◆JR東北本線◆
利府支線
(岩切駅(宮城県)〜利府駅(宮城県))

上野駅(東京都)〜黒磯駅(栃木県)
黒磯駅(栃木県)〜一ノ関駅(岩手県)

一ノ関駅〜盛岡駅(岩手県)
盛岡駅(岩手県)〜八戸駅(青森県)→IGR銀河鉄道線青い森鉄道線
八戸駅(青森県)〜青森駅(青森県)
岩切駅(宮城県)〜利府駅(宮城県)【利府支線】

1890(明治23)年に岩切駅〜一ノ関駅間が開業した際、東北本線は岩切駅から利府駅・松島駅(旧駅)を経て品井沼駅へ向かうルート(後に山線と呼ばれる)であったが、最大16.7パーミルの勾配が存在し、長大列車では補助機関車を連結する必要があり、輸送上の大きな問題となっていた。
太平洋戦争の激化により、船舶不足が深刻となったため、貨物輸送を従来の船舶から鉄道へ切り替えることが急務となり、各地で勾配緩和のための新線建設が盛んとなった(東海道本線大垣〜関ヶ原間や函館本線大沼〜森間など)。岩切駅〜品井沼駅間においても、勾配緩和区間として1944(昭和19)年11月15日に陸前山王駅〜品井沼駅間に新線(海線)が開業(同時に岩切駅〜陸前山王駅間を塩竃線より編入)し、従来の路線を山線と称して主に旅客列車を運行させ、海線は貨物列車を運行させるという、2つのルートが併存する形となった。
やがて、沿線人口が多く、松島などの観光地も近い新線(海線)側がメインルートとなることが多くなり、1956(昭和31)年に優等列車をはじめ旅客列車がこのルートを走るようになり、利府経由の山線は普通列車による地域輸送が主体となった。そして、東北本線の輸送力増強を目的とした複線化が、新線側で行うことが決定したことにより、2つのルートの存在意義が薄れて、山線ルートが廃止されることになった。1962(昭和37)年4月20日に松島駅(旧駅)〜品井沼駅間を廃止し、同年7月1日に利府駅〜松島駅(旧駅)間が廃止された。
 ただし、新線ルート上で利府駅に替わる駅がなかったこともあって、利府駅周辺の利用者の便宜を図る形で、岩切駅〜利府駅間は利用者が少ないにもかかわらず、廃止を免れた。
wikipediaより)
駅名 駅間営
業キロ
累計
営業
キロ
所在地 開業日
(漢字表記) (よみ)
2-48
5-01
岩切駅 いわきり - 0.0

仙台市
宮城野区
1888(明治21)年10月11日
5-02 新利府駅 しんりふ 2.5 2.5 宮城郡
利府町
1982(昭和57)年4月1日
5-03 利府駅 りふ 1.7 4.2 1894(明治27)年1月4日


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