◆JR南武線(神奈川県・東京都)◆

◆2014年8月15日(金)、2018年12月28日(金)、12月30日(日)撮影
(概要)
 南武線(なんぶせん)は、神奈川県川崎市川崎区の川崎駅と東京都立川市の立川駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。そのほか以下の支線を持つ。
  • 神奈川県川崎市幸区の尻手駅と同市川崎区の浜川崎駅を結ぶ支線(通称「浜川崎支線」、旅客案内上は「南武支線」)。
  • 尻手駅から新鶴見信号場を経由して神奈川県横浜市鶴見区の鶴見駅を結ぶ支線(通称「尻手短絡線」・旅客営業なし)。
(歴史)
 南武線は、私鉄の「南武鉄道」により開業した路線である。多摩川の川原で採取した砂利や、青梅鉄道(現在の青梅線)沿線で採掘されたセメントの原料の石灰石を運搬することが目的であった。1930年代以降、沿線には日本電気、富士通信機製造(現在の富士通)などの工場が進出し、沿線の人口が急増、南武鉄道はその通勤客を運ぶことになり、戦時中は民間企業で初めての徴用令適用事業所となった日本光学をはじめとした軍需産業が川崎に集中し、1943年1月には、全国から約1万人の農村の女性が勤労報国隊員として川崎の軍需工場に動員された。帝都防衛のための軍事施設も沿線に多く造られ、そのための軍事輸送も南武鉄道が担うこととなった。石灰石輸送強化のため、奥多摩電気鉄道、青梅電気鉄道、南武鉄道、鶴見臨港鉄道の連携が重要視され、4社の合併への協議がなされた。合併交渉途上に鶴見臨港鉄道が国有化されたが、1943年9月には残る3社の合併が決定し、1944年2月に関東電鉄(関東鉄道との記述もあり。茨城県の関東鉄道とは別)が発足することとなっていたが、東海道線や工業地帯と中央線を結ぶ重要路線であること、重要物資の石灰石を輸送していること、軍事施設や重要工場が沿線に存在することなど軍事上重要な路線だという理由で、1944年4月1日に戦時買収私鉄指定で国有化され南武線となった。
 戦後、高度経済成長により東京都区部の人口が増加すると、南武線沿線も私鉄との乗り換え駅を皮切りに都市化が進み、利用客が急増した。国鉄は車両の増結と複線化工事の実施などで輸送力増強を進め、1960年代後半には6両化と全線の複線化(1966年9月30日)を完成させた。
 1980年代には、中野島にあったキトーや武蔵溝ノ口にあった東芝、鹿島田の日立製作所など一部の工場が郊外に移転した敷地にパークシティなどの高層マンションが建つようになり、沿線人口はさらに増加したが、1990年代以降の乗客の増加率は横這い状態にある。なお、武蔵溝ノ口の池貝鉄工跡にはかながわサイエンスパーク (KSP) が建てられた。

川崎駅6番線ホームにある南武線の0kmポスト。
(2018年12月28日(金)撮影)

尻手駅にある浜川崎支線の0kmポスト。
(2018年12月28日(金)撮影)

川崎駅西側にある東海道線(左)と南武線(右)の分岐点。
(2018年12月30日(日)撮影)

川崎駅西側にある東海道線と南武線の分岐点。
左のオレンジ帯車両が南武線、右の青帯車両が京浜東北線。
(2018年12月30日(日)撮影)

尻手駅のホーム川崎側より撮影した南武線本線(左)と浜川崎支線(右)との分岐点。
(2018年12月28日(金)撮影)

府中本町駅ホーム北側より撮影した南武線(左)と武蔵野線(右)の分岐点。
(2018年12月30日(日)撮影)

立川駅ホーム東側より撮影した中央線(左)と南武線(右)の分岐点。
(2018年12月30日(日)撮影)
駅名・信号場名 駅間
営業
キロ
累計
営業
キロ
所在地 開業日
(漢字表記) (よみ)
川崎駅かわさき - 0.0


川崎市 川崎区 1872年7月10日
(明治5年6月5日)
※東海道本線の駅として
尻手駅しって 1.7 1.7 幸区 1927(昭和2)年3月9日
矢向駅やこう 0.9 2.6 横浜市 鶴見区 1927(昭和2)年3月9日
鹿島田駅かしまだ 1.5 4.1 川崎市 幸区 1927(昭和2)年3月9日
平間駅ひらま 1.2 5.3 中原区 1927(昭和2)年3月9日
向河原駅むかいがわら 1.3 6.6 1927(昭和2)年3月9日
武蔵小杉駅むさしこすぎ 0.9 7.5 1944(昭和19)年4月1日
武蔵中原駅むさしなかはら 1.7 9.2 1927(昭和2)年3月9日
武蔵新城駅むさししんじょう 1.3 10.5 1927(昭和2)年3月9日
武蔵溝ノ口駅むさしみぞのくち 2.2 12.7 高津区 1927(昭和2)年3月9日
津田山駅つだやま 1.2 13.9 1941(昭和16)年2月5日
久地駅くじ 1.0 14.9 1927(昭和2)年8月11日
宿河原駅しゅくがわら 1.3 16.2 多摩区 1927(昭和2)年3月9日
登戸駅のぼりと 1.1 17.3 1927(昭和2)年3月9日
中野島駅なかのしま 2.2 19.5 1927(昭和2)年11月1日
稲田堤駅いなだづつみ 1.3 20.8 1927(昭和2)年11月1日
矢野口駅やのくち 1.6 22.4

稲城市 1927(昭和2)年11月1日
稲城長沼駅 いなぎながぬま 1.7 24.1 1927(昭和2)年11月1日
南多摩駅みなみたま 1.4 25.5 1927(昭和2)年11月1日
府中本町駅ふちゅうほんまち 2.4 27.9 府中市 1928(昭和3)年12月11日
分倍河原駅ぶばいがわら 0.9 28.8 1928(昭和3)年12月11日
西府駅にしふ 1.2 30.0 2009(平成21)年3月14日
谷保駅やほ 1.6 31.6 国立市 1929(昭和4)年12月11日
矢川駅やがわ 1.4 33.0 1932(昭和7)年5月20日
西国立駅にしくにたち 1.3 34.3 立川市 1929(昭和4)年12月11日
立川駅たちかわ 1.2 35.5 1889(明治22)年4月11日
※中央線の駅として
浜川崎支線
尻手駅しって - 0.0


川崎市 幸区 1927(昭和2)年3月9日
八丁畷駅はっちょうなわて 1.1 1.1 川崎区 1916(大正5)年12月25日
※京急本線の駅として
川崎新町駅かわさきしんまち 0.9 2.0 1930(昭和5)年4月10日
浜川崎駅はまかわさき 2.1 4.1 1918(大正7)年5月1日
※東海道本線貨物支線として
尻手短絡線(貨物専用)
尻手駅しって - 0.0


川崎市 幸区 1927(昭和2)年3月9日
新鶴見信号場
(旧新鶴見操車場)
しんつるみ 1.5 1.5 1929(昭和4)年8月21日
※東海道本線貨物支線として
鶴見駅つるみ 3.9 5.4 1872年10月15日
(明治5年9月12日)
※東海道本線の駅として

年表
南武鉄道
1920(大正9)年1月29日 多摩川砂利鉄道として川崎町〜稲城間の鉄道敷設免許を取得。
1920(大正9)年3月29日 南武鉄道設立。
1924(大正13)年2月8日 鉄道免許状下付(南多摩郡稲城村〜北多摩郡立川村間、北多摩郡府中町〜同郡国分寺村間)
1927(昭和2)年3月9日 川崎駅〜登戸駅間(10.7M≒17.22km)、貨物支線 矢向駅〜川崎河岸駅間(1.0M≒1.61km)が開業。
尻手停留場・矢向駅・鹿島田停留場・平間停留場・向河原駅・武蔵中原駅・武蔵新城停留場・武蔵溝ノ口駅・宿河原駅・登戸駅および、貨物駅として川崎河岸駅が開業。
1927(昭和2)年3月22日 向河原駅〜武蔵中原駅間に丸子競馬場仮乗降場が開業。
1927(昭和2)年3月25日 丸子競馬場仮乗降場が廃止。
1927(昭和2)年5月7日 鉄道免許状下付(橘樹郡鶴見町〜同郡田島町間)
1927(昭和2)年8月11日 武蔵中丸子停留場・久地梅林停留場(現在の久地駅)が開業。
1927(昭和2)年11月1日 登戸駅〜大丸駅間(5.0M≒8.05km)が延伸開業。
既存区間にグラウンド前停留場(現在の武蔵小杉駅)・武蔵小杉停留場(現在の武蔵小杉駅とは別)、新規開業区間に中野島停留場・稲田堤停留場・矢野口停留場・稲城長沼駅・大丸停留場(現在の南多摩駅)が開業。
1928(昭和3)年2月8日 尻手停留場・鹿島田停留場が仮停車場に変更。
1928(昭和3)年6月13日 尻手仮停車場・鹿島田仮停車場が停留場に変更。
1928(昭和3)年8月7日 稲田堤停留場の駅への変更が認可。
1928(昭和3)年9月29日 矢向駅〜向河原駅間が複線化。
1928(昭和3)年12月11日 大丸駅〜屋敷分駅(現在の分倍河原駅)間(2.2M≒3.54km)が延伸開業。是政多摩川停留場(のちの南武是政駅)・府中本町駅・屋敷分駅が開業。
1929(昭和4)年月日不明 尻手停留所が駅に変更。
1929(昭和4)年3月20日 川崎駅〜矢向駅間が複線化。
1929(昭和4)年8月1日 中野島停留場の駅への変更が認可。
1929(昭和4)年9月7日 是政多摩川停留場の駅への変更が認可。
1929(昭和4)年9月10日 貨物支線 向河原駅〜市ノ坪駅間(0.4M≒0.64km)が開業。貨物駅として市ノ坪駅(新鶴見操車場隣接)が開業。
1929(昭和4)年12月11日 分倍河原駅〜立川駅間(4.2M≒6.76km)が延伸開業。屋敷分駅が分倍河原駅に改称。西府停留場(現在の西府駅とは別の位置)・谷保駅・西国立駅・東立川停留場が開業。
1930(昭和5)年3月25日 貨物支線 尻手駅〜浜川崎駅間 (4.0km) が開業。八丁畷停留場・川崎新町駅・新浜川崎駅が開業。
1930(昭和5)年4月1日 尻手駅〜浜川崎駅間をのぞく路線で、マイル表示からメートル表示に変更(川崎駅〜立川駅間 22.1M→35.5km、尻手駅〜川崎河岸駅間 1.0M→1.7km、向河原駅〜市ノ坪駅間 0.4M→0.7km)。
1930(昭和5)年4月10日 支線 尻手駅〜新浜川崎駅間で旅客営業を開始。
1930(昭和5)年8月9日 是政多摩川駅〜府中本町駅間に貨物駅として南多摩川仮停車場が開業。
1931(昭和6)年月日不明 大丸停留場を多摩聖蹟口停留場に改称。
1931(昭和6)年1月30日 グラウンド前停留場の仮停車場への変更が認可。
1931(昭和6)年9月16日 グラウンド前仮停車場が駅に変更。
1931(昭和6)年11月5日 本宿停留場が開業。
1931(昭和6)年11月15日 新丸子駅〜グラウンド前駅間(営業キロ設定なし)・貨物支線 立川駅〜西立川駅間 (2.1km) が開業(立川駅〜武蔵上ノ原駅間は五日市鉄道との二重線籍)。
1932(昭和7)年5月20日 矢川駅が開業。
1932(昭和7)年6月17日 是政多摩川駅の南武是政駅への改称が届け出される。
1932(昭和7)年7月1日 鉄道免許失効(1924年2月8日免許 西府-国分寺間)
1932(昭和7)年8月2日 南多摩川仮停車場が廃止。
1933(昭和8)年6月16日 南武是政駅の停留場への変更が認可。
1934(昭和9)年4月1日 宿河原不動停留場が開業。
1934(昭和9)年10月21日 貨物駅として南多摩川駅(現在の南多摩駅)が開業。
1935(昭和10)年2月25日 瓦斯倫動力併用認可(西国立〜西立川間)
1936(昭和11)年1月 登戸連絡線の仮設物認可。
1936(昭和11)年2月3日 西府停留場の駅への変更が認可。
1936(昭和11)年3月19日 武蔵溝ノ口駅〜久地梅林駅間に久地信号所の開設が認可。
1936(昭和11)年9月11日 南武鉄道所属車両の小田急線乗り入れおよび小田急所属貨車128両の南武線乗り入れ認可。
1937(昭和12)年10月30日 向河原駅〜武蔵中原駅間が複線化。
1939(昭和14)年4月5日 武蔵中原駅〜武蔵溝ノ口駅間が複線化。
1939(昭和14)年9月14日 南多摩川駅と多摩聖蹟口停留場が併合・移転し、南多摩駅に改称して旅客営業開始。
1940(昭和15)年8月5日 向河原駅が日本電気前駅に改称。
1940(昭和15)年8月17日 貨物支線 立川駅〜西立川駅間 (2.1km) が休止。
1940(昭和15)年9月1日 休止中の貨物支線(立川駅〜西立川駅間)の起点が武蔵上ノ原駅に変更 (-0.9km)。
1940(昭和15)年10月3日 南武鉄道が五日市鉄道を合併。
1940(昭和15)年11月28日 西府駅の停留場への変更が認可。
1941(昭和16)年2月5日 日本ヒューム管前停留場(現在の津田山駅)が開業。
1941(昭和16)年月日不明 日本ヒューム管前停留場〜久地梅林駅間が複線化。
1942(昭和17)年4月16日 久地梅林停留場の駅への変更および久地信号所の併合が認可。
1943(昭和18)年4月9日 日本ヒューム管前停留場の駅への変更が認可。
1943(昭和18)年9月8日 南武鉄道・青梅電気鉄道・奥多摩電気鉄道の合併が仮調印。
1943(昭和18)年12月20日 宿河原駅〜登戸駅間が複線化。
1944(昭和19)年2月1日 関東電鉄発足予定(実現せず)。
国有化
1944(昭和19)年4月1日 国有化され、国鉄南武線となる。
武蔵小杉停留場・宿河原不動停留場・南武是政停留場・本宿停留場・西府停留場・東立川停留場が廃止。各停留場が駅に変更。新浜川崎駅が浜川崎駅に、市ノ坪駅が新鶴見操車場に統合。日本電気前駅が向河原駅に、グラウンド前駅が武蔵小杉駅に、日本ヒューム管前駅が津田山駅に、久地梅林駅が久地駅に改称。
川崎駅〜尻手駅間の貨物営業廃止。川崎新町駅〜浜川崎駅間改キロ (+0.1km)。貨物支線 向河原駅〜市ノ坪駅間が鶴見駅まで延長 (+4.0km)。向河原駅〜新鶴見操車場〜品川駅間に営業キロ設定 (14.7km)。
休止中の貨物支線 武蔵上ノ原駅〜西立川駅間 (1.2km) が青梅線に編入。10月11日に青梅線として営業廃止され、五日市線の立川駅〜武蔵上ノ原駅間とともに青梅線の一部(青梅短絡線)となっている。
1945(昭和20)年4月15日 空襲により川崎駅〜向河原間駅が不通になる。17日に浜川崎駅まで、19日に向河原駅まで運転再開、平間駅と武蔵中丸子駅は休止。
1945(昭和20)年5月 西国立駅隣接地に立川機関区が開設。西国立駅・立川機関区〜立川駅間が単線並列2線化(のちに複線に移行。時期不明)。
1945(昭和20)年6月10日 武蔵中丸子駅が廃止。
1946(昭和21)年5月1日 平間駅営業が再開。
1951(昭和26)年5月1日 尻手駅〜新鶴見操車場間に路線敷設(営業キロ設定なし)。
1954(昭和29)年3月21日 尻手駅付近が高架化。
1960(昭和35)年3月20日 久地駅〜宿河原駅間が複線化。
1960(昭和35)年3月27日 武蔵溝ノ口駅〜津田山駅間が複線化。
1962(昭和37)年8月7日 久地駅〜津田山駅間の踏切で電車が小型トラックと衝突して脱線、対向電車と衝突、3人死亡。
1963(昭和38)年11月7日 登戸駅〜稲田堤駅間が複線化。
1963(昭和38)年11月12日 稲田堤駅〜稲城長沼駅間が複線化。
1966(昭和41)年3月25日 谷保駅〜西国立駅間が複線化。
1966(昭和41)年9月30日 稲城長沼駅〜谷保駅間が複線化。立川駅構内をのぞき全線の複線化が完成。
1969(昭和44)年12月15日 武蔵小金井区から101系を借り入れ。日中に60分間隔で快速の運転開始。
1972(昭和47)年5月25日 貨物支線 矢向駅〜川崎河岸駅間 (1.7km) が廃止。貨物駅の川崎河岸駅が廃止。
1972(昭和47)年9月12日 千葉地区から捻出された101系が中原電車区に転入。
1973(昭和48)年10月1日 貨物支線 向河原駅〜新鶴見操車場〜鶴見駅間 (4.7km) が廃止。向河原駅〜新鶴見操車場〜品川駅間 (14.7km) の営業キロ廃止。貨物支線 尻手駅〜新鶴見操車場〜鶴見駅間 (5.4km) が開業。尻手駅〜品川駅間に営業キロ設定 (+15.4km)。川崎駅〜尻手駅間の貨物営業再開。
1976(昭和51)年3月8日 京浜東北線から101系が転入し、南武線の半数が101系となる。本線全線で6両運転開始(1978年に101系へ統一、完全6両編成化)。
1978(昭和53)年10月2日 快速の運転終了。
民営化以降
1987(昭和62)年4月1日 国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道が承継。日本貨物鉄道が川崎駅〜尻手駅間をのぞく全線の第二種鉄道事業者となる。川崎駅〜尻手駅間の貨物営業が廃止。尻手駅〜新鶴見信号場〜品川駅間の営業キロ設定 (15.4km) が廃止。
1988(昭和63)年3月13日 支線 尻手駅〜浜川崎駅間でワンマン運転開始。
1990(平成2)年12月20日 川崎市中原区内の高架化が完成。
1999(平成11)年10月24日 立川駅8番線ホーム設置により、立川駅構内のボトルネックが解消され、南武線の完全複線化が完成。
2005(平成17)年10月9日 矢野口駅付近の高架化が完成。
2006(平成18)年3月26日 川崎駅〜立川駅間で東京圏輸送管理システム (ATOS) 使用開始。
2007(平成19)年3月18日 ダイヤ改正により、平日日中の運転本数が毎時5本(12分間隔)から毎時6本(10分間隔)になる。
2009(平成21)年3月14日 西府駅が開業。
2009(平成21)年5月16日 南武線初の特急として「リゾート踊り子」が立川駅〜伊豆急下田駅間で運転。
2011(平成23)年3月11日 東北地方太平洋沖地震が発生し、その影響により以後終電まで運休。
2011(平成23)年3月14日 東京電力が輪番停電(計画停電)を実施し、その影響で終日運休。
2011(平成23)年4月9日 快速運転開始。
2011(平成23)年6月24日 平日の快速運転を休止。
2011(平成23)年9月12日 平日の快速運転再開。
2011(平成23)年12月24日 矢野口駅〜府中本町駅間の下り線が高架化。
2013(平成25)年12月23日 矢野口駅〜府中本町駅間の上り線が高架化。
2014(平成26)年3月15日 快速運転区間とそれまで登戸駅までの運行だった日中の毎時2本の各駅停車が稲城長沼駅まで延長。
E233系が営業運転を開始する予定。
wikipediaより参照
TOP旅の記録路線各駅巡礼写真のページ>JR南武線(神奈川県・東京都)