◆JR中央本線(東京都・山梨県・長野県・愛知県)◆

◆2010年8月14日(土)、2011年1月1日(土)、2012年1月1日(日)、2013年1月1日(火)撮影
(概要)
 中央本線(ちゅうおうほんせん)は、東京都千代田区の東京駅から新宿区の新宿駅、長野県塩尻市の塩尻駅を経由して愛知県名古屋市中村区の名古屋駅までを結ぶ鉄道路線(幹線)である。

 このうち東京駅〜塩尻駅間は東日本旅客鉄道(JR東日本)、塩尻駅〜名古屋駅間は東海旅客鉄道(JR東海)の管轄となっている。なお、塩尻駅はJR東日本の管轄である。JR東日本管轄を「中央東線」やJR東海管轄を「中央西線」、東京近郊路線を「中央快速線」など、区間や系統別に様々な呼称がある。

 『鉄道要覧』上は、重複する東京駅〜神田駅間は東北本線、代々木駅〜新宿駅間は山手線となっている

(歴史)

 中央線は、1872(明治5)年、東京(神田橋付近)〜八王子間を走った「甲州街道馬車会社」の乗合馬車が前身。ちなみに当時1日上下各1往復で片道4時間かかったという。
 その後、新宿を基点とし、砂川(立川)経由で羽村・青梅へと続く玉川上水経路と、砂川から八王子へと続く甲州街道経路の馬車鉄道計画請願が出され、1886(明治19)年に動力を蒸気に替えて改めで申請し、1889(明治22)年4月11日に新宿〜立川間(約27.24km)の「甲武鉄道」が開通。さらに同年8月11日には、立川〜八王子間も開通させJR中央線の前身を築いた。
 その後「甲武鉄道」は次いで1894(明治27)年に新宿〜牛込間、1895(明治28)年に牛込〜飯田町も開通させ、1904(明治37)年には飯田町〜御茶ノ水が開通した。

 一方、この時期はロシアと日本は緊張状態にあり、日本全国にあった師団を鉄道で結んで迅速な移動を可能にし、国防を充実させようと全国各地で鉄道建設が国の主導で盛んに行われていた。関西などの西日本と東京を結ぶ路線としてすでに東海道線があったが、陸軍側はずっと海沿いを走っている東海道線では、戦争が起こった場合、敵艦に海上から砲撃されて、軍の兵員輸送が出来なくなるから、山岳部を走る鉄道が必要と主張していた。そこで内陸側を通る現在の中央線構想がもちあがり、八王子から甲府を経由して名古屋に至る区間の鉄道建設が急がれるようになった。そこで、官設鉄道として1901(明治34)年に八王子〜上野原間、1903(明治36)年6月11日には甲府まで鉄道が開通し、最終的に名古屋〜東京まで全通したのは1911(明治44)年5月1日の宮ノ越〜木曽福島間の延伸開業によってである。

 その後、1906(明治39)年に鉄道の国有化を目的とした法律「鉄道国有化法」が公布され、甲武鉄道は1906(明治39)年に北海道炭礦鉄道と共に日本で最初に買収された鉄道となった。

 1919(大正8年)には当時完成したばかりの東京駅へと延長を果たす。この中央線に一大変化を起こしたのは1923(大正12)に起こった関東大震災であった。この大震災では当時の東京の東半分である下町が甚大な被害を受け、そこで被災した人たちが、新天地である東京の西部に住むようになった。また震災復興期は東京の人口膨脹期でもあり、各地方からの人口も流入し郊外に住むようになっていった。こうして、郊外居住・都心通勤と言う新たな生活様式が普及しはじめ、中央線沿線の人口は急激に増えるようになった。震災前の中野・高円寺を中心とした人口増加が、震災以後吉祥寺近辺まで延び、更には1927(昭和2)年の東京商科大学(現在の一橋大学)の移転と西武の学園都市開発により、1926(大正15)年開業の国立駅付近まで大きく様変わりし、また1932(昭和7)年にはそれまでの15区が35区になる「大東京」が誕生していくことになる。

 さらに、太平洋戦争による戦災も、西部流入を加速させることになり、中央線沿線の宅地化は一気に進んだ。このことにより戦後には朝の殺人的なラッシュと積み残しが問題化されるようになり、対策として複々線化高架化を行って輸送力を拡大させ、この利便性の改善が更なる人口増加をもたらすようになった。そして昭和30年代前半には武蔵境付近そして40年代初めには一部を除き立川まで宅地が繋がった。そしてこの頃までに中央線は近隣の国鉄私鉄との接続を活発に行い、日本国内で有数の大黒字路線へと発展していった。その後も宅地開発は更に進み、通勤客の増大に伴い、車両増設・高速化・複々線化に取り組んでいる。

東京駅1番線(中央線高架ホーム)脇にある0キロポスト。
(2012年1月1日(日)撮影)

東京駅2番線(中央線高架ホーム)壁面に取り付けられている0キロポスト。
(2012年1月1日(日)撮影)

神田駅ホーム北側より撮影した中央線(左)と山手線(右)の分岐点。
(2016年12月29日(木)撮影)

代々木駅ホーム南側より撮影した中央線(左)と山手線(右)の分岐点。
(2019年8月11日(日)撮影)

立川駅ホーム東側より撮影した中央線(左)と南武線(右)の分岐点。
(2018年12月30日(日)撮影)

立川駅ホーム西側より撮影した中央線(左)と青梅線(右)の分岐点。
(2018年12月30日(日)撮影)

神田駅〜御茶ノ水駅間にある旧万世橋駅。かつては中央本線の起点駅として1912(明治45)年4月1日に開業したが、東京駅開業に伴い1919(大正8)年3月1日に万世橋〜東京間が延伸開業し、ターミナル駅としての役割は7年で終了。その後も規模を縮小しながらも営業するが1943(昭和18)年11月1日に休止(実質的には廃駅)となった。駅舎の一部は2006(平成14)年まで交通博物館に転用され、2012(平成24)年7月より旧万世橋駅遺構を整備し、「mAAch ecute(マーチエキュート) 神田万世橋」が2013(平成25)年9月14日に開業した。
(2019年8月11日(日)撮影)
東京〜高尾間(中央線快速)
駅名 駅間
営業
キロ
累計
営業
キロ
所在地 開業年月日
(漢字表記) (よみ)
東京駅 とうきょう - 0 千代田区 1914(大正3)年12月20日
※東海道本線と京浜東北線の駅として
神田駅 かんだ 1.3 1.3 1919(大正8)年3月1日
御茶ノ水駅 おちゃのみず 1.3 2.6 1904(明治37)年12月31日
水道橋駅 すいどうばし 0.8 3.4 1906(明治39)年9月24日
飯田橋駅 いいだばし 0.9 4.3 1928(昭和3)年1月1日
市ケ谷駅 いちがや 1.5 5.8 1895(明治28)年3月6日
四ツ谷駅 よつや 0.8 6.6 新宿区 1894(明治27)年10月9日
信濃町駅 しなのまち 1.3 7.9 1894(明治27)年10月9日
千駄ケ谷駅 せんだがや 0.7 8.6 渋谷区 1904(明治37)年8月21日
代々木駅 よよぎ 1.0 9.6 1906(明治39)年9月23日
新宿駅 しんじゅく 0.7 10.3 新宿区 1885(明治18)年3月1日
※山手線の駅として
大久保駅 おおくぼ 1.4 11.7 1895(明治28)年5月5日
東中野駅 ひがしなかの 1.1 12.8 中野区 1906(明治39)年6月14日
中野駅 なかの 1.9 14.7 1889(明治22)年4月11日
高円寺駅 こうえんじ 1.4 16.1 杉並区 1922(大正11)年7月15日
阿佐ケ谷駅 あさがや 1.2 17.3 1922(大正11)年7月15日
荻窪駅 おぎくぼ 1.4 18.7 1891(明治24)年12月21日
西荻窪駅 にしおぎくぼ 1.9 20.6 1922(大正11)年7月15日
吉祥寺駅 きちじょうじ 1.9 22.5 武蔵野市 1899(明治32)年12月30日
三鷹駅 みたか 1.6 24.1 三鷹市 1930(昭和5)年6月25日
武蔵境駅 むさしさかい 1.6 25.7 武蔵野市 1889(明治22)年4月11日
東小金井駅 ひがしこがねい 1.7 27.4 小金井市 1964(昭和39)年9月10日
武蔵小金井駅 むさしこがねい 1.7 29.1 1926(大正15)年1月15日
国分寺駅 こくぶんじ 2.3 31.4 国分寺市 1889(明治22)年4月11日
西国分寺駅 にしこくぶんじ 1.4 32.8 1973(昭和48)年4月1日
国立駅 くにたち 1.7 34.5 国立市 1926(大正15)年4月1日
立川駅 たちかわ 3.0 37.5 立川市 1889(明治22)年4月11日
日野駅 ひの 3.3 40.8 日野市 1890(明治23)年1月6日
豊田駅 とよだ 2.3 43.1 1901(明治34)年2月22日
八王子駅 はちおうじ 4.3 47.4 八王子市 1889(明治22)年8月11日
西八王子駅 にしはちおうじ 2.4 49.8 1939(昭和14)年4月1日
高尾駅 たかお 3.3 53.1 1901(明治34)年8月1日
(その他)東京駅の0キロポスト(起点標)と首相遭難場所

年表
JR東日本管轄区間(中央東線)
JR東海管轄区間(中央西線)

wikipediaより参照

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