「この地図は、国土地理院発行の2.5万分の1地形図(鹿島台)(平成19)+2.5万分の1地形図(松島)(平成19)を使用したものである。」 国土地理院発行地形図の引用について http://www.gsi.go.jp/LAW/2930-meizi.html |
1890(明治23)年に岩切駅〜一ノ関駅間が開業した際、東北本線は岩切駅から利府駅・松島駅(旧駅)を経て品井沼駅へ向かうルート(後に山線と呼ばれ
る)であったが、最大16.7パーミルの勾配が存在し、長大列車では補助機関車を連結する必要があり、輸送上の大きな問題となっていた。 太平洋戦争の激化により、船舶不足が深刻となったため、貨物輸送を従来の船舶から鉄道へ切り替えることが急務となり、各地で勾配緩和のための新線建設が盛んとなった(東海道本線大垣〜関ヶ原間や函館本線大沼〜森間など)。岩切駅〜品井沼駅間においても、勾配緩和区間として1944(昭和19)年11月15日に陸前山王駅〜品井沼駅間に新線(海線)が開業(同時に岩切駅〜陸前山王駅間を塩竃線より編入)し、従来の路線を山線と称して主に旅客列車を運行させ、海線は貨物列車を運行させるという、2つのルートが併存する形となった。 やがて、沿線人口が多く、松島などの観光地も近い新線(海線)側がメインルートとなることが多くなり、1956(昭和31)年に優等列車をはじめ旅客列車がこのルートを走るようになると、利府経由の山線は普通列車による地域輸送が主体となった。そして、東北本線の輸送力増強を目的とした複線化が、新線側で行うことが決定したことにより、2つのルートの存在意義が薄れて、山線ルートが廃止されることになった。1962(昭和37)年4月20日に松島駅(旧駅)〜品井沼駅間を廃止し、同年7月1日に利府駅〜松島駅(旧駅)間が廃止された。 ただし、新線ルート上で利府駅に替わる駅がなかったこともあって、利府駅周辺の利用者の便宜を図る形で、岩切駅〜利府駅間は利用者が少ないにもかかわらず、廃止を免れた。 (Wikipediaより) 旧線跡はあちこちで見られますが、一番の見所はレンガ積みの重厚な造りの根廻トンネルかなと思います。 |
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@品井沼駅 | ||
旧線の出発駅である品井沼駅。1918(大正7)年8月16日に開設された幡谷信号所が前身で、1932(昭和7)年12月26日に駅に昇格し、現在の品井沼駅となった。 |
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A大菅踏切 | ||
この大菅踏切が新線と旧線の分岐点です。 |
線路右の空き地が旧線跡で、ここから新線と分岐しているのがわかります。 |
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この先旧線は町道に転用されています。右が新線で、勾配を押さえる目的のためか旧線より掘り下げた低い位置を走っています。 |
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B根廻(ねまり)トンネル この区間が日本鉄道会社線として開業したのが1890年なので、この時期の建築と思われます。実に100年以上前の建築となります。当時一般的だったレンガ積みの重厚な作りが特徴です。現在は道路のトンネルに転用されていますが、当時の姿をそのまま残しています。 |
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品井沼側(下り)出入口 |
天井部を見ると、蒸気機関車時代の煤煙が残っていました。それにしても100年以上前のトンネルなのに、東日本大震災の揺れに襲われても、目立った損傷がなかったのには驚きでした。 |
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利府側(上り)出入口 |
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C旧線橋梁 | ||
左が新線で、道路部分が旧線。 上の橋の部分は新しいものの、橋脚部分は旧線自体のもののようです。 |
橋脚部分。 |
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東宮殿下一分間停車記念の碑 東宮殿下(後の大正天皇)がこの地にお召し列車を1分間停車させこの地を台覧されたことを記念して建てられた碑があります(由来については右参照)。停車位置は上の旧線橋梁の上り側だったと思われます。 |
東宮殿下一分間停車記念の碑 明治潜穴工事施工にあたっては、工事続行派と工事中止派との対立の中、中止派の感情が根強く残っていた。 明治四十一年十月に東宮殿下(後の大正天皇)が、奥州地方を行啓なされるということを知り、鹿島台村長鎌田三之助は、東宮侍従に願い出て殿下の代理人の方の視察を切望した。 ところが、東宮殿下御自らご台覧との報告を受け、鎌田村長はじめ工事続行派は大喜び、明治四十一年十月十三日午後三時四十分、根廻上山王地内の鉄橋上にお召し列車が一分間停車しご台覧の栄を得たのである。当時お召し列車が停車場以外に停車することは絶対にあり得ないことであった。 東宮殿下よりのお言葉 「天下の大工事である。中途挫折の事なく竣工せしめよ」 これ以後工事関係者に動揺はなくなり無事に工事が完了している。 この石碑は、東宮殿下がご台覧された記念として昭和八年九月、品井沼水害予防組合により建立された。 平成二十一年十一月 農村景観・自然環境保全再生パイロット事業 特定非営利活動法人 あぐりねっと21 ねまわりコミュニティ推進委員会 (現地案内板より) |
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当時の写真(現地案内板より) |
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利府方向撮影。道路部分が旧線ですが、ここから先は住宅が建っていて、あとは残っていませんでした。 |
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E愛宕駅 この愛宕駅は旧松島駅の代替として設置された駅で、アップダウンの勾配を緩和するため高架線となっています。 |
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旧線の上に愛宕駅が設置されています。 |
旧線は愛宕駅で新線とクロスしています。 |
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F旧松島駅跡(訂正) 当時の駅舎は現在、松島町健康館デイサービスセンターに転用され現存しています。 |
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大正期に建築されたモダンで優美な造りとなっています。 |
駅前の道路は一部不自然に広くなっていますが、ここには松島電鉄(1922〜1944年)という路面電車の駅があり、その名残と思われます。 |
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旧駅舎の裏側を撮影。道路部分より右側が路線跡。左側が一段高くなっていますが、おそらくホームの跡と思われます。 |