東北本線は単線だったが、太平洋戦争勃発により、北海道からの石炭などの戦略物資の輸送力増強が必要となり、列車の行き換えの出来る交換設備を持った信号場が作られた。この信号場はその一つ。 1967(昭和42)年に複線化により役目を終えて廃止された。 かつては東北本線最大の難所であった十三本木峠の近くにあったため、蒸気機関車時代は機関車を2輌増結して3重連として山越えを行い、その勇壮な姿から「十三本木峠の三重連」と言われ、全国的に有名であった。1967(昭和42)年の複線化工事にあわせて電化も行われて蒸気機関車が廃止になる直前には、たくさんの鉄道マニアがその姿を見るために訪れたという。 国土変遷アーカイブ空中写真閲覧システム(http://archive.gsi.go.jp/airphoto/) 1977/09/23撮影葛巻(CTO772-C5-4)より 参考サイト http://www5f.biglobe.ne.jp/~switchback/nishidake.htm |
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西岳信号場に隣接してあった稲荷林踏切。 この北(下り(八戸)方向)に西岳信号場がありました。 (2011年5月3日撮影) |
左の写真の反対方向(つまりは北(下り(八戸方向)))を撮影。現在の線路脇にバラストが敷かれた空き地がありました。たぶん引き込み線の跡と思われます。写真左のガードレールあたりが国道4号線。 (2011年5月3日撮影) |
1948(昭和23)年撮影の米軍空中写真ではここあたりに信号場の駅舎があったものと推測されます。 ただ隣接している国道4号線の道路拡張や線形改良などの工事で、信号場敷地の一部が道路用地に転用されている可能性が高く、だいぶまわりの状況は変わっていると思われます。 (2011年4月16日撮影) |