(概要) リアス線(リアスせん)は、岩手県大船渡市の盛駅と久慈市の久慈駅とを結ぶ三陸鉄道の鉄道路線である。日本の第三セクター鉄道では最長距離の路線である。 2011年3月11日の東日本大震災で不通となっていた東日本旅客鉄道(JR東日本)山田線の宮古駅〜釜石駅間を、2019年3月23日に復旧と同時に三陸鉄道に移管して運行再開。三陸鉄道の既存の路線である南リアス線(盛駅〜釜石駅間)・北リアス線(宮古駅〜久慈駅間)と統合し、盛駅〜久慈駅間が「リアス線」となった。 (歴史) (南リアス線) 改正鉄道敷設法別表第7号に規定する予定線「岩手県山田ヨリ釜石ヲ経テ大船渡ニ至ル鉄道」の一部であり、山田(陸中山田)〜釜石間は1939年に山田線の一部として、大船渡〜盛間は1935年に大船渡線の一部として、盛〜吉浜間は1970年および1973年に盛線として開業した。しかし、国鉄再建法により盛線は第1次特定地方交通線に指定され、日本鉄道建設公団が建設中であった吉浜〜釜石間は工事が中断されたが、岩手県などが中心になって設立した第三セクター三陸鉄道が既開業区間も合わせて引き受けることになって工事を再開、1984(昭和59)年4月1日、盛線の三陸鉄道への転換と同時に開業し、同社の南リアス線として全通した。 (山田線) 盛岡〜陸中山田間は、盛岡と三陸地方を結ぶ鉄道として、1892(明治25)年公布の鉄道敷設法にすでに規定されていた区間である。測量調査が行われたものの、盛岡〜宮古間で標高1,000mを超す北上山地(区界峠751m)を越えるため、予定線の検討は行われたが、建設は具体化しないままとなっていた。地元岩手県出身の原敬が首相となった1920年に至って漸く建設が決定され、1923(大正2)年から1935(昭和10)年にかけて開業した。 陸中山田以南の区間は、改正鉄道敷設法別表第7号に規定する「岩手県山田ヨリ釜石ヲ経テ大船渡ニ至ル鉄道」の一部で、三陸縦貫線を構成する予定線であったが、釜石までの区間は、前述の区間に引き続いて戦前の1939(昭和14)年までに開業したものの、釜石以南については戦後の建設、開業となり、現在三陸鉄道南リアス線となっている。 盛岡〜宮古間は大部分の区間が人口希薄な山岳地帯である。この路線を敷設するかどうかを帝国議会で審議した際、野党憲政会は猛烈に反対し、同党議員は「こんな所に鉄道を敷いて、首相は山猿でも乗せるつもりか」と当時の首相の原敬を非難した。これに対し原は「鉄道規則を読んでいただければわかりますが、猿は乗せないことになっております」と、平然と答弁した記録が残されている。 だが実際には開業後、盛岡〜宮古間は満員で座ることができず、立ち通しのことも少なくなかったという。もともと、この区間には1906(明治39)年から乗合馬車の運行が行われ、1913(大正2)年には岩手県では初となる路線バスの運行も開始されており、鉄道開業前から一定の流動は存在した。1950(昭和25)年の釜石線全通以前、山田線は岩手県北部における唯一の海岸部と内陸の直通路線であり、特に1939(昭和14)年の全通後は戦時体制を背景に、釜石製鐵所や釜石鉱山を擁した釜石と東北線とを直接連絡する鉄道ルートとして、日夜を通しての貨物輸送に貢献した。 太平洋戦争後の1946(昭和21)年11月、山田線は風水害により平津戸〜蟇目間が長期運休となった。全線復旧に1954(昭和29)年までの8年間を要した大災害であり、その代替としてGHQの指示により釜石線の改築・全通が促進された。釜石線全通に伴い、釜石から内陸への貨物輸送メインルートは同線に移り、山田線の相対的地位は低下することになった。なお、この災害に際し沿岸側に取り残された機関車を搬出するため、青函連絡船を宮古港に回漕して船積みすることで対処したエピソードがある。 (北リアス線) 改正鉄道敷設法別表第6号に規定する予定線「岩手県久慈ヨリ小本ヲ経テ宮古ニ至ル鉄道」であり、宮古〜田老間は1972(昭和47)年に国鉄宮古線(みやこせん)として、普代〜 久慈間は1975(昭和50)年に国鉄久慈線(くじせん)として開業した。しかし、国鉄再建法により既開業区間は第1次特定地方交通線に指定され、日本鉄道建設公団が建設中であった田老〜普代間は工事が中断されたが、岩手県などが中心になって設立した第三セクター三陸鉄道が既開業区間も合わせて引き受けることになって工事を再開、1984(昭和59)年4月1日、宮古線・久慈線の三陸鉄道への転換と同時に開業し、同社の北リアス線として全通した。 また、東日本旅客鉄道(JR東日本)の岩泉線は本路線の小本に接続する計画の予定線で、旧称を小本線といい、岩泉〜小本間に国鉄バスが運行されていた(現在は岩泉自動車運輸・岩手県北自動車が運行している)が、結局着工されなかった。 |
盛駅にあるゼロキロポスト(2012年3月20日(火)撮影) |
三陸鉄道南リアス線とJR大船渡線の分岐点(1) 左が三陸鉄道南リアス線、右がBRT化された大船渡線(ガードレール部分)。 (2017年5月20日(土)撮影) |
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三陸鉄道南リアス線とJR大船渡線の分岐点(2) 跨線橋より撮影。 左がBRT化された大船渡線で、右の列車が通っているのが三陸鉄道南リアス線。 (2017年7月29日(土)撮影) |
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三陸鉄道南リアス線(上)と岩手開発鉄道(下)の立体交差。 (2019年3月16日(土)撮影) |
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釜石駅ホームより釜石線と山田線の分岐点を望遠撮影。 左に下がっているのが釜石線で、右に上がっているのが三陸鉄道リアス線(旧山田線)。 (2017年5月20日(土)撮影) |
左のホームと反対側から撮影。 左に上がっているのが三陸鉄道リアス線(旧山田線)で、左に下がっているのが釜石線。 (2017年5月20日(土)撮影) |
宮古駅の東側より撮影。 手前左が三陸鉄道リアス線で、奥右が山田線。 (2019年7月13日(土)撮影) |
旧 名 称 |
駅名 | 駅間 営業 キロ |
累計 営業 キロ |
所在地 | 開業年月日 | |||
(漢字表記) | (よみ) | |||||||
国 鉄 盛 線 |
南 リ ア ス 線 |
盛 | さかり | - | 0.0 | 岩 手 県 |
大船渡市 | 1935(昭和10)年9月29日 ※大船渡線の駅として |
陸前赤崎 | りくぜんあかさき | 3.7 | 3.7 | 1970(昭和45)年3月1日 | ||||
綾里 | りょうり | 5.4 | 9.1 | 1970(昭和45)年3月1日 | ||||
恋し浜 | こいしはま | 2.9 | 12.0 | 1985(昭和60)年10月16日 | ||||
甫嶺 | ほれい | 2.3 | 14.3 | 1973(昭和48)年7月1日 | ||||
三陸 | さんりく | 2.7 | 17.0 | 1973(昭和48)年7月1日 | ||||
吉浜 | よしはま | 4.6 | 21.6 | 1973(昭和48)年7月1日 | ||||
新 線 |
唐丹 | とうに | 6.1 | 27.7 | 釜石市 | 1984(昭和59)年4月1日 | ||
平田 | へいた | 5.4 | 33.1 | 1984(昭和59)年4月1日 | ||||
釜石 | かまいし | 3.5 | 36.6 | 1939(昭和14)年9月17日 | ||||
国 鉄 山 田 線 |
JR 山 田 線 |
両石 | りょういし | 6.1 | 42.7 | 1954(昭和29)年9月1日 | ||
鵜住居 | うのすまい | 2.2 | 44.9 | 1939(昭和14)年9月17日 | ||||
大槌 | おおつち | 4.0 | 48.9 | 上閉伊郡 大槌町 |
1938(昭和13)年4月5日 | |||
吉里吉里 | きりきり | 3.4 | 52.3 | 1938(昭和13)年4月5日 | ||||
浪板海岸 | なみいたかいがん | 1.8 | 54.1 | 1961(昭和36)年12月20日 | ||||
岩手船越 | いわてふなこし | 6.4 | 60.5 | 下閉伊郡 山田町 |
1936(昭和11)年11月10日 | |||
織笠 | おりかさ | 3.8 | 64.3 | 1936(昭和11)年11月10日 | ||||
陸中山田 | りくちゅうやまだ | 1.2 | 65.5 | 1935(昭和10)年11月17日 | ||||
豊間根 | とよまね | 11.1 | 76.6 | 1935(昭和10)年11月17日 | ||||
払川 | はらいがわ | 4.1 | 80.7 | 宮古市 | 2019(平成31)年3月23日 | |||
津軽石 | つがるいし | 2.1 | 82.8 | 1935(昭和10)年11月17日 | ||||
八木沢・宮古短大 | やぎさわ・みやこたんだい | 5.4 | 88.2 | 2019(平成31)年3月23日 | ||||
磯鶏 | そけい | 1.8 | 90.0 | 1935(昭和10)年11月17日 | ||||
宮古 | みやこ | 2.0 | 92.0 | 1934(昭和9)年11月6日 | ||||
国 鉄 宮 古 線 |
北 リ ア ス 線 |
山口団地 | やまぐちだんち | 1.6 | 93.6 | 2010(平成22)年10月16日 | ||
一の渡 | いちのわたり | 4.6 | 98.2 | 1972(昭和47)年2月27日 | ||||
佐羽根 | さばね | 2.9 | 101.1 | 1972(昭和47)年2月27日 | ||||
田老 | たろう | 3.6 | 104.7 | 1972(昭和47)年2月27日 | ||||
新 線 |
新田老 | しんたろう | 0.5 | 105.2 | 2020年(令和2)年5月18日 | |||
摂待 | せったい | 8.3 | 113.5 | 1984(昭和59)年4月1日 | ||||
岩手小本 | おもと | 3.6 | 117.1 | 下閉伊郡 岩泉町 |
1984(昭和59)年4月1日 | |||
島越 | しまのこし | 8.5 | 125.6 | 下閉伊郡 田野畑村 |
1984(昭和59)年4月1日 | |||
田野畑 | たのはた | 2.0 | 127.6 | 1984(昭和59)年4月1日 | ||||
国 鉄 久 慈 線 |
普代 | ふだい | 9.3 | 136.9 | 下閉伊郡 普代村 |
1975(昭和50)年7月20日 | ||
白井海岸 | しらいかいがん | 3.4 | 140.3 | 1984(昭和59)年12月22日 | ||||
堀内 | ほりない | 3.1 | 143.4 | 1975(昭和50)年7月20日 | ||||
野田玉川 | のだたまがわ | 4.5 | 147.9 | 九戸郡 野田村 |
1975(昭和50)年7月20日 | |||
十府ヶ浦海岸 | とふがうらかいがん | 1.7 | 149.6 | 2017(平成29)年3月25日 | ||||
陸中野田 | りくちゅうのだ | 2.3 | 151.9 | 1975(昭和50)年7月20日 | ||||
陸中宇部 | りくちゅううべ | 3.4 | 155.3 | 久慈市 | 1975(昭和50)年7月20日 | |||
久慈 | くじ | 7.7 | 163.0 | 1930(昭和5)年3月27日 ※八戸線の駅として |
(南リアス線区間) | |
1970(昭和45)年3月1日 | 盛線として盛〜綾里間 (9.1km) が開業、陸前赤崎・綾里の両駅を新設。 |
1973(昭和48)年7月1日 | 綾里〜吉浜間 (12.5km) が延伸開業、甫嶺・三陸・吉浜の各駅を新設。 |
1984(昭和59)年4月1日 | 三陸鉄道 南リアス線として盛〜釜石間 (36.6km) が転換・開業され全通。うち吉浜〜釜石間 (15.0km) は新設。唐丹・平田の両駅を新設。 |
1985(昭和60)年10月16日 | 小石浜駅を新設。 |
1986(昭和61)年7月26日 | 綾里〜小石浜間に白浜海岸臨時駅新設(1992年までの夏季のみ開設)。 |
1994(平成6)年2月22日 | 小石浜〜甫嶺間で強風による列車転覆事故が起こる。 |
2009(平成21)年7月20日 | 小石浜駅を恋し浜駅に改称。 |
2011(平成23)年3月11日 | 東北地方太平洋沖地震による災害で全線不通。 |
2011(平成23)年6月24日 | 東日本大震災発生以来吉浜〜唐丹間の鍬台トンネル内に留置されていた車両を点検・整備のため吉浜駅まで自力回送。 |
2013(平成25)年4月3日 | 盛〜吉浜間 (21.6km) が営業再開。 |
2014(平成26)年4月5日 | 吉浜〜釜石間 (15.0km) 営業再開。 |
2019(平成31)年3月23日 | 山田線の釜石〜宮古間がJR東日本から三陸鉄道へ移管され、北リアス線・移管区間を含めた久慈〜盛間をリアス線に改称。 |
(JR山田線区間) | |
1935(昭和10)年11月17日 | 【延伸開業】宮古〜陸中山田 (26.5km) 【駅新設】磯鶏、津軽石、豊間根、陸中山田 |
1936(昭和11)年11月10日 | 【延伸開業】陸中山田〜岩手船越 (5.0km) 【駅新設】織笠、岩手船越 |
1938(昭和13)年4月5日 | 【延伸開業】岩手船越〜大槌 (11.6km) 【駅新設】吉里吉里、大槌 |
1939(昭和14)年9月17日 | 【延伸開業・全通】大槌〜釜石 (12.3km) 【駅新設】鵜住居、釜石 |
1943(昭和18)年11月22日 | 【貨物線開業】宮古〜宮古港 (2.0km) 【駅新設】(貨)宮古港 |
1951(昭和26)年7月23日 | 【仮停車場新設】両石 |
1954(昭和29)年9月1日 | 【仮停車場→駅】両石 |
1970(昭和45)年2月28日 | 蒸気機関車運行終了 (C58)。3月1日から無煙化 |
1980(昭和55)年9月2日 | 【災害不通】宮古〜津軽石(集中豪雨による土砂災害) |
1981(昭和56)年1月30日 | 【営業再開】宮古〜津軽石(全線復旧) |
1986(昭和61)年11月1日 | 【貨物営業廃止】盛岡〜釜石 |
1987(昭和62)年4月1日 | 【承継】東日本旅客鉄道 |
1994(平成6)年12月3日 | 【駅名改称】浪板→浪板海岸 |
1997(平成9)年10月4日 | 天皇・皇后の岩手訪問(全国豊かな海づくり大会への臨席など)に伴い、1号御料車編成によるお召し列車を盛岡から山田線経由で宮古へ運転(片道のみ。同月6日には釜石から釜石線経由で花巻へ運転)。DD51 842牽引(予備機:DD51 895) |
2008(平成20)年7月24日 | 【災害不通】全線(岩手県沿岸北部地震による) |
2008(平成20)年7月25日 | 【営業再開】全線(復旧) |
2011(平成23)年3月11日 | 【災害不通】全線(東北地方太平洋沖地震とこれにより発生した大津波による)津波で織笠、大槌、鵜住居の各駅が流失、陸中山田が津波による大規模火災で焼失 |
2011(平成23)年4月20日 | 【振替輸送】宮古〜釜石 (バスによる振替輸送開始、岩手県北自動車・岩手県交通)当初は、岩手船越〜釜石については、岩手県交通が無料バスを運転していた。 |
2018(平成30)年7月18日 | 宮古〜釜石間の復旧工事が完了し、同区間のレールが全線で繋がった。 |
2018(平成30)年8月21日 | 宮古〜釜石間のディーゼル機関車による試運転を、釜石〜大槌間を皮切りに開始。 |
2019(平成31)年1月28日 | 三陸鉄道所属の気動車、乗務員による試運転を宮古 - 釜石間で開始。 |
2019(平成31)年1月31日 | 三陸鉄道移管区間に対する地域公共交通活性化再生法に基づく鉄道事業再構築実施計画が認定。 |
2019(平成31)年2月11日 | 報道関係者向けの試乗会を宮古〜釜石間で実施。 |
2019(平成31)年3月23日 | 【営業再開・移管】宮古〜釜石(三陸鉄道へ移管)。 |
(北リアス線区間) | |
旧国鉄宮古線 | |
1972(昭和47)年2月27日 | 【開業】宮古線 宮古〜田老(12.8km)旅客営業のみ 【駅新設】一の渡、佐羽根、田老 |
1981(昭和56)年9月18日 | 第1次特定地方交通線として廃止承認 |
1984(昭和59)年4月1日 | 【廃止・転換】日本国有鉄道→三陸鉄道 |
旧国鉄久慈線 | |
1975(昭和50)年7月20日 | 【開業】久慈線 久慈〜普代(26.0km)旅客営業のみ 【駅新設】陸中宇部、陸中野田、野田玉川、堀内、普代 |
1981(昭和56)年9月18日 | 第1次特定地方交通線として廃止承認 |
1984(昭和59)年4月1日 | 【廃止・転換】日本国有鉄道→三陸鉄道 |
北リアス線 | |
1984年(昭和59)年4月1日 | 転換・開業】三陸鉄道北リアス線 宮古〜久慈(71.0km)(【延伸開業・全通】田老〜普代(32.2km))【駅新設】摂待、小本、島越、田野畑 |
1984(昭和59)年12月22日 | 【駅新設】白井海岸 |
1986(昭和61)年7月26日 | 【臨時駅新設】十府ヶ浦(野田玉川〜陸中野田間。1994(平成6)年までの夏季のみ開設) |
1987(昭和62)年3月22日 | 国鉄山田線・大船渡線との定期列車による直通運転を開始。 |
2010(平成22)年10月16日 | 山口団地駅を新設。 |
2011(平成23)年3月11日 | 全線が東北地方太平洋沖地震による災害で不通、津波で島越駅が流出するなど大きな被害を受ける。 |
2011(平成23)年3月16日 | 陸中野田〜久慈間が営業再開、同区間で復興支援列車の運転を開始。 |
2011(平成23)年3月20日 | 宮古〜田老間が営業再開。 |
2011(平成23)年3月29日 | 田老〜小本間が営業再開。 |
2012(平成24)年4月1日 | 田野畑〜陸中野田間が営業再開。これにより、未再開駅は島越駅のみとなる。 |
2014(平成26)年4月6日 | 小本〜田野畑間が営業再開。 |
2015(平成27)年12月23日 | 小本駅が岩泉小本駅に改称。 |
2017(平成29)年3月25日 | 十府ヶ浦海岸駅を新設。 |
2019(平成31)年3月23日 | 山田線の釜石〜宮古間がJR東日本から三陸鉄道へ移管され、移管区間・南リアス線を含めた久慈〜盛間をリアス線に改称。 |