開業:1925(大正14)年6月5日 所在地:宮城県多賀城市中央二丁目7-1 キロ程:12.6km(あおば通起点) |
駅名由来 「多賀城」は神亀元年(七二四)に陸奥国を治めるために作られた役所で、国府・鎮守府が現在の多賀城市市川・浮島に置かれました。また、多賀城は出羽国をも支配し、さらに東北地方北部に広がる広大な蝦夷(えみし)の地を律令国家に組み込むという役割も担っており、古代東北全域を管轄下に治める一大政治拠点だったと考えられています。 昭和三十五年から始まった発掘調査の結果では、築地塀(ついじべい)で囲まれた九〇〇メートル四方のほぼ中心に政庁が、また城内各所には実務官衙(じつむかんが)が点在していたことがわかりました。 明治二十二年四月の市町村制施行の際、それまでの新田、高橋、山王、南宮、市川、浮島、高崎、田中、留谷、八幡、大代、下馬、笠神の十三ヶ村の連合村を一区域とした村名が命名されることになり、歴史上名高い多賀城の名を永久に残す意味合いにおいて多賀城村と命名しました。 この地名の由来を受けて、大正十四年(一九二五)六月五日、宮城電気鉄道(現在の仙石線)の仙台~西塩釜間開通の時、多賀城駅が開業しました。 (現地案内板より) その他 2012(平成24)年4月8日に始発列車より、下り線が高架線に切り替え(中線部の2番線に発着)が行われ、高架化された。 ※参考、引用サイト:Wikipedia |
駅名標 |
駅舎(待合所)(北口) (2018年4月22日(日)撮影) 駅舎(待合所)(南口) (2018年4月22日(日)撮影) |
駅舎(待合所) (2012年6月23日(土)撮影) |
高架化前の駅舎。 入口奥にホームが見える。 (2003年6月22日撮影) |
上り(あおば通方面) (2012年6月23日(土)撮影) |
下り(石巻方面) (2012年6月23日(土)撮影) |
駅前(北口)(1) (2018年4月22日(日)撮影) |
駅前(北口)(2) (2018年4月22日(日)撮影) |
駅前(南口)(1) (2018年4月22日(日)撮影) |
駅前(南口)(2) (2018年4月22日(日)撮影) |
駅舎(待合所)内(1) (2018年4月22日(日)撮影) |
駅舎(待合所)(2) (2018年4月22日(日)撮影) |
駅名由来板 |