東北本線
旧線区間(清水原〜一ノ関)

◆2014年3月2日(日)撮影
 この区間は1890(明治23)年に、東北本線の前身である「日本鉄道線」として開通しました。しかし、有壁隧道を頂点とする峠越えは、最大傾斜16.7パーミルという当時の非力な蒸気機関車としては急勾配となってしまい、難所の一つとされました。

 このことから、1924(大正13)年に現在の大沢田トンネルを経由する経路に切り替えられました。現在の区間は、かつての区間の7,000mに比べ9,700mと距離は伸びましたが、その分傾斜は低く抑えられました。その後、旧線となった部分は、一部は自動車道路に転用され、有壁隧道は事実上放棄され、近年は隧道内部の崩落が激しくなり、自然に還ろうとしています。
 この区間の目立った遺構は、有馬川に残る橋脚跡とこの有壁隧道です。

国土地理院発行地形図5万分の1地形図(一関)(H6.5.1発行)を引用

国土地理院発行地形図5万分の1地形図(一関)(T5.8.30発行)を引用

(おまけ)国土地理院発行地形図5万分の1地形図(一関)(S2.5.30発行)を引用
新線切り替え後まもなくの地形図。旧線跡が明瞭に残されています。
@清水原駅

現在の清水原駅。旧線区間はこの付近から始まります。ちなみに旧線時代には清水原駅は開業していませんでした。清水原駅の前身の清水原信号場開設は1944(昭和19)年のことです。

駅名標

上り(上野方面)

下り(青森方面)

この清水原駅の上り(上野側)にある踏切付近から旧線が分岐していたようですが、線路に併走している土手は旧線でしょうか?確証はないのであくまでも推測です。

左の写真の土手を見てみると、バラストがありましたが、旧線時代の物なのかどうかは解りません。

左が清水原駅で、右の道路が旧線跡。現在は自動車道路に転用されています。

この先旧線跡は現在の路線(写真左側)と分かれていきます。
A旧有馬川橋梁

舗装道路がとぎれ、この先未舗装の生活道路兼農作業用道となります。

さらに進むと赤い屋根の建物(おそらく農業用水をくみ上げるポンプ小屋)が見え、その先に橋脚が見えます。

反対岸に移動して撮影。

先ほどまでいたポンプ小屋側を撮影。橋台は消滅していました。

反対側には橋台が残されていました。一見すると今でも使えそうな保存状態でした。

レンガ製の橋台は、明治時代の鉄道建築によく見られるもので、開業当初のものと思われます。ちなみにレンガの積み方はいわゆるイギリス積みで、これも当時の鉄道建築に多用されました。

橋台の上。確かにここに線路が敷設されていました。

この先、旧線跡は続きます。
B旧線消失地点

地形図上では旧線跡が続いていましたが、ここでいったん旧線跡はとぎれます。どうやら近年の農地区画整備で消滅してしまったと思われます。
C旧線復活地点

ここで旧線跡が復活します。上り(上野方面)を撮影。この盛り土は旧線由来のものでしょうか?

反対側の下り(青森方面)。手前の道路から中央で分岐する小道が旧線跡です。

小道に入って進みます。写真ではわからないのですが、鉄道路線としては結構な上り坂で、旧線が現役時代はここで難儀をしながら蒸気機関車が走っていたんだろうと推測できます。
D有壁浄水場(舗装区間終了地点)

ここで舗装区間が終了します。

有壁浄水場。この施設のためにここまで舗装していたようです。

この先、未舗装区間が続きますが、今回訪問時にはこの先雪が積もっていました。事前調査では有壁隧道手前まで何とか自動車で行くことが出来るとのことでしたが、念のため自動車を降りて徒歩移動しました。
E分岐点

左が林道で、有壁駅方面につながっているようです。旧線は右で、有壁隧道へとつながっています。
F有壁隧道(上野側)

さらに300メートル程度進むとお目当ての有壁隧道が見えてきます。現在は隧道から流れる水をせき止めて農業用のため池として使われているようです。

接近は難しいので望遠撮影。外見だけを見ると崩落箇所はなくしっかりとしていますが、内部は崩壊が進んでいるとのことです。
H有壁隧道(青森側)入口

右側に分かれる道が旧線跡。
現在は「途中まで」農作業用道として使用されています。

途中までは農作業用道として使われていますが、その先は藪に覆われ、隧道周辺は完全に湧き水と雪解け水で泥となっていました。雪が溶けて草が生えない5月当たりが訪問に一番いいのかもしれません。
G有壁隧道(青森側)
「圧巻」としか言いようがない風格を醸し出していました。
この隧道へは農作業道が途中までありますが、その先は藪と隧道から流れ出す水により湿地と化して泥に悩まされることとなります。実はこの日、長靴を準備するのを忘れてしまい、運動靴のままで行くという無謀な事を強いられ、泥だらけになってしまいました(苦笑)。

ようやく到着。距離的にはさほどなかったんですが、やはり藪と泥によりだいぶ手間取りました。藪や木に覆われて全体写真を納めることはできませんでしたので、部分写真になってしまいました。
廃墟好きな人にはたまらない風格を醸し出していました。

左側は激しい崩落を見せています。しかし、かなり分厚くレンガ積みしていたのには驚きです。ただ、完全崩壊も時間の問題という印象を受けました。

現役時代、ここにはおそらく「有壁隧道」の額縁が飾られていたんでしょうか。

完全に苔むして自然に還ろうとしています。

隧道内部。冬の訪問でしたので、氷柱(つらら)や滴り落ちた水が凍って上に向かって形成される氷筍(ひょうじゅん)が見られました。
隧道内に湧いた水やこういった氷の膨脹によって内部の崩壊は加速度的に進行しています。

天井には、蒸気機関車の煤が残っていました。

途中で完全に陥没していました。内部に入るのは危険でしたので、望遠で撮影。
I国道342号線との合流地点

この先旧線跡は、国道342号線と合流します。

この看板が目印です。

目印その2.三光化成の工場。
J国道342号線転用区間

上り(上野方面)。鉄道路線特有の緩やかな曲線がそのまま残されています。

下り(青森方面)。こちらは直線が続いていました。
K国道342号線との分岐点

この先、旧線は左に曲がり県道260号線と合流しますが、旧線跡はその直前で国道342号線から分岐し、直進します。

旧線跡。現在は、生活道路として使用されています。こういった道が現在の路線と併走しています。

旧線跡を左側に向かって撮影。この川に沿って旧線跡が続きます。明治時代の特徴である地形に逆らわない鉄道敷設であった事が解ります。さらに奥には東北新幹線の高架が見え、東北本線の現在の路線はさらにその奥で、合流地点は間近です。

現役時代の面影が残っています。
L東北新幹線との交差地点

旧線時代には当然新幹線はありませんでした。新幹線の高架設置に伴って、旧線跡に敷設された生活道路は道筋が若干変更されています。
M現在の路線との合流地点

過去の地形図や空中写真を見ると、旧線跡は写真中央の家を通っていたようです。

この付近で旧線と現在の路線が合流していたと思われますが、現在はその痕跡を見ることは出来ませんでした。

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