開業:1931(昭和6)年8月30日 所在地:仙台市青葉区作並字相ノ沢27-2 キロ程:28.7km(仙台起点) |
駅名由来 作並は、養老五年(七二一)、遊行僧・行基が発見したといわれる作並温泉の所在地として知られていますが、地名の起因については詳しくは知られていません。 一説では「作」は、丘陵の間の水田などから細長く入り込む地形という意味があり、広瀬川上流の渓谷に位置するこの地の地形が、その形状に似ていることから、また「並」は、「作」と呼ばれる地形が川の流域の谷間に並んでいることから、同じく名付けられたものと考えられています。 なお、当駅下り線ホームに「交流電化発祥地」の碑があります。昭和二九年(一九五四)から三二年にかけて、仙台~作並間では日本初の交流電化試験が行われました。のちの新幹線の足がかりを築いた地となってます。 この地名の由来を受けて、昭和六年(一九三一)八月三〇日、仙山東線(現在の仙山線)の愛子~作並間開通の時、作並駅が開業しました。(現地案内板より) その他 仙台方には、旧作並機関区の名残の機関庫があり、転車台も残されており、現在は保線基地として活用されている。 ※参考、引用サイト:Wikipedia |
駅名標 |
駅舎(待合所) |
上り(仙台方面) |
下り(山形方面) |
駅前(1) |
駅前(2) |
駅舎(待合所)内(1) |
駅舎(待合所)内(2) |
駅名由来板 |
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交流電化発祥の碑と説明板。 日本の鉄道の電化は直流電源方式でスタートしたが、送電ロスが多く、変電所などの地上設備を近距離で設置しなければならずコストが高いのが欠点であった。そこで、1950年代に入り送電ロスの少ない交流電源方式が検討されるようになった。そこで1955(昭和30)年、この仙山線で、1957(昭和32)年に北陸本線の敦賀において実用化試験が実施され、このデータを元に全国路線の交流電化へ、さらには新幹線へと発展した。 |
交流電化の由来 昭和28年8月 交流電化調査委員会発足 昭和29年9月 仙山線北仙台~作並間の50Hz・ 20kvの交流設備の工事が完了 昭和30年8月 国産交流機関車ED44-1による 試験運転を開始 昭和31年3月 地上設備と機関車の実地試験完了 わが国の交流電化は仙山線におけるデータを基礎として 北陸本線、東北本線の電化へ、さらには新幹線へと世界に 誇る鉄道として飛躍的に発展した。作並は記念すべき 交流電化発祥の地であります。 |
窓口上には「交流電化発祥の地」として、2008年10月に電気学会より「でんきの礎」を受賞されたことを示すプレートが飾られています。 |
スタンプ |
旧作並機関区の名残の機関庫で、現在は保線基地として使用されている。 |
鉄パイプの柵で囲われた転車台跡。2014年に地中から掘り起こされたそうです。 |