東北本線
旧線区間(藤田〜貝田)

◆2013年9月22日(日)撮影
 福島県と宮城県の県境にある国見峠は、奥州街道の要衝として古来から知られ、現在でも東北自動車道、東北本線、国道4号線が密集していますが、この地には短い距離ですが、東北本線の旧線跡があります。
 後で掲載する「貝田旧国鉄軌道敷跡町道整備記念碑文」によれば、この地に鉄道が敷設されたのが1887(明治20)年12月で日本鉄道の路線としてでした。当初は阿武隈川に沿って白石に通す計画でしたが、煤煙で沿線の養蚕桑園が枯れるという理由で沿線住民の反対で路線を変更して、この貝田を通す路線となったそうです。ちなみに当初の阿武隈川沿いのルートの一部は、後に阿武隈急行線として開業しています。
 しかしこのルートは、貝田宿と呼ばれた奥州街道の宿場町の真ん中を通るもので、蒸気機関車の火の粉で当時の藁葺き家屋に引火してしばしば火災が発生し、線路の上に散火板(火の粉を受け止める屋根)を取り付ける事態となります。
 その後、日本鉄道は1906(明治39)年に国有化され、輸送力増強のため各地で経路変更工事が行われました。この路線も、1917(大正6)年に貝田宿を迂回する現在の路線に変更されました。
 路線敷設当時にはなかった駅も、1922(大正11)年6月に貝田駅の前身である貝田信号所が開設され、1952(昭和27)年6月に駅に昇格しました。
 その後、1961(昭和36)年3月には蒸気機関車から電車へと電化され、輸送力増強のために1965(昭和40)年に複線化されて現在に至ります。

国土地理院電子国土ポータルより引用
貝田駅周辺

この貝田駅舎付近から旧線が分岐していました。そもそも旧線時代には貝田駅は開業していませんでした。

この地区は後に開設された貝田駅の前身の貝田信号所によって地形が大きく変わっているようです。真ん中の道路が旧線跡と思われます。

山側に見えるのが、東北自動車道の国見SA。

右に分岐しているのが旧線跡。

駅から100mほど離れたところにある「貝田駅建設記念碑」。

路線跡は生活道に転用されています。
自動車がようやく1台通れる広さですが、鉄道路線があったことを物語るそれらしい線形をしています。

貝田宿付近。貝田宿は奥州街道の宿場町として賑わいました。

旧線上に記念碑がありました。

駅名標と由来を記した碑文。

碑文を拡大。

この車輪は何の車両のものでしょうか?

先ほどの記念碑に目がいきがちですが、実はこの下はこのような立派な煉瓦橋となっていて、紛れもなく鉄道時代のものです。
個人的な感想ですが、この煉瓦橋の方をメインに展示をしてくれればと思います。

煉瓦は当時の鉄道建築で多用され、耐久性に優れていると言われる「イギリス積み」と呼ばれる工法で作られました。
100年以上経っても目立った損傷はありませんでした。

旧線跡はこの先もうちょっと続きます。

ここは果樹園となっていますが、この先で現在の路線と合流します。

ここが合流地点です。草木で見えませんが真ん中に現在の路線の電柱が見えます。

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