月21日に複線化と付け替えが完了しました。なお、単線時代に列車の行き違いを行うために旧線上に設置されていた衣川信号場は、駅昇格の陳情もありましたが、新線切り替え直後の1966(昭和41)年4月21日に廃止されました。

 この区間は短く、そのためか目立った遺構は残されず、わずかに路線跡の一部が生活道路に転用されているのみです。

赤線が旧線跡(電子国土Webより引用)

1976年空中写真(電子国土Webより引用)
@分岐地点

分岐地点付近には「殉職之碑」が残されています

現在の分岐地点周辺を下り(青森方面)から撮影。

現在の分岐地点周辺を上り(上野方面)から撮影。明確な跡は残されていませんでした。

左の写真のすぐ近くに移動。左の土手が現在の路線。中央には畜産農家があります。昔の空中写真をみると、どうやらこの家の付近で旧線と現在の路線が分岐していたようです。
A

現在の陸橋の手前に旧線が通っていたものと思われますが、目立った遺構はありませんので推測です。
B衣川信号場跡
同信号場は、太平洋戦争中の輸送力増強を目的として数多く設置されたものの一つで、東京起点456.3km地点(平泉駅から4.0km、前沢駅から3.6km)に1945(昭和20)年8月15日に開設されました。しかし、奇しくも同日に終戦となります。戦後もしばらく機能していましたが、新線切り替え直後の1966(昭和41)年4月21日に廃止されました。

衣川信号場跡地。この周辺で旧線跡には住宅が建っていて不明瞭となります。廃線直後の空中写真と東京起点456.3km地点にあったことから推測すると、公営住宅とこの広場になっているこの辺りにがあったものと思われます。現在は目立った痕跡は残されていません。

跡地には公営住宅が建っています。鉄道用地の跡は地元の自治体に払い下げられて公共施設が建てられる場合が多いので、やはりこの地点で間違いないようです。

近くの跨線橋より下り(青森方向)を撮影。写真左下の空き地が先ほどの広場で、旧線は赤色の線で示した所を通っていたと推測されます。

廃線から10年後の1976(昭和51)年空中写真。丸で囲ったのが上写真にある公営住宅。その脇には旧線の痕跡(赤実線)が見て取れます。
C

ここで旧線跡が復活します。

鉄道由来の緩やかな曲線が、かつてここに路線があったことを示しています。

この先の家付近で、旧線跡は道路と合流します。
D

合流地点まであと少しです。

旧線は左の陸橋方向ではなく、このまま直進します。

先ほどの陸橋を見ると「1964-12」のプレートがありますが、「1964年12月」と読むようです。新線切り替えが1966年ですので時期的には合致します。

この付近で現在の路線と合流します。

振り返ると新線上にあるトンネル「鵜ノ木トンネル」が見えました。

「鵜ノ木155.0M」のプレート。

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