(概要) 総武本線(そうぶほんせん)は、東京都千代田区の東京駅から千葉県銚子市の銚子駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。このほか、東京都墨田区の錦糸町駅で分岐して御茶ノ水駅に至る支線、小岩駅(新小岩信号場駅)から分岐して金町駅および、越中島貨物駅に至る貨物支線を持つ。電車内や駅構内の旅客案内上は主に千葉駅から銚子駅の区間がこの名称で呼ばれる(後述)。 (歴史) 背景 1872(明治5)年に日本最初の鉄道が新橋駅〜横浜駅(現在の桜木町駅)間に開通した後の1877(明治10)年代になり、日本鉄道会社が上野駅〜高崎駅間に民間鉄道を開通して良好な営業成績を上げると、全国的に民営鉄道の建設のブームとなった。千葉県内でも、1877(明治10)年代末に鉄道敷設の運動が高まったが、資金の問題から馬車鉄道の計画が多く、汽車による計画は20年まで公にされなかった。1887(明治20)年11月に佐原の伊能権之丞らが発起した武総鉄道会社と、成東の安井理民らが発起した総州鉄道会社が相次いで創立の申請を行ったが、当時は従来からの水上交通の実績に対する評価が高く、利根運河の開削も決まったばかりだったため、千葉県知事・船越衛に鉄道は不要と建設許可を受けることができなかった。この経験から競願の不利益さを悟った両社の発起人は合併を協議し、1889(明治22)年1月に総武鉄道株式会社を創立、利根運河との競合を避け、陸軍の支持が得られるように国府台、津田沼、佐倉等の軍営所在地を通るルートが採用され申請した。 1887年(明治20年)11月に申請された計画ルート 武総鉄道株式会社:本所〜市川〜船橋〜千葉〜佐倉〜成田〜佐原 総州鉄道株式会社:本所〜市川〜船橋〜千葉〜佐倉〜八街 1889年(明治22年)1月に申請された計画ルート 総武鉄道株式会社:本所〜市川〜船橋〜千葉〜佐倉〜八街 総武鉄道 会社名称は上総国(かずさのくに)・下総国(しもうさのくに)と武蔵国を結ぶことから名づけられた。1894(明治27)年7月に市川駅〜佐倉駅間が開業し、同年12月には江戸川を越えて本所(現在の錦糸町)に達した。1897(明治30)年5月に成東、同年6月には銚子まで延伸され全線が開通し、佐倉駅で成田鉄道との連絡も実現する。両国橋から都心部への延伸は1899(明治33)年に本所〜秋葉原間の免許を得、1904(明治37)年に両国橋(現在の両国)まで延伸され、ここを都心側のターミナルとした。両国橋駅を利用する旅客はすでに開業していた路面電車(のちの都電)に乗り継いだ。なお、この当時は貨物扱いも両国で行い、ここから隅田川などの舟運を利用して物資が東京市内へと運ばれた。 1907(明治40)年、鉄道国有法により買収・国有化され、官設鉄道の総武本線となった。 近代化と戦争 鉄道開業により、総武本線の沿線には住宅地の拡大が両国から徐々に東側へ向けて始まった。また、1912(大正元)年に最初の区間が開業した京成電気軌道(現在の京成電鉄)とは東京〜船橋〜千葉の都市間輸送で競合するようになり、東海道本線からは少し遅れたが総武本線の近代化に向けた取り組みが始まった。ただし、1923(大正12)年9月1日には関東大震災で両国周辺で多数の犠牲者が出る惨事も起きた。復興計画が立てられる中、1926(大正15)年には常磐線と連絡する貨物支線(新金線)、1929(昭和4)年には東京湾岸に近い小名木川駅への支線(のちの越中島支線)が開業し、旅客と貨物の分離が進められた。 震災復興をきっかけとして都心部への延伸が進められ、1932(昭和7)年には、御茶ノ水駅〜両国駅間が延伸され、同区間で電車の運転を開始した。これにより、総武本線は東京都心部で他の国鉄線と連絡するようになった。以降、1933(昭和8)年3月に市川まで、同年9月には船橋駅まで電化区間が延長され、中央本線中野駅まで緩行電車として直通運転を実施するようになった。1935(昭和10)年には、千葉駅までの電化が完成した。以後、総武本線は千葉駅を境に、住宅地が広がる地域で近郊形電車が頻繁に運転される御茶ノ水駅方面の西側と、農村や漁村を蒸気機関車牽引の客車列車が結ぶ銚子駅方面の東側に性格が二分された。 第二次世界大戦末期の1945(昭和20)年3月10日、沿線で米軍による無差別爆撃、東京大空襲が実行され、一夜にして約10万人が死亡し、両国・錦糸町・亀戸などの各駅には多くの被災者が避難した。また、アメリカ軍が九十九里浜に上陸する日本侵攻作戦が予測され、日本軍は本土決戦に備えた決号作戦により総武本線で大量の軍事輸送を行ったが、同年8月15日に日本はポツダム宣言受諾を発表し、沿線での大規模戦闘は回避された。 戦後の改良 戦後、被災地域の復興や高度経済成長による東京都市圏の人口急増により、千葉以西が複線電化、千葉以東が単線非電化という総武本線の輸送事情は逼迫した。そのため、新たに発足した日本国有鉄道(国鉄)は1964(昭和39)年に決定した通勤五方面作戦の重要な一部として総武本線の輸送力増強に着手した。その中核として、国鉄初の本格的な都市内地下鉄道になる東京〜錦糸町間の新線建設を含む東京〜千葉間の快速線建設が決定され、1972(昭和47)年に東京駅〜錦糸町駅〜津田沼駅間が開業した。これにより起点が御茶ノ水駅から東京駅に変更され、新設された東京駅の地下ホームからは新たに設定された房総方面への特別急行列車が発着した。一方、総武鉄道時代から東京と千葉以東を結ぶターミナルとなっていた両国駅は、急行列車の発着は残されたものの、その重要性が大きく低下した。その後、1980年には横須賀線との直通運転(SM分離)が開始され、1981年には千葉駅まで複々線区間が延長されて、当初の計画は完成した。これにより、国鉄による輸送は高速化され、国鉄は東京〜船橋・千葉の都市間輸送で京成電鉄より優位に立った。また、1969年には営団地下鉄(現在の東京地下鉄)東西線が西船橋駅〜津田沼駅間に乗り入れ、特に通勤輸送で総武本線(中央・総武緩行線)の負担を大きく軽減していた。 一方、千葉駅以東の近代化も徐々に進み、通勤路線としての性格が強まった。1968(昭和43)年に佐倉駅まで(同時に成田線の成田駅まで)電化、1974(昭和49)年には銚子駅までの電化が完成し、東京からの直通電車特急「しおさい」の運行が開始された。さらに、紆余曲折を経て1978(昭和53)年に新東京国際空港(現在の成田国際空港)が開港すると、総武本線と成田線は京成電鉄を補完する鉄道アクセスルートとなった。 このような状況で1987(昭和62)年の国鉄分割民営化を迎え、総武本線は施設保有と旅客輸送がJR東日本、貨物輸送がJR貨物へ承継された。ただし、銚子漁港からの鮮魚・醤油輸送がトラックに切り替えられて銚子駅〜新生駅の貨物線が廃止されたように、総武本線での貨物輸送量は減少していた。 また、総武本線の大部分を管轄する国鉄千葉鉄道管理局(民営化後はJR東日本千葉支社)では分割民営化に反対する国鉄千葉動力車労働組合(千葉動労)の勢力が強く、1985年11月29日に同労組が実施した分割民営化反対ストライキの際にはこれを支持する革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)により国電同時多発ゲリラ事件が発生した。特に浅草橋駅は国鉄職員を含む約120人の同派グループにより破壊・放火された。分割民営化後も千葉動労はJR東日本との対決を続け、特に千葉駅以東では同労組のストライキによる列車運行の停止が毎年起こった。 民営化後の展開 総武本線を受け継いだJR東日本は総武本線の改良を続け、新型ATSの設置を進めた。また、当初は貨物線で計画していた京葉線を旅客営業兼用に転換し、国鉄末期の1986(昭和61)年の第1期区間開業に続いて1990(平成2)年に東京駅乗り入れを実現させた。内房線・外房線直通列車は定期特急の大半と快速の一部が総武本線(快速線)から京葉線に移行し、乗客の転移もあって、総武本線(快速線)の過密緩和に役立った。 1991(平成3)年には成田新幹線の施設を転用した成田空港旅客ターミナルへの鉄道乗り入れが実現し、総武本線(および成田線)では空港連絡特急「成田エクスプレス」の運行が始まって、アクセス路線としての重要性を増した。ただし、1985年以降の東関東自動車道の延伸により、高速バス(かしま号、犬吠号、利根ライナー号、あそう号、東京〜八日市場線)の運行が拡大されると、「しおさい」などの「成田エクスプレス」以外の特急列車は本数削減や一部区間の普通列車化が行われ、総武本線(および成田線・鹿島線)は東京と千葉県北東部・茨城県南東部を結ぶ都市間輸送で劣勢に立っていることが明確となった。 2000(平成12)年の運輸政策審議会答申第18号では、2015年までに整備すべき路線として新浦安(京葉線)〜船橋〜津田沼間の新線建設(船橋〜津田沼間は3複線化)が提唱された。千葉方面からの総武本線の列車は津田沼から新線に乗り入れ、新浦安から京葉線経由で東京駅へ、あるいはこれも2015年を整備目標とする新宿・三鷹方面への延伸線に向かうことが想定されている。また、新木場〜新浦安間の建設(複々線化)と新木場からの東京臨海高速鉄道(りんかい線)乗り入れも明記されたが、運営会社のJR東日本はこの建設計画についてまだ正式な発表を行っていない。 |
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御茶ノ水駅にある0kmポスト 東京駅が起点になるまではこの御茶ノ水駅が起点であったため、現在でも0kmポストが残されている。 (2011年1月1日(土)撮影) |
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千葉駅ホームの北側ホームは時より撮影した、外房線(左)と総武線(右)の分岐点。 (2015年12月27日(日)撮影) |
佐倉駅の東側にある成田線(左)と総武線(右)の分岐点。 (2017年12月31日(日)撮影) |
成東駅の銚子方面にある総武本線(左)と東金線(右)の分岐点。(踏切より撮影) (2019年3月9日(土)撮影) |
駅名 | 駅間 営業 キロ |
営業 キロ |
所在地 | 開業日 | ||||
(漢字表記) | (よみ) | 千葉 から |
東京 から |
|||||
総 武 本 線 |
千葉駅 | ちば | - | 0.0 | 39.2 | 千 葉 県 |
千葉市 中央区 |
1894(明治27)年7月20日 |
西千葉駅 | にしちば | 1.4 | 1.4 | 37.8 | 1942(昭和17)年10月1日 | |||
稲毛駅 | いなげ | 1.9 | 3.3 | 35.9 | 千葉市 稲毛区 |
1899(明治32)年9月13日 | ||
新検見川駅 | しんけみがわ | 2.7 | 6.0 | 33.2 | 千葉市 花見川区 |
1951(昭和26)年7月15日 | ||
幕張駅 | まくはり | 1.6 | 7.6 | 31.6 | 1894(明治27)年12月9日 | |||
幕張本郷駅 | まくはりほんごう | 2.0 | 9.6 | 29.6 | 1981(昭和56)年10月1日 | |||
津田沼駅 | つだぬま | 2.9 | 12.5 | 26.7 | 習志野市 | 1895(明治28)年9月21日 | ||
東船橋駅 | ひがしふなばし | 1.7 | 14.2 | 25.0 | 船橋市 | 1981(昭和56)年10月1日 | ||
船橋駅 | ふなばし | 1.8 | 16.0 | 23.2 | 1894(明治27)年7月20日 | |||
西船橋駅 | にしふなばし | 2.6 | 18.6 | 20.6 | 1958(昭和33)年11月10日 | |||
下総中山駅 | しもうさなかやま | 1.6 | 20.2 | 19.0 | 1895(明治28)年4月12日 | |||
本八幡駅 | もとやわた | 1.6 | 21.8 | 17.4 | 市川市 | 1935(昭和10)年9月1日 | ||
市川駅 | いちかわ | 2.0 | 23.8 | 15.4 | 1894(明治27)年7月20日 | |||
小岩駅 | こいわ | 2.6 | 26.4 | 12.8 | 東 京 都 |
江戸川区 | 1899(明治32)年5月24日 | |
新小岩駅 | しんこいわ | 2.8 | 29.2 | 10.0 | 葛飾区 | 1928(昭和3)年7月10日 | ||
平井駅 | ひらい | 1.8 | 31.0 | 8.2 | 江戸川区 | 1899(明治32)年4月28日 | ||
亀戸駅 | かめいど | 1.9 | 32.9 | 6.3 | 江東区 | 1904(明治37)年3月29日 | ||
錦糸町駅 | きんしちょう | 1.5 | 34.4 | 4.8 | 墨田区 | 1894(明治27)年12月9日 | ||
→東京方面(総武本線<本線>へ) | ||||||||
総 武 本 線 支 線 |
両国駅 | りょうごく | 1.5 | 35.9 | 錦糸町 より 1.5 |
1904(明治37)年4月5日 | ||
浅草橋駅 | あさくさばし | 0.8 | 36.7 | 2.3 | 台東区 | 1932(昭和7)年7月1日 | ||
秋葉原駅 | あきはばら | 1.1 | 37.8 | 3.4 | 1890(明治23)年11月1日 | |||
御茶ノ水駅 | おちゃのみず | 0.9 | 38.7 | 4.3 | 1904(明治37)年12月31日 | |||
→中央線へ |
駅名 | 駅間 営業 キロ |
営業 キロ |
所在地 | 開業日 | |||
(漢字表記) | (よみ) | 東京 から |
|||||
総 武 本 線 ・ 本 線 |
錦糸町駅 | きんしちょう | 2.5 | 4.8 | 東 京 都 |
墨田区 | 1894(明治27)年12月9日 |
馬喰町駅 | ばくろちょう | 1.1 | 2.3 | 中央区 | 1972(昭和47)年7月15日 | ||
新日本橋駅 | しんにほんばし | 1.2 | 1.2 | 1972(昭和47)年7月15日 | |||
東京駅 | とうきょう | - | 0.0 | 千代田区 | 1914(大正3)年12月20日 |
駅名 | 駅間 営業 キロ |
営業 キロ |
所在地 | 開業日 | ||
(漢字表記) | (よみ) | 東京 から |
||||
千葉駅 | ちば | - | 39.2 | 千 葉 県 |
千葉市中央区 | 1894(明治27)年7月20日 |
東千葉駅 | ひがしちば | 0.9 | 40.1 | 1965(昭和40)年12月20日 | ||
都賀駅 | つが | 3.3 | 43.4 | 千葉市若葉区 | 1968(昭和43)年3月28日 | |
四街道駅 | よつかいどう | 3.5 | 46.9 | 四街道市 | 1894(明治27)年12月9日 | |
物井駅 | ものい | 4.2 | 51.1 | 1937(昭和12)年4月5日 | ||
佐倉駅 | さくら | 4.2 | 55.3 | 佐倉市 | 1894(明治27)年7月20日 | |
南酒々井駅 | みなみしすい | 4.0 | 59.3 | 印旛郡酒々井町 | 1914(大正3)年9月10日 | |
※上勝田第一アーチ橋 | ||||||
榎戸駅 | えのきど | 2.9 | 62.2 | 八街市 | 1958(昭和33)年4月1日 | |
八街駅 | やちまた | 3.7 | 65.9 | 1897(明治30)年5月1日 | ||
日向駅 | ひゅうが | 5.8 | 71.7 | 山武市 | 1899(明治32)年10月12日 | |
成東駅 | なるとう | 5.2 | 76.9 | 1897(明治30)年5月1日 | ||
松尾駅 | まつお | 5.6 | 82.5 | 1898(明治31)年2月25日 | ||
横芝駅 | よこしば | 4.3 | 86.8 | 山武郡横芝光町 | 1897(明治30)年6月1日 | |
飯倉駅 | いいぐら | 3.8 | 90.6 | 匝瑳市 | 1964(昭和39)年10月1日 | |
八日市場駅 | ようかいちば | 3.1 | 93.7 | 1897(明治30)年6月1日 | ||
干潟駅 | ひがた | 5.1 | 98.8 | 旭市 | 1898(明治31)年2月25日 | |
旭駅 | あさひ | 4.8 | 103.6 | 1897(明治30)年6月1日 | ||
飯岡駅 | いいおか | 2.7 | 106.3 | 1897(明治30)年6月1日 | ||
倉橋駅 | くらはし | 2.9 | 109.2 | 1960(昭和35)年6月1日 | ||
猿田駅 | さるだ | 2.6 | 111.8 | 銚子市 | 1898(明治31)年1月25日 | |
松岸駅 | まつぎし | 5.5 | 117.3 | 1897(明治30)年6月1日 | ||
銚子駅 | ちょうし | 3.2 | 120.5 | 1897(明治30)年6月1日 |
年表 | |
本線 元は本線だった錦糸町駅〜御茶ノ水駅間の支線も含めて記述する。 |
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1894(明治27)年7月20日 | 総武鉄道 市川駅〜佐倉駅間が開業。 |
1894(明治27)年12月9日 | 本所駅(現在の錦糸町駅)〜市川駅間延伸が開業。幕張駅・四ツ街道駅(現在の四街道駅)が開業。 |
1895(明治28)年4月12日 | 中山駅が開業。 |
1895(明治28)年9月11日 | 津田沼駅が開業。 |
1897(明治30)年5月1日 | 佐倉駅〜成東駅間が延伸開業。 |
1897(明治30)年6月1日 | 成東駅〜銚子駅間が延伸開業。 |
1898(明治31)年1月25日 | 猿田駅が開業。 |
1898(明治31)年2月25日 | 松尾駅・干潟駅が開業。 |
1899(明治32)年4月28日 | 平井駅が開業。 |
1899(明治32)年5月24日 | 小岩駅が開業。 |
1899(明治32)年9月13日 | 稲毛駅が開業。 |
1899(明治32)年10月12日 | 日向駅が開業。 |
1904(明治37)年3月29日 | 亀戸駅が開業。 |
1904(明治37)年4月5日 | 両国橋駅(現在の両国)〜本所駅間が延伸開業。同日が開業の東武鉄道亀戸線が両国橋駅〜亀戸駅間に乗り入れ開始。 |
1907(明治40)年8月29日 | 両国橋駅〜亀戸駅間が複線化。 |
1907(明治40)年9月1日 | 鉄道国有法により買収、国有化。 |
1907(明治40)年11月1日 | 四ツ街道駅が四街道駅に改称。 |
1908(明治41)年6月17日 | 平井駅〜小岩間駅、市川駅〜船橋駅間、稲毛駅〜千葉駅間が複線化。 |
1908(明治41)年7月17日 | 船橋駅〜津田沼駅間が複線化。 |
1908(明治41)年9月15日 | 亀戸駅〜平井駅間、津田沼駅〜稲毛駅間が複線化。 |
1908(明治41)年10月14日 | 小岩駅〜市川駅間が複線化。 |
1909(明治42)年10月12日 | 国有鉄道線路名称制定により、総武本線になる。 |
1910(明治43)年3月27日 | 東武亀戸線の両国橋駅〜亀戸駅間への直通運転廃止。 |
1911(明治44)年3月4日 | 四街道駅〜佐倉駅間に物井信号所が開業。 |
1912(大正元)年11月1日 | 千葉駅〜四街道駅間に都賀信号所が開業。 |
1914(大正3)年9月10日 | 南酒々井駅が開業。 |
1915(大正4)年5月1日 | 本所駅が錦糸町駅に改称。 |
1915(大正4)年9月11日 | 中山駅が下総中山駅に改称。 |
1922(大正11)年4月1日 | 信号所が信号場に改称。 |
1926(大正15)年2月14日 | 平井駅〜小岩駅間に新小岩信号場が開業。 |
1926(大正15)年7月1日 | 新小岩信号場が新小岩操車場に変更。 |
1928(昭和3)年7月10日 | 新小岩操車場が駅に変更され、新小岩駅が開業。 |
1931(昭和6)年10月1日 | 両国橋駅が両国駅に改称。 |
1932(昭和7)年7月1日 | 御茶ノ水駅〜両国駅間が延伸開業(複線、旅客営業のみ)。同区間で電車の運転開始。 |
1933(昭和8)年3月15日 | 両国駅〜市川駅間が電化。 |
1933(昭和8)年9月15日 | 市川駅〜船橋駅間が電化。中央線中野駅まで緩行電車として直通運転開始。 |
1935(昭和10)年7月1日 | 船橋駅〜千葉駅間が電化。 |
1935(昭和10)年9月1日 | 本八幡駅が開業。 |
1937(昭和12)年4月5日 | 物井信号場が駅に変更され、物井駅が開業。 |
1942(昭和17)年10月1日 | 西千葉駅が開業。 |
1951(昭和26)年7月15日 | 新検見川駅が開業。 |
1958(昭和33)年4月1日 | 榎戸駅が開業。 |
1958(昭和33)年11月10日 | 西船橋駅が開業。 |
1959(昭和34)年10月1日 | 旭町駅が旭駅に改称。 |
1960(昭和35)年6月1日 | 倉橋駅が開業。 |
1963(昭和38)年4月28日 | 房総東線(現在の外房線)のスイッチバック解消のため千葉駅を西千葉寄りに0.8km移転。 |
1964(昭和39)年10月1日 | 飯倉駅が開業。 |
1965(昭和40)年9月30日 | 千葉駅〜四街道駅間が複線化および自動信号化。都賀信号場が仮乗降場に変更され都賀仮乗降場が開業。 |
1965(昭和40)年12月20日 | 東千葉駅が開業。 |
1966(昭和41)年9月25日 | 四街道駅〜物井駅間が複線化および自動信号化。 |
1968(昭和43)年2月25日 | 物井駅〜佐倉駅間が複線化および自動信号化(同時に成田線佐倉駅〜成田駅間も自動信号化)。 |
1968(昭和43)年3月28日 | 千葉駅〜佐倉駅間が電化(同時に成田線佐倉駅〜成田駅間も電化)。都賀仮乗降場が駅に変更され、都賀駅が開業。 |
1968(昭和43)年6月1日 | 新小岩駅から貨物扱い・操車場業務を分離して新小岩操駅が開業。 |
1971(昭和46)年7月5日 | 亀戸駅〜新小岩駅間が3線化。 |
1972(昭和47)年6月4日 | 新小岩駅〜津田沼駅間が複々線化。 |
1972(昭和47)年7月15日 | 東京駅〜錦糸町駅間が開業(複線、旅客営業のみ)。総武本線の起点が東京駅に変更され、錦糸町駅〜御茶ノ水駅間は支線として分離。錦糸町駅〜亀戸駅間が複々線化。亀戸駅〜新小岩駅間が5線化。 |
1974(昭和49)年2月2日 | 佐倉駅〜銚子駅間が自動信号化。 |
1974(昭和49)年3月15日 | 千葉駅〜銚子駅間に 列車集中制御装置 (CTC) が導入。 |
1974(昭和49)年10月1日 | 両国駅〜新小岩操駅間の貨物営業廃止。 |
1974(昭和49)年10月26日 | 佐倉駅〜銚子駅間が電化され、全線電化が完成。 |
1979(昭和54)年7月7日 | 新検見川駅〜千葉駅間が複々線化。 |
1980(昭和55)年11月28日 | 稲毛駅〜西千葉駅間に黒砂信号場が開業。 |
1981(昭和56)年7月5日 | 津田沼駅〜新検見川駅間が複々線化。 |
1981(昭和56)年10月1日 | 東船橋駅・幕張本郷駅が開業。 |
1986(昭和61)年11月1日 | 成東駅〜銚子駅間の貨物営業廃止。新小岩操駅が廃止され、新小岩操車場に変更。 |
1987(昭和62)年3月31日 | 新小岩操車場が貨物駅に変更され、新小岩操駅が開業。 |
1987(昭和62)年4月1日 | 国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道に承継。新小岩操駅〜成東駅間は日本貨物鉄道が第二種鉄道事業者となる。 |
1990(平成2)年3月25日 | 御茶ノ水駅〜千葉駅間(緩行線)で ATS-P 使用開始。 |
1993(平成5)年10月24日 | 錦糸町駅〜市川駅間で ATS-P 使用開始。 |
1993(平成5)年10月31日 | 市川駅〜千葉駅間で ATS-P 使用開始。 |
1994(平成6)年10月28日 | 千葉駅〜佐倉駅間で ATS-P 使用開始。 |
1999(平成11)年5月29日 | 御茶ノ水駅〜千葉駅間(緩行線)で東京圏輸送管理システム (ATOS) が導入される。 |
1999(平成11)年3月31日 | 佐倉駅〜成東駅間の日本貨物鉄道の第二種鉄道事業廃止。 |
2000(平成12)年9月30日 | 東京駅〜幕張駅間で ATOS が導入される。 |
2001(平成13)年2月4日 | 佐倉駅〜成東駅間で ATS-P 使用開始。 |
2004(平成16)年2月29日 | 東京駅〜錦糸町駅間が ATC から ATS-P に変更。 |
2005(平成17)年12月10日 | 183系、189系を置き換える関係から特急にE257系500番台が投入され、運用を開始。 |
2006(平成18)年10月21日 | 211系3000番台が運用開始。 |
2009(平成21)年3月14日 | 成東駅〜銚子駅間が東京近郊区間に組み込まれ、同時にICカード「Suica」サービス開始。 |
2009(平成21)年10月1日 | 113系の老朽化などの事由により、千葉駅〜成東駅〜銚子駅間に4ドア車の209系2000番台・2100番台が運用開始。 |
2009(平成21)年10月4日 | 成東駅〜銚子駅間で ATS-PN 使用開始。 |
2011(平成23)年3月12日 | 新小岩操駅が新小岩信号場駅に改称。 |
越中島支線 | |
1929(昭和4)年3月20日 | 亀戸駅〜小名木川駅間が開業。 |
1958(昭和33)年11月10日 | 小名木川駅〜越中島駅(現在の越中島貨物駅)間が延伸開業。 |
1966(昭和41)年10月1日 | 全線で自動信号化。 |
1971(昭和46)年7月5日 | 起点が新小岩操駅に変更される。 |
1984(昭和59)年2月1日 | 小名木川駅〜越中島駅(現在の越中島貨物駅)間の運転方式が入換方式に変更。 |
1986(昭和61)年11月1日 | 新小岩操駅廃止のため、起点が小岩駅に変更される。 |
1987(昭和62)年4月1日 | 国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道に承継。日本貨物鉄道が第二種鉄道事業者となる。 |
1990(平成2)年3月10日 | 京葉線越中島駅との区別のため、越中島駅が越中島貨物駅に改称。 |
2000(平成12)年12月2日 | 小名木川駅が廃止。 |
2001(平成13)年3月1日 | 千葉総合指令室から東京総合指令室に移管。 |
2011(平成23)年3月12日 | 新小岩操駅が新小岩信号場駅に改称。 |
新金線 | |
1926(大正15).年7月1日 | 新小岩操車場〜金町駅間が開業。 |
1928(昭和3)年7月10日 | 新小岩操車場が新小岩駅に変更。 |
1964(昭和39)年9月25日 | 全線で電化。 |
1964(昭和39)年10月1日 | 全線で自動信号化。 |
1986(昭和61)年11月1日 | 新小岩操駅廃止のため、起点が小岩駅に変更される。 |
1987(昭和62)年4月1日 | 国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道に承継。日本貨物鉄道が第二種鉄道事業者となる。 |
2001(平成13)年3月1日 | 千葉総合指令室から東京総合指令室に移管。 |
2011(平成23)年3月12日 | 新小岩操駅が新小岩信号場駅に改称。 |
貨物支線 | |
1900(明治33)年3月28日 | 銚子駅〜新生駅間が延伸開業。 |
1978(昭和53)年4月1日 | 廃止。 |