開業:1914(大正3)年6月14日 所在地:山形県東田川郡庄内町清川字下川原4 キロ程:31.1km(新庄起点) |
駅名由来 「清川」という地名は、一説では「最上川に落ちる清冽な水の流れ」を表した地名で、月山を源として流れてくる立谷沢川の清流を清川と名付けたのだといわれています。立谷沢川は、当地で最上川と合流しています。 清川の地は、最上川舟運の水駅(みずうまや=船着場)として発達した宿場です。上流の大石田と河口の酒田との中間に位置することから役所船も置かれていました。江戸時代の運送船同士の競争は激しく、当初、酒田船ばかりであったものに大石田船も加わり、配船や種々トラブルの調停には役所船も苦労したものと考えられています。 また、幕末の時代、京都の新撰組の元となった新徴組を組織するなど、風雲の世に異彩を放った「清河八郎」の生地でもあります。 この地名の由来を受けて、陸羽西線の新庄~余目間開通の翌年、大正三年(一九一四)六月四日、清川駅が開業しました。(現地案内板より) その他 ※参考、引用サイト:Wikipedia |
駅名標 |
駅舎(待合所) |
上り(新庄方面) |
下り(余目方面) |
駅前(1) |
駅前(2) |
駅舎(待合所)内(1) |
駅舎(待合所)内(2) |
駅名由来板 |
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名所案内板 |
かつては島式ホーム1面2線の構造でしたが、1線を廃止したため、このような空き地が出来ました。 |